『MAGICAL WORLD』鬼束ちひろ を聴いて

HP作り、なかなか進みません。6月中の完成を目指してますが、どうなるかな~。

PCに向かいながら、作業中に聴いていたのが、鬼束ちひろさんの『MAGICAL WORLD』です。ゆっくりとしたテンポの、穏やかな曲。聴いているうちに、だんだん鬼束さんの世界に引き込まれていきます。

『月光』をかいたのと同じ人が、この曲を書いたのだとは思えないです。『月光』は、棘を感じる曲だと思ってました。全身を鎧で固めて、猫みたいにフーって唸りながら警戒してる感じ。全然信用してない瞳に、射すくめられるような。

対するこの『MAGICAL WORLD』はすごく、弛緩のイメージがあって。ゆるーく進んでいく道を想像します。。いろいろあって、ここにいます、的な女性が、寂しく笑ってる感じがする曲です。

わかりあえないもどかしさが伝わってきますね。

想像ですけど。この女性の目の前に、好きな人が座っててですね。なにかの話の途中で、小さく笑うんです。もうね、胸がキュンとするような、女性にとってはものすごく破壊力のある笑顔なわけですよ。
でもね、その人はその瞬間、その女性には入りこめない、過去に思いを馳せてしまっていて。

女性にはそれがわかっちゃうんです。
それで激しく過去に嫉妬するんだけど。でもどうしようもないですね。なんだそりゃって話ですもんね。例えばこんな、です。

☆今なに考えてた?
☆ん? 別に、なにも。
☆教えてよ。
☆なんだよ、なんにも考えてないって。

うわー、恐るべし痴話喧嘩って感じですけども。
二人で勝手にやっとれ!という突っ込みをいれつつも、なんかこういう瞬間の寂しさみたいなものには、共感を感じてしまうのであります。

その人の目を、一瞬走った懐かしい光。ああ、私の知らない過去を振り返ってるんだなあって。それで、当たり前だけど、その景色の中に自分はいなくて。これからだって、そこに自分の居場所なんてないわけです。だって過去だから(笑)

その人が回想する、自分のいない世界、というのは。入りこめないだけに、美化されて、とてつもなく甘美で。

女性は思うのではないでしょうか。
私じゃない誰かが、やっぱりこの人の横顔を眺めていた時間があったんだろうなあって。
綺麗だなあって思いながら、愛しさで胸がいっぱいになりながら。

その人の指は、この人の頬に触れたのかな。そしたら彼は、どんな顔して振り返ったんだろう、なんて。突然のことに驚いて。照れながら? 少し嬉しそうに?

誰かを好きになっても、その人の過去をすべて、自分のものにすることはとても難しい。その人と同化したいと思っても、いったいどうしたらそんなことが、可能になるんだろうか、なんて、狂おしく答えを探してみたり。

結局、人を動かすものって、優しさ、温かさ、真心ではないかと。

外力では変えられないです。
心だけは、自由なものだから。圧力で偽りの言葉を吐かせても、心だけは取り出すことができないから。何を思おうと、どう考えようと、それは自由なわけです。

私が今でも強烈に覚えている瞬間があるんですが。
昔、優しい言葉をかけられたときに、こらえていたものが決壊して号泣したことを。その瞬間の、「優しい言葉のほうが、気持ちに深く突き刺さるんだ」という新鮮な驚きのようなもの、その衝撃は、今も心に残っています。

人前で泣くほど、恥ずかしいことはありません。なのに、単純な優しい言葉を、ほんの少し聞いただけで。そのときの私はあっけなく、泣いてしまった(^^;

泣かせようとする圧力には、どれだけでも抵抗しようと思っていたのに。その自信もあったのに。

優しさの前には、どんな鉄壁を築こうとも、無駄なんですね。本当に真摯にその人を思えば、その気持ちが通じないはずはない。届かないはずはない。

温かさには敵わないです。

私の勝手な想像ですが。この曲の主人公は、絶望的な片思いをしてるんではないかと。だから、寂しいんだと思います。

少しでも可能性があれば、自然と、良い方へ良い方へ解釈しますからね。その可能性を、強引にでも探っていくのが恋愛の常。普通なら、楽しいですもん。想うだけで。その人のことを考えるだけで。

だから、想うだけで寂しさがこみあげるような恋愛は、もしそれが片思いでないなら、たとえ両思いでも決して結ばれることがないとわかっているケースではないでしょうか。

終わりの見えている関係なら、寂しいという感情しかわかないかもしれません。自分の気持ちすべてが、いつか消えるしかない、無駄にしかならないとわかっているからです。
それでもどうしようもなく、愛しさがこみあげて、その人のことを考えてしまう・・・そういう状況なのかなあ、この曲。

