ドラマ『二千年の恋』 感想

 ドラマ『二千年の恋』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでいますので未見の方はご注意ください。

 2000年に放送されたドラマです。当時は全く興味がなく、本放送は見ていませんでした。そもそもタイトルに「恋」が入ってる時点で、見る気は失せます。安易すぎる…愛とか恋とかいれときゃ、一定の視聴者は食いついてくるとか、そういう意図があったのかな。

 タイトルも、それから国際スパイものだという設定も、陳腐すぎて当時全く興味をそそられませんでした。

 そしてあらためて2014年、このドラマを見て思うのは、やっぱり荒唐無稽だなーと。
 あまりにも現実離れしていたり、つじつまがあわないようなことが多すぎて、冷めた目で見ていました。主人公である金城武さん演じるユーリと、中山美穂さん演じる理得(リエル)が、どちらも美男美女、美しいというところだけが見所で。

 私はコッテコテの恋愛ドラマって決して嫌いではないのですが、それなりに真実味のあるお話でないと、物語に入りこめないんですよね。いくらドラマとわかっていても、ちゃんと説得力が欲しいのです。ユーリは国際スパイという設定でしたが、もしこれが現実の話なら、理得がらみで不用意に勝手な行動をとるユーリは、お話のもっと最初の方で同胞から危険視され、命を奪われていたような気がします…。

 スパイが情報収集のために近付いた相手と、恋に落ちる。これ、絶対に許されないことでしょう。一番危険なことでしょう。私情が任務を左右するようになったとき、それを許しておくほど、組織は甘くないのではないかなあ。
 だから、理得を守ろうとユーリが彼女をホテルに匿ったとき、請われて一晩彼女と一緒にいたとき、もうその時点で、ユーリのボスはユーリを許さなかったと思う。決定的すぎる。
 連絡もなく、長時間行方不明になっちゃったんだから。仕事中のユーリが。

 理得をどうこうしたところで、不信はぬぐえないはず。もうユーリそのものに対する信用がゼロで、ユーリは即刻、仲間から殺されてもおかしくなかったと思います。

 二人きりで、いろいろ素直に話すシーンはロマンチックでしたけども。現実味はまるでなかった。そんな時間を過ごせば、もう、何事もなかったかのように、ユーリは仲間の元に戻れるはずなんてないのに。そのことに対するユーリの覚悟が、見えてこなかった。

 そもそも、ユーリがスパイっぽくない…。
 それは最初から思ってました。金城さんが気のいいお兄さんにしか見えないから。スパイの凄みも、陰も見えなかった。
 どうしても隠しきれない人の良さが、金城さん演じるユーリにはありました。お気楽なあんちゃん。のんきで楽天的な自由の国の好青年に見えました。むしろ。

 だからどんなに、ドラマでユーリの運命の過酷さを説明されても、どこか遠い出来事のようで。その重さを、実感することはできませんでした。

 ところがです。このドラマで私が心を奪われてしまったシーンは、最終回の最後の最後に出てきたのでした。

 それは、家族全員を国に殺され、弟も父もその手にかけたという壮絶な人生をいきたユーリが、理得を人質にとられ、究極の選択を迫られるシーンです。

 そのときのユーリの表情は、忘れられないものでした。
 fayrayさん演じるナオミは、爆弾のスイッチを、人質にとった理得の心臓の前にかざします。スイッチを撃てば、理得を撃つことになる。ユーリは撃たないだろう、とナオミは確信しています。

 ユーリの目から涙が流れて。ユーリは理得を撃ちます。そのときの表情が凄いのです。ナオミに対する怒りや苛立ちではなく。静かな哀しみが、涙と共に流れて。

 理得がそのとき、スコープ越しに小さくうなずいたのを。「撃って。たとえ私が死んでも、みんなを守って」という彼女の心の声だと、ユーリが解釈したのであろうことは容易に想像できますが。
 なんだか、その前に、ユーリは理解してしまったような気がしたのです。理得の意志がどうであれ、ユーリは撃つことをもう決めていたように思います。ナオミは絶対に引かない。二択しかない。なら答えはひとつだと。

