『eclipse』Stephenie Meyer 著 その1

『eclipse』Stephenie Meyer 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレを含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

第1巻『new moon』や、第2巻『twilight』もそうだったんですが、後半の盛り上がりがすごかったです。主人公のベラが、吸血鬼と人狼の板ばさみになる状況が何度も繰り返されて、そのたびに、まるで我がことのように考えこんでしまいました。いったいどうすればよかったんだろう。なにが正解なんだろうって。

エドワードは大人ですね。さすが、百年以上生きている永遠の17歳。

ベラのピンチには絶対駆けつけてくれるし、ベラのためなら自分の感情を押し殺してでも彼女の望みを叶えようとするし。それでいて、結婚観は生真面目すぎて、ベラの情熱に流されることはないという。

正統派王子様ですね~。いやー、恵まれて育った王子様にはない行動力や勇気がある分、王子様以上の存在なのかも。そりゃ、ベラも惚れますね。

この二人の関係を見ていると、恋愛って不思議なものだなあと思います。たしかにエドワードは条件だけみても素敵な男性なんですけど、たぶんベラは、エドワードがエドワードだったから惹かれたんだろうなあって。読みすすめるほどに、それを感じるのです。

人狼族の言葉を借りるなら、imprint (刻印)の相手だということでしょうか。ジェイコブはそんなimprint についてこう説明しています。

>It’s not like love at first sight, really.

>It’s more like…gravity moves.

>When you see her, suddenly it’s not the earth holding you here anymore.

>She does.

>そうだな、一目ぼれなんていうもんじゃないんだよ。

>重力の移動、に近いかも。

>彼女を見た瞬間、地球の重力じゃなく、

>彼女にとらわれてしまうんだよ。

すごい表現ですよね。重力の中心が地球からその人に変わってしまう瞬間。全身の血が逆流する音が聞こえそうです。眩暈をおこすくらいの激しさ。それ以降は、なにもかもが違ってみえるでしょうね。

でもここらへんのジェイコブの語りも、実は含みをもったものじゃないかなーと、勝手に思っております。ジェイコブはベラに、一生懸命imprintの説明をしつつ、内心「わかってくれよー。まさにこれって僕が君に抱いている気持ちなんだけど」なんて、声にならない言葉で、訴えていたんじゃないかと。

しかしその後の会話で、ベラはあっさりと、ジェイコブにこんなセリフを言っちゃいます。

「あなたがそのimprint の相手に出会うのは、いつだと思う?」

いやー、ジェイコブが好きなのはベラなのですし。察してくださいって感じですね。ジェイコブの心の声は、「今目の前にいる君なんだよーー!!」と悲鳴をあげていたに違いありません。

ベラは少し鈍いというか、天然で残酷なところがあるので、エドワードとジェイコブを振り回しますね。読んでいて、オイオイ・・・(無言)・・・となる場面がいくつかありました。たとえばキャンプ地でエドワードと一夜を過ごす場面。

6月というのに季節外れの寒さ。寝袋の中で凍えているベラに、エドワードは為す術がありません。エドワードが近付けばもっと凍えてしまうから、彼は距離をおくことくらいしかできなくて。そこに颯爽と登場するジェイコブ。エドワードの気持ちなどまるで無視、さっさとベラの寝袋にすべりこみます。抗議するエドワードに、「(凍傷で)指をなくしたら、ベラはきっとお前さんに感謝するだろうね」とピシャリ。

エドワードが気の毒でした。自分の運命に苦い思いを抱いている彼なのに。自分にはない体温(温かさ)が、ジェイコブにはある。そのことを、こんなふうにみせつけることないじゃないかーと、最初はジェイコブを責めたい気持ちになったものの、いやいやこれって、元はといえばベラがはっきりしないせいだよなと。

ジェイコブの立場になってみれば、今までのベラの態度は非常に微妙なもので。エドワードが一番、エドワードを愛してるってことは確かに宣言していますけども、かといってベラは、ジェイコブを完全に拒んでいるわけではなく。気のある素振り(おそらくベラは親友として・・・と主張するでしょうが)を示しているから、ジェイコブとしても気持ちは揺れるわけで。

以前に変なメモというか、手紙みたいのを渡したのは人としてどうかなーと思いました。気持ちをふっきろうとしている相手に対して、惨いです。ジェイコブの手書きの返事を見ると、線を引いて消した文字に本音が表れているのがよくわかります。

消された文章で、まあ要するにジェイコブが何を言いたかったかというと、

>親経由で手紙寄こすなんて、小学生かよ!!