やめとけやめとけ、と傍観者の私は思います。 近付けばそれだけ、別れがつらくなるものです。それがわかってて、どうしてキスを欲しがるんだか、そして自分もするんだかって話ですよ。

ひとのように振舞えないっていうのは、私じゃなければ幸せになれるのに、ごめんねってことですかね。拡大解釈すぎるか? それでも絶望的に、キスしたいのか。不幸になるの、わかってて。

穏やかな曲ですが、その果てにあるものは、「独りでの旅立ち」のように思いました。

この世界はいったいなんなんでしょうね。すべては夢のようでもあり。気がついたらここにいた。証明もできなければ、説明もできない。でも毎日が過ぎてる。過去もあり、今もあり、未来もある。

ああ、本当に世界って、なんだろう。とか。夜中に考え出すと果てがないので、もう寝ます(^^;

『そして僕は、途方に暮れる』大澤誉志幸

大澤誉志幸さんの『そして僕は、途方に暮れる』を聴いています。

淡々としたメロディーと歌詞が良く合っていて、しんみりした気持ちになりますね。

虚無感が、短い言葉からひしひしと伝わってくる感じで。

怒りというより、悲しみというより、虚脱のイメージ。

白い部屋で、ぼーっと足を投げ出して壁にもたれて。

ただ時間が過ぎるのを感じている、そんな絵が浮かびます。

言葉がすごく、気になる。何度も何度も、反芻してしまう。

そういうことって可能なのか?という疑問と、それなら確かに、世界はバラ色になるなあっていう期待みたいなものと。

独特な世界観。

ちょっとその発想、ドキドキするのです。

どんな気持ちで言ってるんだろう、と想像してみたり。

どういう、別れの状況なんでしょうね。

出て行った人の背中が、あんまり寂しそうで、悲しませたことを詫びる気持ちがあり。つらい思いをさせた年月を思い出して、だから明るい未来をその人に願うのか?

そこにはちょっぴり、投げやりな気持ちも、それから彼女に対する、意地悪な気持ちも感じてしまう。

君が描く理想世界なんて、どこにもない。

できるというなら、やってみればいい。

きっとそのときに、僕との生活を懐かしく思い出すだろうよ。

こんなことを思っていそうなのです。

だとしたら・・・意地悪だな(^^;

でも、そういう強がりを言ってる本人の痛み、みたいなものも伝わってきて。この人も無傷じゃないんだろうなあっていう。

呼吸するたびに胸が痛くて、その人の不在がこれから永久に続くんだと思うと耐えられなくて、その一呼吸ごとが、すごく胸に響いて。

大丈夫かな?と思うんだけども、大丈夫もなにも、ただそうしているしかない、乗り越えるしかない、せめて別れ際には優しい言葉をって。そう思った、残される側の人間が搾り出した、最後の優しい言葉。別れのメッセージのような。

切れた絆を、いなくなった静寂で確かめて。

まるで自嘲するみたいに呟いて。

本当はこれ、出て行く人の背中にかけた言葉じゃないのかもしれないと、そう思います。

誰もいなくなったときに、自分自身に呟いたのかも。

本当に出て行くときには、言葉にすることさえできなくて。黙って見送るしか、できなかったのかも、と想像しました。

曲が、変に盛り上がらないところもいいんですよね。

ただ、流されていく感じで。ドラマチックな出来事なんてなにもない。

ふっと、居るべき人がいなくなってしまった日。不意に空白ができた、というその事実だけを、ありのまま受けとめているようで。

さりげなさが、胸を打つ曲です。

『マスカレード』安全地帯

玉置浩二さんが、青田典子さんと熱愛だそうです。そして石原真理さんが、怒っているみたいです(^^;

『マスカレード』を聴きたくなって、このところずっと、そればかり聴いていました。

これを聴くと、当時の石原真理子さんの姿が蘇るのです。あの不倫会見、涙を流しながら、ひるむことなく報道のカメラの前に立っていましたね。とても印象的で、そのときの映像が心に残っていました。

この曲、あの会見のときの石原さんのイメージに、そのまま重なるんです。

強そうで、でも悲しみをいっぱい抱えてて。気丈に見えても、繊細さが透けて見えて。そしてなにより、薔薇みたいに綺麗な人だったから。

バラかあ、と、あのときの映像を幾度も、思い返していました。大人に見えても、石原さんはまだ二十代前半。穏やかな恋愛ではなく、周りを傷つけ自分たちも苦しんで、だけどその恋愛が、あの頃の安全地帯の名曲を生み出したのかなあと。