 もちろん、理得が暴れて、撃たないで、死にたくないと抵抗するのを目の前で見たら、ためらったかもしれないですが。理得はそんな女性ではありませんし。

 理得と生きる、新しい人生なんてどこにもなかったんだと。人質にされた理得を見たときに、誰よりも早く深く、ユーリは悟ってしまったような気がしてならないのです。だからこその、哀しみの涙だったような。全部わかってしまい、悲しい結末がすぐそこにあることを知っての涙。

 ドラマで映像として描かれた、荒唐無稽な過去よりも。もっとたくさんの、もっと苦しい出来事が、どんなにかユーリにはあったんだろうと、そう思わせる表情でした。表現が大げさでないぶん余計、心にしみました。
 ユーリの過去が、垣間見えたようで。

 

 自分の銃弾が、多くの人の命を救う一方で。大切な相手の命を奪ってしまう。ユーリの苦悩。彼女を失えば、自分も生きてはいけない。私はユーリの指にかかる引き金の重みを、まるで自分のことのように感じながら、画面に見入ってしまいました。

 その後がまた、ユーリらしくて。撃ったのは自分だから、彼女が確実に死ぬであろうことも、誰よりもわかっているわけです。そしてふらふらと、放心状態で理得の元へ歩み寄り、警官隊に撃たれて理得の横に崩れ落ちるのですが。理得のすぐ横であっても、決して理得の上に倒れないところがまた、ユーリの優しさであると思いました。

 最後なら、普通は触れたいと思いませんか。顔でも手でも。抱きしめたいと思えば、理得に覆いかぶさるようにして崩れ落ちてもおかしくないと思うんですよね。でもそしたらきっと、痛いし重い。だからこそ、わざと、真横に倒れて。それで理得のことを見るんですよ。

 許しを請うように? 救いを求めるように? 理得が目を開けて、視線が合ったら、ユーリは一瞬だけかすかに笑って、すぐに目を閉じて。この、微笑すれすれの演技がすごいと思いました。
 実際には表情は笑ってないかもしれないです。でも見えるんですよね。笑ってるユーリが。

 演出もすごいし、それにぴったりはまったのが金城さんだったと思います。

 ただ、理得が妊娠していたという後日談は蛇足だと思いました。う~ん、本当にこのドラマ、そういうところがやりすぎというか、陳腐というか。むしろ、そういう設定はない方が、二人の最後にはふさわしかったと思います。余韻が台無しになるといったら、言いすぎかな。

 このドラマ、最後の金城さんの演技が、しみじみと心に残ります。全11話ですが、最後の表情にやられました。それまでの10話の物足りなさが、ふっとんでしまう勢いです。

ドラマ『ガラスの家』 主題歌が頭の中を、いつまでもぐるぐると。

 後を引く、そして噛めば噛むほど味の出るスルメのようなドラマ、『ガラスの家』。あらためて、全話を見ました。不思議な余韻を残すドラマです。
 第4回を見て、もういいや~と思ったのになあ(^^;

 見逃していた初回も見ました。なんだか、テイストが思いっきり昼ドラの際どいもので、実は初回が一番、大人向けだったような気がします。じっくん(斎藤工さん)のセリフが、凄かったり。NHKのドラマじゃないなあと。
 私は最初、この作品を2回目から見始めて、ずいぶんアダルトなドラマだと思ったけど、アダルト度は1回目の方が上でした。怪しい雰囲気に包まれております。