>俺が話をしたいと思ってたら、電話に出てるから。

>君は、俺じゃなく奴を選んだんだ。

>両方ってそりゃ無理だって。

>あんな奴のどこが・・・

>友達でいましょうって、そりゃ不可能。

>これ以上君のことを思うとつらいから、もう手紙は書かないで。

以上が、恐らく彼の本音。でもジェイコブはそんな思いを全部線で消した。

ベラに宛てた言葉は、こんな優しいもので。

>Year, I miss you, too. A lot.

>Doesn’t change anything. Sorry.

>そうだね、僕も君に会えなくて寂しいよ、とても。

>僕達の関係はなにも変わらない。ごめんね。

ジェイコブ、いい人だ・・・というか、気の毒だ(^^;

すっごく好きになった相手で、でもその人には恋人がいるんだからと。諦めよう、忘れようと必死になっているのに、離れたら急にその人がコンタクトとりたがって、親しい関係(でも恋人ではない。あくまで友達どまり)でいてくれと頼んでくるなんて。

追えば逃げて、逃げれば追う~♪ですかね。

頭の中では、CCBの曲が鳴り響いておりました。

しかしそんなジェイコブが凍えたベラの体を温めるのを、間近で見守らなくてはならないエドワードもかなーり、きつい立場だと思われます。私がエドワードなら、もういたたまれなくてその場を立ち去りたい。でも、自分にはベラを守るという責任があるわけで、もうこれは、引き裂かれるような思いでしょうね。どうしてこんなつらい光景を、目撃しなければならないの、という。

エドワードは、よかれと思ってしたこととはいえ、かつてベラを置き去りにしたという負い目があるので。こうした苦難にも耐え続けるんでしょうなあ。もう、けなげすぎて泣けます。

長くなりましたので、続きは後日。

『new moon』 Stephenie Meyer 著

『new moon』Stephenie Meyer著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。

new moon。新月というタイトルが意味深でした。新月。真っ暗な空。月のない闇夜です。

ベラにとって、エドワードが月だったのでしょうか?

エドワードが去っていくという衝撃の展開が、この巻のキーポイントですね。エドワードがいなくなった世界から、月の優しい光が消えてしまった。

エドワードが好んで聴いていた曲は、ドビュッシーの「月の光」でした。いかにもエドワードらしいなあって、そう思いました。偶然にも、これはベラの好きな曲でもあり。そういう二人だからこそ、惹かれあったんでしょうけど。

私はベートーベンの『月光』の方が好きです。でもドビュッシーの曲も、可愛らしくて軽やかで、目の前に情景が浮かんできますね。明るい月夜。森の中。

太陽のように肌を焼く明るさではなくて。でも青白い光は十分に明るく、美しく辺りを照らし出して。静かに踊りだしたくなるような、楽しい曲です。きっとその月の光の中では、妖精の姿も見ることができるような。

エドワードにとっては、人間だった時代に太陽が必要だったように、今は月の光に安らぎを求めているのかなあと思いました。

ベートーベンの『月光』って、なんだか悲しいんですけど。でもドビュッシーの『月の光』は、希望がみえる曲だなあって思います。あんまり深いなにかを追い求めたりせずに、ただ今あるこの瞬間に、身を委ねている、みたいな。月の優しい光が自分を包んで、そして自分は焼けおちることもなく、光の中にいることを許されている、みたいな。

new moon の表紙に描かれているのは、赤い血を吸い上げたように染まった、白い一輪の花。

これがまた、秀逸なセンスだなあと思いました。元はきっと、触れるのがためらわれるような純白の花。それが赤に染まるのは、なにか痛みを連想させて、無残にも思えるのですが。