映像ではなくて、そこに背景や物語を感じるのです。

薔薇の嘘は、身を守るとげにすらならない。薔薇を見守るその人は、薔薇が弱ったところに甘い言葉を囁いたような。

自分の胸に飛び込んだら、破滅しかないよと、暗示しているんですかね。それでもおいでと誘っている。そこには十分な自信を感じます。

逆らえないのをわかっていて、おいでって言う。

相手の心が自分にあることを、十分わかっているから断られることなんて想像もしてない。

薔薇の大好きなその目で、じーっとみつめて、おいでって言う。ただし、選択はあくまで薔薇の自由意志。決して無理強いはしない。

不幸をわかってて、それでも薔薇はふらふら、歩いて行ってしまうんだろうな。

それを見て、ちょっとだけ皮肉に笑う人の姿まで、イメージできてしまう。

皮肉な微笑。やっぱりね、ほら思った通りっていう。

おいでって言ったくせに、薔薇が来ても別に、嬉しそうな顔もしないし。

この曲、結構サディスティックな香りがします・・・(^^;

それでもって、タイトルはマスカレード。うーん。意味深ですねえ。

薔薇がつく嘘は、そのまま仮面であり、それによって身を守ろうとしたんでしょうか。傷つかないように。薄いバリアの仮面があれば、むきだしの自分を見せなくていいから。

この冒頭から、気がつけばもう、安全地帯ワールドにどっぷりです。

この入り方って、気付いたときにはもう遅い、その独特な異世界に迷い込んじゃってた、みたいな感じなんですよね。扉は背後で、音もなく閉まり。帰る道はもう、失われてしまって。そのまま歌の描く世界に引き込まれてく。

その人は。自分の知らない世界に心が飛んじゃってる人を、綺麗だなあってみつめてる。そしてその人と同じものを、自分も見たいと願っている。

実際にはその人のいた場所には、行けるはずもなくて、ただ想像することしかできないもどかしさ。好きになれば、全部を共有したくなりますからね。

過去を指すのかなあと思いました。

辿ってきた過去の、ある一場面。そこに思いをはせているのかなあと。体はそのまま、魂がトリップしちゃってるみたいな。

今、回想するその人の横顔をみつめながら。その人の目の前にある景色を、自分も一緒に共有したいという、強い思いを感じるのです。

『あの頃へ』安全地帯

『あの頃へ』安全地帯、玉置浩二さんの曲を聴いてます。

家へ帰る途中、神社の脇で微かに、金木犀の香りがしました。

空を見たら満月。すこし離れて金星がキラキラ光っていました。角ごとに、あちこちから虫の音が聞こえて。なんだかこの季節は、胸が痛いですね。わけもなく、感傷的な気分になります。

閉園後の公園の芝生で、寝転がって星を見たいです。

虫の声を聴きながら、空を見上げたら、不思議な気分になれそう。

11月のしし座流星群、公園の芝生の上だったら、ほぼ360度、空全体を見ることができるのになあと。

公園じゃなくても。廃屋の庭でもいいなあと夢想してます。

大きなお屋敷の、日本庭園なんかも素敵。月が池に映って、ときおり跳ねる鯉が水面を揺らして、風が涼しくて、想像すると泣きたくなります。なんだろう、この感覚は。

玉置さんと石原真理さん(改名して「子」をとったそうです)が破局とのニュースを聞いて、思わず石原さんのブログを見に行ってしまいました。

世界をめぐる新婚旅行の途中。ある島で、玉置さんは『あの頃へ』が、石原さんを歌ったものだと語ったそうなのです。

なんてロマンチックな告白なんでしょう!!

でもどこかで、やっぱりねー、と納得していました。

当時、玉置さんは結婚していましたから、奥さんを思って歌った曲だという解釈だって、可能だったわけですが。

初めてこの曲を聴いたとき、やっぱり石原さんのことを思いましたから。

奥さんじゃないだろうなあって、それはわかってました。

もしこれが奥さんだったら、曲にはなってなかったような気がするのです。もし奥さんであれば。思い立ったら、すぐその手をとって列車に飛び乗って、二人でそこへ向かうことだってできたんですから。

解釈は、人によって違うとは思いますが。

玉置さんが、懐かしい景色を見せたかった相手は、きっとそれが叶わなかった相手なのだろうと。もうそれができない相手だとわかっているからこそ、歌になったのだろうと思いました。

芸術作品て、基本的にそういう要素があるのではないでしょうか。相思相愛の相手がいたら、そこだけで完結すると思うのです。語り合って、わかりあって、二人の中で完結すれば、それをあらためて、形にする必要性がなくなるというか。それだけで、十分幸せだから。