 まあ、無理ありますよね。男所帯で3人家族のところに黎ちゃん(井川遥さん)がお嫁に来たら。そりゃあ、ひと波乱あって当たり前です。というか、息子二人は成人してるんだから、家出ること考えないとな~。私が仁志や憲司(永山絢斗)さんだったら、迷わず家を出ますけどね。自分自身の心の平穏のために。
 大豪邸で部屋の物音が一切聞こえないくらいの、お城みたいな構造ならともかく。あの家で同居は無理。絶対無理。

 そういえば今日、美容院で雑誌『VERY』の12月号に出てた井川遥さんの特集記事を見たんですが。綺麗だったなあ。特に4枚目。

 井川さんは、キメキメのドレス姿より、なんでもないラフな格好の方が、美しさが際立つような気がします。
 その記事、たしか4枚目の写真ですね。大き目のニットに、デニムパンツ、フラットシューズという姿が、はっとするほど魅力的でした。もしこの場に仁志がいたら。この姿の黎さんが笑顔で駆け寄ってきたら、そりゃあもう受け入れてしまうだろうなあと。そう思わせる、輝きを切り取った写真でした。

 このドラマのことを考えてるときに、井川さんの載った雑誌をたまたま手にとるだなんて、これはもう、ブログに感想かかなきゃなと思ったので、書いてます、今(^^)そしてドラマを見直してみて、斎藤工さんのかっこよさに陥落。

 いや、違うな。斎藤工さんではなく、斎藤さんの演じる仁志が、素敵なんですよね。仁志の生真面目さと優しさに、うっとりしてしまう。

 私は特に、ドラマ前半部の仁志が好きですね。モラハラ夫のかずさん(藤本隆宏)が黎ちゃんを理不尽に責め立てるとき、反射的にさっとかばうところがいいのです。もう、計算とかじゃなく、言葉や体が勝手に反応してるみたいなところが。この人を守らなければ、という隠しきれない思い。そして、いちいちそれに苛立ち、さらに嫉妬をつのらせるかずさんの姿が、ドラマを盛り上げます。

 かばった場面で、一番心に残ったのは、かずさんの誕生祝いの夜。

>いい気になるな

 かずさんがえらい勢いで黎ちゃんを怒鳴りつけます。見てる私も、一瞬ひるんでしまうくらいの怒声。
 自己主張する黎ちゃんを、力で抑えつけようとする姿は醜い。私はこのとき、かずさんが黎ちゃんを殴るんじゃないかと思って恐かった。

 でもその瞬間、さっと黎ちゃんをかばうように駆け寄った仁志は偉い。もう勝手に体が動いてるって感じで。大切に思ってる人が危険にさらされたら、反射的にああなってしまうのは自然なことなんだろうな。

>そんな言い方するなよ

 いつも父親に敬語で話す仁志の、強い口調。頼もしいなあ。黎ちゃんを守るためなら、そんな風に強くなれるのか。

 しかし仁志の萌えセリフは、他にもあります。
 黎ちゃんと二人で、庭で月を見上げるシーン。

>悲しいときは、いつも月がきれい

 黎ちゃんのなにげないセリフは、でも彼女の唇からこぼれると魔法の言葉に変わります。この人は僕が守らなければ、仁志のそんな強い感情を誘発する、魔性のつぶやき。
 この人は、いつもひとりで、そうやって月を見ていたんだなあって想像してしまいますもん。

 そして、飛べなかったハードルをついに、飛んでしまう仁志。

>黎さん、一緒にこの家を出よう
>行くところがないなんてことはないから
>そんなことには、僕がさせないから

 うぉー、ついに言っちゃったのね。今まではっきりした言葉だけは、心の中に封じ込めてきたのに。視聴者にも黎さんにも好意はバレバレだったけども。それを形にすることは、今まで決してなかったのに。

 この状況で、こんなことを言われて、よろめかない黎さんはむしろ、なんて貞淑な妻だろうと思いました。
 だってさ、夫は、帰る実家をもたない妻に、平気で「出てけ」なんて言っちゃえる人なんですよ。それは絶対に言ってはいけないセリフなのに。