でももう、一度その赤に染まったならば。きっと元の白には戻れない。真っ赤に染まった小さな花びらのかけらが、はらりと落ちていくのも意味深ですね。

5月の、咲いたばかりのつつじの白さを思いました。なんの傷も、色あせもない。柔らかなその花の白さを。いつも、つつじの咲く頃になると、その無垢な白さに心を打たれます。交通量の多い、複数車線の道路に沿って。それでも黒い空気に染まることはなく、まるで今朝開いたばかりのような、曇りのない白さを保ち続けるつつじ。

この巻では、エドワードがベラの前から姿を消します。その別れはベラをひどく傷つけますが、だからこそベラは自分がどれだけエドワードを必要としていたか、やっと気付いたのではないかなあと思うのです。

それまでのベラは、エドワードがベラを思うよりはずっと、低い温度で彼を思っていたような気がするのです。たしかに幾度となく、エドワードを慕う描写は続きますけれど。それを読んでもなお、私の心にはあまり、響くものがありませんでした。

初めて誰かを好きになった、ふわふわとした陶酔感のようなもの。単純に楽しくて、うれしくて。そういう、無邪気な子どもが喜ぶような感情の高ぶりを感じたのです。

対するエドワードは、さすが長く生きているだけあってベラよりはもっと冷静に、二人の関係を捉えていたように思います。そして彼はたぶん、ベラが大事だからこそ、去っていったのですよね。別れに関して、本当のことをベラに話そうとはしなかったし、できるだけ冷たい態度で淡々と。

>Don’t do anthing reckless or stupid

(無茶なことや、馬鹿なことはしないでほしい)

最後に、お願いがあるんだと切り出して告げたのが、この言葉。

エドワードにしてみれば、すがるような思いだったに違いありません。むしろこの言葉を口にすることで、逆にベラがそういった行動に出てしまうのではないかという危惧は、当然あったはずで。

でも、この言葉を言わずにいられなかった気持ちも、よくわかるんです。もう見守ることはできないから、不安で、心配で。この言葉をかけずにいたら、きっと後悔しただろうから。

だからこの言葉を、できるだけなにげないことのように、切り出したんだと思います。本当はもう心から、真剣に頼みたいという気持ちを抑えて。

もし真剣さを悟られてしまったら、その向こうにある愛情をベラは、きっと見透かしてしまうでしょうから。

エドワードにとっては、精一杯の優しさ。

自分がひどい奴に思われたり、恨まれたりするのはちっとも構わなかったはず。

早く自分を忘れて、普通の生活を取り戻してほしいと、それだけを願っていたはず。自分が考えられる最良の別れを、演じきったんだと思います。

そしてベラは、演技の向こうの真実を、見ることができなかった。

ここから先、延々とエドワードが出てこないので、エドワードファンの私としては悲しかったです。私は心のどこかで、「エドワードがベラを本当に置いていくはずはない」と思っていたので、ベラが聞いた心の声は幻聴ではなく、なにかエドワードの特殊能力の賜物で、本当に彼が語りかけているものだと、すっかりそう思いこんで、本を読み進めていましたね。

実際には、本当にエドワードは、ベラとの関係を完全に断ち切っていたわけです。それがどれほどつらい努力だったか。きっとベラ以上に苦しんだだろうなあと思います。なにしろ、眠らない、記憶が薄れない、吸血鬼なんですから。

そしてベラにとって、エドワード不在の心の隙間を埋めてくれたのは、他でもないジェイコブその人。

しか~し。私はジェイコブの気持ちがよくわからないし、彼に対するベラの態度にも、疑問を感じるんですよね。

だって、つらかったベラを救ってくれたのはジェイコブで。

それなのに最後の最後で、エドワードが危ないと知ったとき、ベラはジェイコブの懇願にも関わらず、家を飛び出した。ジェイコブを置き去りにして。

この時点で、普通だったらもう、ジェイコブは呆れ果てると思うんですよね。まあ、呆れ果てるとまではいかなくても、思い知ることは確実で。ベラが好きなのは、自分じゃなくて、エドワードだってこと。そりゃ自分のことだって、好意を持ってはくれているだろうけど、もしこれが逆の立場だったらね。