満たされない思いとか、届けたい気持ちとか、そういうものが、いろんな形で結晶化したものが、作品なのかなあという気がします。

ちなみに、作詞は松井五郎さんなので、玉置さんが直接詞を書いたわけではないのですが。

でもあのメロディがなければ、あの詞もなかったでしょう。

不倫でバッシングされているとき、石原さんが一人で記者会見していて、泣いたのがすごく印象に残ってます。あのときの玉置さんには幻滅してしまいました。どうして好きな人を矢面に立たせて平気なんだろうと、不思議でした。

不倫はいけないことだと、石原さんもわかっているんだろうなと、それを感じさせる会見でした。

当時の石原さんは大人っぽくみえたけど、まだ21歳だったわけで。それを考えると、やっぱり玉置さんの責任は大きいなあと。それだけ若い子に、強引にせまった既婚者の男ってどうよ?と思うわけです。

不倫で大騒ぎになって、結局玉置さんは離婚して。

じゃあ二人は結婚するのだろうかと、当時世間ではそれを噂したものですが、そのまま別れてしまった。

今年になって電撃結婚したのは、二人とも、嫌いになって別れたわけではなかったんでしょうね。

ただ穏やかに、仲良く暮らせたらいいねえ、と思っていましたが、無理でしたか・・・・。

でも、玉置さんや石原さんは激しい部分を持っている人だと思うので、ひどく傷つけあう前に、お互い納得して別れたなら、これでよかったような気もします。無理して一緒にいても傷つけあうだけなら、早く決着をつけたほうがいいと思うし。

いろいろあった末で、やっと結婚(実際、入籍してないという話もありますが)できたのだから、その点では、お互い気持ちの上で、満足したのではないかと。

『碧い瞳のエリス』『熱視線』『マスカレード』、あの頃生まれたいくつもの名曲の中に、二人の幻が透けてみえるような気がします。作品の中では時間がとまったまま、永遠に幸せな二人がいるのでしょう。

運命のカップルだったとは思いますが、運命のカップルがそのまま、夫婦として幸せに添い遂げるとは限らないのですね。ハリネズミのジレンマを思いました。

『スーパースター』東京事変

今日は、東京事変の『スーパースター』をずっと聴いてました。東京事変といえば、椎名林檎さん。この曲は、椎名さんがファンであるイチローさんを想って作った曲だそうです。

疲れたときに聴くと、元気がでてくる曲だなあと思いました。今週はかなり忙しくて、家に帰れば寝るだけの毎日だったんですけど、土日にこれでもかとばかり睡眠をとったら、すっかり回復して。

わかりますーと、曲を聴きながらうんうん、とうなずいてしまう。自分を誇れないうちは、逢いたくないですよね。その人の目に映る自分を、恥じてしまうから。それくらいなら、逢わない方がいい。というか、もし万一逢ってしまったら、私は逃げ出してしまうでしょう。全速力で。

強くなりたいなあと。

もうこれは、ずっと昔から思ってたなあ。今だ発展途上です。心も体も、強くなりたいと願い続け、努力もしてきた。でもまだまだ、足りないなあって、自分で思う。

強い人は、美しいです。尊敬します。

強くなければ、優しくなれない。

優しい人はみんな、強さを持った人です。だから他人のために、手を差し伸べられる。

考えてみると、私が今まで好きになった人はみんな、とても強い人だった。その人の視線に戸惑い、憧れ、そして、自分も同じだけの強さを持ちたいと、目標にしてきたような。

「僕らの音楽」という番組で、椎名林檎さんと対談したイチローさんは、「スーパースターって言葉は大嫌いだけど、スーパースターの前に『私の』ってついてたのがよかった」、みたいなことを話していました。

大嫌いって言葉を、とても強調していて。激しい嫌悪感をにじませて。でも、「私の」ってついていたから・・・と。

この感覚、すごくわかるような気がします。

万人のスーパースターじゃなくて。求めるのは、「私の」スーパースターなんですよね。

憧れるだけじゃなくて、少しでも恥じない自分になりたいっていうその感覚。

スーパースターも、きっと自分自身と戦い続けた人で。だから、たやすく口にする「スーパースター」という軽い響きには嫌悪感を覚えるけれども、「私のスーパースター」になれば、話は別で。

きっと、イチローさんにも、誰かを目標にがんばってきた過去があって。だから、椎名林檎さんが「私のスーパースター」に捧げた曲を、がっしり受けとめたのかなあって。遠い昔の自分を見るように。

明日もがんばろうって、そう思える曲です。