 一緒に月を見ながら聞いた仁志の言葉は、黎さんの心に、一番深く届いたんじゃないかと。
 それを言われてなお、仁志の胸には飛びこまない黎さん。

 そりゃ確かに、仁志は義理の息子という立場ですから、軽々しく動けないのはわかりますが。人の気持ちは理屈でどうこうなるものではないし。
 もうすでに、かずさんと黎さんの結婚生活は破綻している、と私は思います。この先、一緒にいれば傷が深くなるだけのような。

 それに対して。初めて出会ったときから。仁志と黎さんは不思議と惹かれあっていたわけで。
 黎さんが仁志に声をかけたのもそうですし。声をかけられた仁志も、その瞬間から、黎さんに魅入られてしまっていたように思えました。こういうのは、理屈じゃないですね。波長が合う、というのでしょうか。

 ドラマの中で、二人は当たり前のように、心だけで会話してしまっていました。否定しながら。戸惑いながら。

 対するかずさんは、暴言と、それからうってかわったような甘えっぷりで、黎さんを縛りつけようとしていた。自分から離れていかないようにと。裏返せば、そうでもしないと、黎さんが遠くなってしまうのを、わかっていたんですよね。
 黙っていても傍にいる存在なら、暴言も甘えも必要ないから。

 昔、ある人から聞いた言葉を思い出しました。喧嘩する夫婦は、元から性格が合わないんだと。合うもの同士なら、努力もなにも必要ない。ただ普通に生活するだけで、自然と穏やかな関係でいられると。

 そんなものなのかもなあ、と思います。何故か気が合う、とか。何故か惹かれる、とか。そうした直感は実は、なにより真実だったり。
 初対面でなにも感じないなら、そこには何もないのかもしれませんね。もし運命があるなら、その人がそういう相手なら、なにも感じないはずはない、と思います。

 ところでこのドラマ、実は伏線だったんだけど、それを回収しないまま終わってしまったんじゃないかと思わせる点が2か所あって。
 1つは憲司の怪我。怪我の意味がよくわかりません。思わせぶりな描写だったのに、結局最後までなにごともなく、拍子抜けしました。
 2つ目は、仁志とかずさんの関係です。かずさんは憲司には寛容なのに、仁志には厳しい。期待がそれだけ大きいといってしまえばそれまでですが、私は、よそよそしさを感じました。ひょっとして、仁志はかずさんの実子ではない? 仁志とは血がつながっていないとか? だとしたら、かずさんが仁志にみせた激しい嫉妬もまた、違う意味を帯びてきますね。

 かずさんのモラハラぶりと、途中で手のひらを返すように黎さんに冷たくなった憲司の姿には、共通するものを見出せますが。
 仁志はかずさんの息子で、かずさんに育てられたのに。なぜああいう優しさを身に付けることができたんだろうと。押し付けない愛情だから。いつも辛抱強く自分を抑えて、黎さんが動くのをちゃんと、待っててあげるから。

 スルメドラマです。
 そして、後からじわじわ来ます。頭の中で、西野カナさんの主題歌が、いつまでも鳴りやみません。たぶんしばらくは、私はこのドラマのことを考え続けると思います。

ドラマ『ガラスの家』最終回 感想

 ドラマ『ガラスの家』最終回を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。

 最終回はやはり気になる…ということで、見ました。いいなあと思うシーンも確かにあったのですが、全体的な感想としては、「もったいないなあ」です(^^;

 設定とかキャスティングはかなりよかったと思うのですが、話の筋のところどころが、ちょっとなぜそこにいく?みたいな感じで、入りこめなかったり。

 じっくんの言う悲劇、のスケールのあまりの小ささに、最後までどんでん返しを期待してしまったりとかね。
 だって、村木という政治家に裏切られたことが、そんなに悲劇だとも思えなくて。就職先がひとつつぶれたとか、信じていた人にいざとなったら知らん顔された、とか、それを悲劇と呼ぶのだろうかっていう、ね。
 それが、あの崖の上での悲愴な二人の姿とは、どうしても結びつかない。
 あんな表情で立ち尽くすには、もっともっと、なにかすごいことがあったはずなのに。