つまり、ジェイコブが危険に晒されていて、エドワードが「行くな」ってとめたら、きっとベラはエドワードの言葉に従って、ジェイコブを助けに飛び出すことはないだろうと。

つまり、完全な失恋状態だと思うんですよ。本当に心から、「行かないでくれ」って頼んだのに、好きな人がその場からいなくなったら。私なら諦める。もう仕方ないやって思う。それはその人の意志だし、その人にとっては、自分よりも大切なものがあるんだって、思い知らされたから。

なのにジェイコブはベラに執着し続ける。このへん、私にはよくわからない心境です。

ジェイコブはなにを見ているんだろう・・・。

そしてベラね。

もし私がベラの立場なら、もう今さら、どの面さげて、「これからも仲良くしてね♪」みたいなことをジェイコブに言えるだろうって思うんですよ。

誰かを好きになる気持ちは自由になるものではないから、ベラがジェイコブでなくエドワードを選んだっていうのは、これはもう仕方のないことで。だったら、せめてジェイコブが傷つかないように。その傷が浅くすむようにって考えないのかなあ。

ジェイコムと友達でい続けることなんて、どう考えても無理。離れた方がお互いのためなのに、どうして無駄な傷を増やすようなことをするんだろうと。ベラって天然で、残酷な部分があるんだなあ。

それは、ベラのこの言葉を読んだときにも感じました。

>How can she watch those people file through to that hideous room

> and want to be a part of that?

最後のthatの部分が、イタリック体になって強調されてました。

これ、どんな状況かというとですね。人間でありながら吸血鬼のヴォルトゥーリ一族の元で働いている、ジャンナという女性がいるんですけども。この人は何も知らない人間達が、吸血鬼の食事として恐怖の部屋へ(何も知らずに)連れて来られるのを平気で見ているわけです。それでもって、自分もthat(その)仲間になりたいと願っていると。

それを知ったベラが、「理解できないわ・・・」とばかりに、このセリフを叫ぶわけです。

thatがなにを指すのかによって、解釈は2つあるような気がします。「吸血鬼の餌食になることも知らずに連れて来られた人間たち」か、「その人間たちを残酷に食らう吸血鬼」か。

前者なら、ジャンナは、いつの日か自分が吸血鬼の犠牲者になることを望んでいる、ということになるし、後者なら、自分自身が吸血鬼の仲間になることを望んでいる、ということで。

これ、正解はどっちなんだろう? まだ日本語訳を読んだことがないので、正解がどちらかわからないですが、私はとっさに、「吸血鬼になりたがっている」と解釈しました。

そしてもし、この解釈が合っていたら、ずいぶん残酷なことを、無邪気に口にしていることになるなあと。

だって、目の前にはエドワードがいて。エドワードは人間を襲ったりしませんが、それは理性で抑えているだけ。本質的には、ヴォルトゥーリー一族と同じなわけです。それなのに、「あんなもの(化け物)になりたいだなんて、気がしれないわ!」と言っちゃってるわけで。

これは、もし自分がエドワードだったら傷つくだろうなあと思いました。ベラが、悪気があって言っているわけではないだけに、それが本音だとわかるだけに、ね。

もし前者の意味だとしても、それはそれで、エドワードにとっては微妙な心境だったろうと思います。「吸血鬼の餌食になるなんてごめんだわ!」と言ってるようなもので。なんというかその・・・非常に複雑な気分になっただろうと思われます。

エドワード、吸血鬼ですから(^^;もう、そのことについては、どうしようもないわけで。

自分の存在を否定されているような・・・。もちろん、エドワード自身が自分の運命を呪い、「魂を失った」とさえ感じているとはいえ、それをあらためて、愛するベラの口から聞かされると、これはね。

ともかく、いろんなことがあって、やっとまた巡り会えた二人ですけれども。一度別離の悲しさを知っただけに、ベラが必死にエドワードとの時間を確保しようとするところが泣けました。