 崖のシーンそのものは、映像として美しかったと思います。
 黎ちゃんに呼ばれて、振り向いた瞬間のじっくんの顔がよかった。巻いてたストールの、繊細な感じが印象的で。あれはじっくんの内面を表していたのでしょうか。演じていた斎藤工さんはモデル出身だそうですが、まさにモデル、という感じでした。その瞬間が、絵になっていた。

 このドラマ、最初に斎藤さんの演じるじっくんを見たときには、全くなんの魅力も感じなかったのですが、回を重ねるごとにどんどん魅力的な男性になっていきましたね。

>ぼくは、お父さんのいい息子でいられなかった

 このセリフは、ぐっときたなあ。
 仁志は本当に今までいい子で来たと思うので。一般的に父と息子の対立は、息子の成長過程に必要な通過儀礼のようなものとはいえ、いい子の仁志が父を傷付けるような行動に出たこと、そりゃあもう、本人の中ではものすごく葛藤があったんだと思います。

 黎さんのことも。公務員改革のことも。
 それこそ何百回も、心の中で自問自答していたと思うのです。本当にこれでいいのだろうか。自分は間違っていないだろうかと。父と対立して選んだ自分の道が、正しいのかどうか。そんなものに答えはないからこそ、悩むわけです。数字で結果が出る問題でもない。答えは自分の中にしかない。だからこそ、なかなかふっきれない。

 なにもかも失くした(実際には、要は仕事を辞めて恋愛もうまくいかなかった、ただそれだけなんですけどね)と思いこんで深く落ち込んだ仁志が、最後に辿りついたのが、飛行機事故のあの崖だったというところが、泣かせます。
 小さな頃にお母さんを亡くして。傷付いたのは黎ちゃんや、かずさんだけじゃない。仁志はお母さんに会いたかったんでしょう。

 私は以前の感想で、黎ちゃんとかずさんが惹かれあった理由のひとつに、同じ悲しみを共有できたから、みたいなことを書いたんですけど、それを言うなら仁志にもその資格はあるんだと、あらためて気付きました。

 黎ちゃんと生きていくことを決めた仁志。黎ちゃんと再会した(黎ちゃんが追いかけて来てくれた)からだけではなく、その再会の場所が、あの崖だったというところがポイントだったかも。まるで亡くなったお母さんが後押ししてくれたような、そんな気持ちになったから、黎ちゃんとの新生活を始める勇気がもてたのかな。

 私が仁志というキャラを好きになったのは、一貫した「静」の部分ですね。特に、黎ちゃんが仁志の部屋を訪ねてきたときのシーンに、彼の良さが表れていたように思います。
 激昂しなかったから。
 普通、もう少し荒れると思うんですよ。ああいう風に、いままでずっと拒絶されてきた黎ちゃんがいきなり、ぐいぐい迫って来て。180度態度が変わったら、もっと感情的になるんじゃないでしょうか。
 俺がこんな状態だから、同情してるのかよ?みたいな。

 そういう黎さんを素直に受け入れない、だけでなく。怒りの方向に、エネルギーが向いちゃいそうな気がするんです、普通は。自分への苛立ちも含め、黎さんに当たってしまってもおかしくない。でも仁志は静かだったなあと。

 そもそも、訪ねてきた黎さんを部屋に入れてあげるという、地味な優しさだとか。私が仁志だったら入れてないです。なにを今更?と思うし、会わせる顔なんてないし、会いたくない。堕ちた自分を、みせたくない。黎さんがいつまでもドアの外で粘ったら、私だったら怒っちゃうかもしれない。いい加減にしてくれ。もう帰ってくれと。

 部屋に入れてあげたのは、黎さんに対する優しさ以外のなにものでもないわけで。あのとき、仁志が黎さんに会いたかったとは思えないから。
 一方的なこと言われて、いろんなことまくしたてられて。きっと仁志には仁志の言いたいこともあっただろうけど、それ以上に彼はあのとき、一人になりたかったはず。

 

 では次に、かずさんについて語りましょう。最終回で際立った、かずさんの名セリフはこれ。

>君はなぜ仁志を好きになった?

 離婚届をもらいにきたという黎に、そう尋ねたかずさん。直球すぎて、その向こうにかずさんの悲しさが透けてみえました。

 うんうん、そうだよねー、気になるよねー。自分のなにが負けていたのだろうかって、聞きたくなるよね。答えは黎さんしか知らないんだから。でも黎さんにだって、本当のことはわからない。
 なんだかわからないけど好きになる、それが恋愛だもんなあ。

 私はこのセリフのときの、藤本隆宏さん演じる一成さんの声が好きです。やっぱりこの声も、静かなんです。いろんな思いをぐっと封じ込めた、とても静かな声。怒ったり、問い詰めたりはしていないのです。ただ、静かな問いかけ。

 このときのセリフと対照的なのが、以前、黎さんを追っかけてたときのじっくんの声だったりします。ドア越しの告白。ドア開けてさえもらえないのに。

>身勝手でもいい。それでも黎さんが好きだよ

 このセリフからあふれ出る仁志の若さと、かずさんの理性で感情を封じ込めた感じが、見事に対照的なんです。二人の個性の違い、年齢の違い、それが声に表れている。
 声って大事だな。声にはどうしようもなく、心が表れてしまう。

 このドラマは素敵なキャスト、たくさんの可能性を秘めた設定だったのに、最後は消化不良で終わってしまった感じがします。

 たとえば残念だったのは菊池桃子さん演じる尾中が、あまり活躍しなかったこと。もっといろいろ話の筋にからんでくるかと思いました。不思議なキャラで裏がありそうだったのになあ。

 それからかずさんも、もっと豹変するかと思いました。そのことでさらに家族がバラバラになり、黎さんや仁志が苦悩する展開かと思いきや、かずさんは意外に、最後までいい人…。
 仁志を海外に異動させるときも、異動先がイギリスだなんて、親の愛以外のなにものでもないかと。むしろ出世コースに思えました。

 あと、梅舟惟永さん演じる芥川賞作家の後藤に関しては、セリフにも行動にも全く共感できず、見ていて不快感だけが残りました。兄が無理だから弟にっていうのが、本当に理解できないです。受け入れる弟の気持ちもさっぱりわかりません。後藤とけんちゃんのコンビは、物語の中でむしろ、お話の興を削いでいたように思えました。
 後藤とけんちゃんの仲を認めないかずさんは、ものすごくまともな親ではないかと思います。

 結局もう少し、かずさんとじっくんの対決を違う方向から描いていたら、物語はもっと深くなっていたのではないかと、そんな気がするドラマでした。

ドラマ『愛していると言ってくれ』 感想

ドラマ『愛していると言ってくれ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。

1995年に放送されたドラマです。当時は見ていなかったのですが、主題歌の『LOVE LOVE LOVE』が大ヒットしたのはよく覚えてます。街のあちこちで流れていたから。

本当にそうだなあと納得する歌詞。
好きっていう気持ちは不思議なものです。理由なく心が震える。

昔のドラマだけど、今見ても面白かった~。なにより、榊晃次を演じる豊川悦司さんが美しいのです。

なんだろうなあ。繊細で影があって、目が離せなくなる魅力があります。今とイメージが全然違いますね。今も素敵な俳優さんですけれど、このときのトヨエツはまた特別だと思います。
時間の創り出した一瞬の煌めきみたいなものを、ドラマ映像で堪能することができます。