寝ちゃったらもったいない。だって、ずっと一緒にいられるという保証はないから。

そんな気持ちで、疲れきった体にも関わらず、必死に眠気と戦ってる姿が、可愛らしかったです。

そして、飛行機の中。聞きたいことは山ほどあるけれども、今それを聞いたら、エドワードと一緒にいられる時間に終わりがみえてしまう。だからこそ、すべてを後回しにして、時間を稼ごう。シェヘラザードのように、時間稼ぎをするのだ、と決意するベラがいじらしかったです。必死に眠気と戦って、一秒でも、エドワードと過ごす時間を引き伸ばそうとする努力が。

エドワードは全く気付いていないだけに、ベラの気持ちがせつなかったです。

彼を見上げるベラの胸中に、共感しました。きっと、遠い人に見えたと思う。やっと再会して、こんなに近くにいても、どんなに優しくされても。またきっと去っていってしまう。そしたら自分は、今度こそ壊れてしまうのではないか、きっとそんな不安に苛まれて。

祈るような思いでエドワードを見ていたはずです。その目になにもかも焼き付けようと。そして、エドワードの心を、遠く遠く、感じていたのではないかと。自分の知らない世界をさまよう彼の視線の先を、必死に追い求めて。

new moon では、ロザリーの言葉も印象的でした。

ロザリーは、ベラが吸血鬼になることに反対票を投じ、その理由をこう告げたからです。

>…this is not the life I would have chosen for myself.

(これは、私が選んだ人生じゃないの)

>I wish there had been someone there to vote no for me.

(私のときにも、Noと言ってくれる人がいたらよかったのにって、そう思うから)

重い言葉です。ベラに対してはずっと冷たい態度のロザリーだったので、私は最初、あんまり好きじゃなかったんですけど。こういう肝心なときに、人の本当の心ってわかるんだなあと思いました。ずっと誤解してました。ロザリーはむしろ、いい人だったんだ。

彼女はたぶん、ベラを嫌っていたというより、巻き込みたくなかったんじゃないかと。人間として生きていく未来があるのに、なにも吸血鬼の世界に足を踏み入れなくてもいいじゃない、と。吸血鬼として生きることの苦悩を知るロザリーだからこそ、最初はベラを拒絶していた。

そしてたぶん、この反対票が無駄になることも知ってたんですよね。自分が反対しても、状況は逆に動くだろうって。ただ、ここで反対することが、彼女なりの精一杯の優しさ。彼女のみせた誠意なんだと思います。

ジェシカよりよほど、優しい人なんだと思いました。

new moon でみせた、ジェシカの態度は最低です。本当の友達って、相手が自分の思い通りに動かないからって、冷たくなったりはしないと思う。ジェシカのベラに対する態度は、読んでいて本当につらかった。まるで自分がベラになったようで、心が痛かったです。

次の巻、『eclipse』では、どんな物語が展開するのでしょう。

読み終えたらまた、感想を書きます。

『twilight』Stephenie Meyer 著

『twilight』Stephenie Meyer 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレを含んでいますので、未読の方はご注意ください。

映画『トワイライト~初恋~』の原作です。日本語訳はティーン向けの小説となっているそうですが(私はまだ未読)、この原作の方は、大人が読んでも十分に楽しめる内容だと思いました。

吸血鬼もの、というところにまず、私は心惹かれて本に手を伸ばしたんですよね。映画のタイトルに「初恋」とつくところがまた、せつなくて。

ヴァンパイアに恋した人間の女の子。それが初恋だったら、きっと泣けるなあと。ぜったい、叶うはずないし。でも初恋なら、どんな計算もなくただただ突っ走って、転んですりむいて、痛くて泣いて。それでも何度でも立ち上がって、その人の影をいつまでも追いかけるのかなあって。

日本語訳でなく原書を選んだのは、日本語訳のタイトルがまず、あまり好みではなかったからです。「愛した人はヴァンパイア」。う~ん、まあ、そういうお話なのだけれどあまりにストレートすぎて、う~ん。このタイトルだと、コミカルな香りもしますね。それと表紙のイラストが、やっぱり十代向けなので、私にはあまりぐっときませんでした。

ということで、原作本。これはまず、装丁のセンスが抜群です。『twilight』『new moon』『eclipse』『breaking dawn』の4冊で完結しているのですが、それぞれに描かれた表紙の画像が美しいのです。

すべての始まり、『twilight』は、赤いリンゴを両手でそっと包みこみ、こちらに差し出す誰かの腕を描いています。差し出す腕は白く、頼りなげで細いのですが、りんごだけが現実感のある赤さを放っていて。これは主人公の高校生、ベラの純粋な気持ちを表しているのかなあと思いました。

そこには顔も体も描かれていない。ただ腕しかないのですが、だからこそ闇の向こうに、読者は自由にベラを想像することができるのです。

読み終わった後に思いました。ベラはやっぱり、眩しいほどに若いのです。だから本当に、まっすぐなんだなあと。りんごを差し出す手に、迷いはないのです。逆に、自分がもしヴァンパイアのエドワードだったら、こんな風に気負いなくりんごを差し出されたら、その純粋さに感激するだろうなあって思ったのです。

私が一番心を打たれたのは、やはり本の最後の部分ですね。瀕死のベラを、必死で蘇らせようとするエドワードの描写です。

ベラはぼーっとした頭で、それを最初はエドワードではなく、天使の声だと思うのですが。

いかにも純愛というシーンだなと思いました。ベラはわりと達観してる部分のある女の子だと思いますが、いつもは冷静で本当はベラよりずっと長い時間を生きているエドワードのほうが取り乱して、乱れた感情をとりつくろう余裕もなく、ただただ彼女の生還だけを祈る。

この時点だけを取り出してみれば、相手へ向ける愛情度は断然、エドワード>ベラ です。

ベラの愛情は、このときにはまだ薄かったのか・・・その後はともかくとして、この時点ではあまり、エドワードに対する執着は感じられないような気がします。

>And please, please don’t come after him.

(お願いだから、彼を追わないでね)

ベラに万一のことがあれば、エドワードは怒り狂って「彼」をどこまでも追いかけるだろうに。それをどこまでわかっているのか、ベラはあっさり、上記のようなメモを残すわけです。そのへんの幼さが、なんとも言えません。たぶんベラ自身、この時点ではそこまでエドワードを想っていないのかなあ、とさえ思ってしまうような文章。

読みながら、「そんなの絶対無理でしょ」と、思わず心の中で呟いてしまいましたもん。目の前にありありと想像できましたよ。ベラを失い、自分に残されたエネルギーの全てを、復讐に変えるエドワードの姿が。怒りの蒼い炎がゆらゆらとエドワードを包んで、きっと彼は自らの存在意義を賭けて、ベラを奪った「彼」と対決したでしょう。決して、「彼」を許さなかったでしょう。ベラが懇願することがどれだけ無駄か、それがわかっていないところがまた、ベラの幼さだなあと。

ベラを失いかけたエドワードの悲痛な叫びが、印象的な『twilight』でした。しかしこれは始まりにすぎず、次の『new moon』では、また驚きの展開が、2人を待っていたのです。

ということで、『new moon』についてはまた後日書きます。私は、『twilight』以上に、『new moon』が好きになりました。

『永遠の仔』天童荒太 著

『永遠の仔』天童荒太 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレを含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

以前、中谷美紀さんと渡部篤郎さんでドラマ化されていましたが。児童虐待という重いテーマだと聞いて見る気になれず、この原作も、評判を知りつつも手が出せないままでいました。