このドラマ、主役は常盤貴子さん演じる水野紘子(ひろこ)だと思うのですが、紘子から見た晃次と、晃次から見た紘子、二人の心のすれ違いがせつないです。

年の差、とかね。晃次の耳が聞こえないという事実に対しての、二人の認識のずれ、とか。

紘子は23才位で、晃次は30才くらいの設定だと思いますが、このときの感覚的な年の差は大きいな~と思いながら見てました。年齢上がれば上がるほど、年の差は縮まっていくと思いますが、20代だと大きいな。
80才と87才だったら、もはや同い年みたいな感覚かもしれないですが、20代の一年は大きいかも。

晃次が常に上から優しく紘子を見守っていて、紘子はそれに追いつこうと、ぴょんぴょん飛び跳ねてる、というイメージでした。オープニングの、りんごを取るシーンみたいに。

物語の中で、ずーっとそうだったような気がします。
紘子には晃次がわからない。大好きだけど、自分が知らないことを一杯知っていて、いっぱい知らない過去があって。そういう自分のわからない部分に嫉妬して、疑心暗鬼になって、勝手に怒って、という繰り返しだったような。

晃次は晃次なりに、年長者として紘子に責任も感じるし、誠意をもって付き合おうとするんだけど、それがうまく伝わらない。誤解されて、怒られて、そして結局は紘子に逃げられてしまう。

うん。私は結局、紘子が去って行ったのだと思いました。晃次を捨てて。
最初の頃、多少強引に晃次に迫って来る紘子に対し、「君のセンチメンタルの道具じゃない」みたいな厳しい言葉で拒絶しますけども、結果的には彼が危惧した通りになったわけで。気の毒に思ってしまいました。かき乱すだけかき乱しておいて、去っていくなよ~と。
紘子みたいに可愛くて純粋な女の子に、好き好き攻撃をかけられて平静でいられるわけないのにね。絵の具や絵をあげたりしたところからして、そもそも晃次は、無意識の部分でも紘子はタイプであったように思います。
でも長い目で見たときうまくいかないのはわかってたから、防御反応でそれ以上は近付かないように、一定の距離を保つようにせっかく理性を保ってたのに。
その壁を、ひょいひょいのぼって来られて、ぐいぐい心の扉を開けられて、あげくにふいっと、また去っていくのですからたまったものではありません。

個人的な感想ですが、私はもうこの後、晃次は誰かと付き合ったりすることなく、一生過ごしたんじゃないかな~と想像してしまいました。最終回では、数年後の二人の再会、後は御想像におまかせします的な感じで終わってるんですけども、お茶飲むくらいはあっても、また付き合うことはないだろうなあって。

また同じことの繰り返しのような気がします。
人はそんなには変わらない。根本的な部分は一緒だし、そこを変える必要性もなくて。それが個性というものではないかと思いました。
変えられる部分と、変えられない部分がある。
一緒にいれば、傷付け合う相性、というのもあるのではないかと。

紘子と晃次は合わないと思いました。
どっちにとっても、一緒にいることは不幸なんじゃないかなあ。楽しくて、刺激的な部分はあるけど、それ以上に反発しあう部分があって。

紘子は若いから、晃次のいろんな部分が気になって仕方ない、笑って見過ごせない、という面もあるとは思いますが、じゃあ年をとって紘子が鷹揚になるかというと、それも多少、というレベルじゃないかなと。二人がぶつかりあわず、冷静に話し合えるような関係になるには、あまりにも紘子が神経質すぎるような。

決定的だと思うのは、喧嘩したときに紘子が言い放った言葉。一緒にいてもつまらないとか、手話が疲れるとか、CDを一緒に聞けないとか言ってましたね。

これはね~。いくら喧嘩したからといって、ありえないひどいセリフです。たとえ思っても、思ったのと、口に出して言うのには大きな差がある。というか、こういう人が、晃次と付き合っていくの、無理だと思う。いつか必ず、また傷付ける日がくる。(まあ、実際11話で、また晃次を泣かせてましたし)