今回読んでみて、やっぱり何度も読み返すのはつらい本です。

ただ、伝わるメッセージはあるし、登場人物一人ひとりに、考えさせられるものがありました。

病院の児童精神科に入院していた3人の子供達が、物語の中心です。

看護婦になった久坂優希。当時のあだ名は、ルフィン。

弁護士になった笙一郎、あだ名はモウル。

警察官になった梁平、あだ名はジラフ。

この中で最後まで一番救われなかったのは、やっぱり笙一郎ですね。せめて優希と一緒に生きることができたならよかったのに、と思います。

笙一郎はかたときも優希を忘れたことはなかった17年だったのに。顔を合わせても優希は最初、彼だとわからなかった、というところが二人の温度の違いで。

それでも、優希を本当に救えるのは彼しかいなかったと思うし、笙一郎を本当に救えるのは優希だったのに、それを知らずに彼は行ってしまった、と思うのです。

自分は資格を失ってしまったから。

そう思いこんで、優希に思いを残しながらも、ずっと遠くから見守ることしかできなかった笙一郎が、せつなかったです。

第三者的な立場から見たら、あの岩場での実行犯が誰だったか、それは、笙一郎がそこまで思いつめるほどの重大な出来事ではないのですが。でも笙一郎がそれをとてもとても大事なもの、と思いこんでいた気持ちは、痛いほどわかるのです。

きっと彼は、大切な人と交わした約束を破られる悲しさを、誰よりも知っていたから。約束の重みを知る人だったからこそ、自分を責めて、責めて。優希の目に映る自分を恥じもしただろうし、そのことに彼女が傷ついただろうと、心を痛めたんだろうなと思います。

結局、再会後の優希が好きになるのは、ジラフではなくモウルでしたが。これは当たり前ですね。モウルはいつも、優希のために献身的でしたもん。ジラフはそこのところ、ちょっと自分本位だったかな。

ジラフがモウルと優希に嫉妬するところで、げんなりしました。

うーん。それは正直な気持ちではあるかもしれないけど、あからさまにするのはどうよ、と。これがモウルだったら、心中はともかくとして、決して自分の嫉妬心をあらわにはしなかっただろうし。まして、その嫉妬を相手に悟らせて、気持ちの負担になるようなことだけは、絶対に避けようとしただろうなあ。

二人を、ことに優希を幸せにすることが、モウルの望みだったろうから。

私は、モウルが優希を家に泊めたシーンが、印象に残っています。

もう本当に、痛々しいほど気を遣って、彼女をお姫さまのように大切に、大切にするのですよね。

彼女が家に泊まるんだから、ということで、自分は家を出て。

目覚めた頃に、着替えを持って現われて、それからまた出て行こうとして。

脱衣場で、モウルと優希が見つめ合うシーン。

優希の気持ちがわかるような気がしました。

なんでそこにモウルがいるのか、とか、そのときは、そんな疑問なんてきっと、全然なかっただろうな。認めてほしい、というただそれだけで。

ただ真っ直ぐに、ちゃんと見つめてくれればそれでよかったのに。モウルが目を落としたのを、見捨てられたように感じたと思う。

そしてモウルも。この辺の描写がとてもせつないですね。

混乱していた、というのも無理のない話で。「自分には資格がある」とモウルが思っていたなら、違う展開もあったと思うのですが。「資格がない」と思いこんでいるからこそ、モウルは優希に立ち向かえないのだと。

もちろん、傷つけるつもりなんて全然ない。むしろ、傷つけないために、自分は去らねばならないと思いこんでいる。

すれ違ってばかりの二人を、もどかしく感じました。

私は物語の中に登場する、奈緒子が嫌いですね。

ジラフがやったこともずいぶん大人げないと思うけど、そういう人を選んだのは自分の責任もあるんじゃないかなと。

無理やり一緒にいたわけじゃない。行為の結果がどんなものか、そんなことを知らないほど子供でもなかっただろうに。

奈緒子は寂しかったんだとは思います。だけど、だからって人を巻き込んじゃいけない。まして、あんなにひどい経験をしてきた、奈緒子よりよほど傷ついてるモウルに、罪を重ねさせるようなことをするなんて。

優希を憎むのも、筋違いな話だと思いました。

人の心がどう動こうと、それを思い通りにしようとするほうがおかしい。誰を好きになろうと、そんなものはその人の勝手なわけで。

ジラフの心に優希がいる。それが嫌なら、別れたほうがいいです。優希を好きなジラフを丸ごと受けとめられないなら、本当にジラフが好きじゃないんだと思う。

それに。きっとジラフは奈緒子を好きじゃないですね。

ただひとときの慰めというか、一人でいるよりもましな気分になれるから、一緒にいるんだと思う。

たとえ、少年時代の優希への思いをいつまでも大切に抱えていたとしても。奈緒子と本当に恋人同士なら、とっくに結婚していたでしょう。そうしないのは、奈緒子とは「違う」んだって、ジラフがわかっていたからだと思います。

奈緒子を見捨てられず、引きずられたモウルが可哀想でした。

奈緒子は電話でモウルを呼び出しましたが、そういうことをするのは本当に、卑怯です。呼び出すなら、同性の友達か、もしくはカウンセラーにかかるべきです。

最後。モウルが描いた結末は、モウルなりに最良の結末だったのかもしれません。もう抱えきれないほどのものを背負っているのがわかったから、私は他にどうすればよかったか、なんて思いつかないのです。

モウルはがんばったんだと思います。がんばってがんばって、それでももうどうしようもなかった。だから。

優希の気持ちに気付かず行ってしまったことだけ、残念でした。知っていたらきっと、すごくうれしそうに笑ったんだろうなと、思います。

『RURIKO』林真理子 著

『RURIKO』林真理子 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

この小説が、浅丘ルリ子さんをモデルに書かれたということに、読んでいる途中で気付きました。有名なスターの名前がそのまま、たくさん出てくるので興味深かったです。

今回初めて知ったことが2つ。

その1。浅丘さんが石原裕次郎さんを好きだったということ。

その2。浅丘さんが、美空ひばりさんと結婚する前の、小林旭さんとつきあっていたということ。

この2つ、今まで全然知らなかったです。というか、浅丘さんがモデルだとはっきりわかるような本で、この事実を公表してしまっていいのか?と、人ごとながら心配になったりして。当時、噂としては、皆が知っていることだったんだろうか。

当然、浅丘さんが文章に目を通した上で、出版されているんだとして。このインパクトはすごいと思う。週刊誌が書くのとは、全然違う。

今までの人生を振り返って、ふと。自分の歩んできた道を、本という形で残すのもいいかもしれない、そんな気持ちになって、林真理子さんの取材に応じたのかな? 読んでみた私の全体的な印象としては、「裕次郎さんへのラブレター」、です。

最初は、よくある憧れというか、初恋みたいな。そんな淡い気持ちだと思ったのですが。浅丘さんの人生の中の、一つのエピソードにすぎないと思ったその出会いが、その後、こんなにも彼女の心に残るものとなるとは。本の中で、裕次郎さんと出会った後の浅丘さんの心には、常に裕次郎さんの影が寄り添っていて。繰り返し繰り返し、消えない気持ちと、葛藤しているように思いました。

裕次郎さんの奥様は、女優だった北原三枝さん。

この本を読んだら、気分を害してしまわないだろうか、と、ちょっと心配になったりして。私が北原さんの立場なら、正直なところ、あまりいい気分にはならないと思う。

もちろん、浮気したとか、そういうことではないけれど。むしろ、思いは哀しいくらい、浅丘さんの一方通行で。裕次郎さんの心は、北原さんにあって。

だけど、読んでると迫ってくるものがあるのです。ああ、そうか。本当に好きだったんだなあって。きっと浅丘さんが今までで一番好きになって、忘れることができなかったのは常に、裕次郎さんだったんだろうなあって。

同じ俳優の仕事をしていて、共演することもあるわけです。手を伸ばせば、ぶつかるくらいの距離にいる。だけど、永遠に届かない、その苛立ち。

すぐ目の前には、北原三枝さんもいる。近い距離。

浅丘さんはきっと、裕次郎さんを眺め、寄り添う北原さんを眺め。いったい、自分と北原さんの違いはなんだろうと、不思議な気持ちになったのではないでしょうか。北原さんの位置に自分がいても、おかしくはないのに。こんなにも願うのに、と。

浅丘さんと裕次郎さんが映画の撮影でアフリカに行き、満天の星を眺めるシーンの描写が、とても美しかったです。

浅丘さんにとって、一番心を許せて気楽だったのが小林旭さんで。逆に、ずっと憧れ続け、怖れにも似た気持ちで慕い続けたのは、石原裕次郎さんだったのかな?と思いました。