紘子がいいとか悪いとかではなく、紘子はそういう人だから、です。そして、紘子は自分の言葉を反省はするけれど、また晃次と付き合おうとする、その行動が、私には理解できなかったなあ。
ああいうこと言っちゃった自分っていうのも、本当だと思うんですよ。まるっきり心にないことを言っちゃったわけじゃなくて。普段思っていても、口にはしなかったことがぽろっと、飛び出しちゃったわけで。
喧嘩して、相手を憎いと思って。傷付けてやりたいと思ったからこそ、口にできた言葉。

そしたらもう、諦めるしかないのにな。
だって、また同じことは起きるから。きっとまた、怒ったときには言ってしまう。一番晃次を傷付けてしまう言葉を。

喧嘩でも、言っていいことと悪いことが、あると思うので。紘子は、相手を大切に思うなら、この喧嘩の時点で、別れるべきだったんじゃないかと思います。本当に相手を好きだと思うなら。

それに喧嘩の理由も、なし崩しに女優をやめようとする紘子を、晃次が諌めた、という、晃次に非のないものでした。お説教かと反発した紘子でしたが、いやいや、それは晃次の誠意だろうと。
自分と付き合うことで、相手が堕落したら嫌だという気持ち、わかりますもん。年上ということで責任も感じていたのだろうし。

最終的に、紘子と晃次が別れる決定的な原因になったのは、晃次の元彼女である、光という女性に関する誤解ですけども。この人じゃなくても、きっと他の誰かのことでも、紘子は嫉妬したんだろうなあ。だから光がいなくたって、時間の問題で二人は別れていたんだろうなあ、なんて想像しました。

この光っていうのも嫌な人でしたね。
そもそも、元彼氏に頼りすぎだし(^^; 自分がつらいからって、そこまで寄りかかるのはあまりにも、甘えすぎかと。
元彼には元彼の、新しい人生があるわけです。新しい彼女と、幸せに暮らしてるなら、そこに入りこまないのは最低限のマナーじゃないのかと。

雨に濡れて元彼の家に行くかな~っていう。しかも断わられて、自殺未遂とか迷惑すぎる。どうしてそこに、元彼を巻き込むのか。

晃次を責めるのは、酷だと思いました。最初はきっぱり、元カノを家に上げるのを断ってる。それも、ここは自分だけの家じゃない(恋人と住んでるから)という意味のことを、ちゃんと言ってるのに。
自殺未遂までして、放っとけないと思った元彼の優しさにつけこんで、家に上げてもらう。しかも、置き土産に、今の恋人へのあてつけに、こっそり指輪を残していくとか、どんだけ性格が悪いんだ( ̄Д ̄;;

たとえ自殺未遂されようがなにしようが、きっぱり断れない晃次が悪いんだ、という人もいるかもしれませんが、私には晃次が可哀想に思えました。あそこで「俺には関係ないね」と知らんぷりできる人じゃないところが、晃次の良さだと思うので。

じゃあどうすればよかったのか。
あの場で紘子にFAX打てばよかったのか。これから元カノを家に泊めます。でもなんにもないから、心配しないで、って?
それは逆に、残酷というものです。事情のわからない紘子に、無駄な心配をかけるだけ。だから直接会って話すまでは、黙っていようと思ったのは、賢明な判断だったと思いますが。

あの指輪がねえ。
うん。怒れるのはわかるけれども。まずはちゃんと、晃次の話を聞いてあげればよかったのにな。目の前にいて、説明しようとしている相手に聞く耳もたないなら、付き合う価値はないと思うのです。人に聞いた話じゃなくて、ちゃんと本人の話を聞くべきだと思う。別れるにしても、ちゃんと説明だけは、聞くべきじゃないのかなあ。

そして、晃次と元カノの仲を誤解した紘子が、何をしたかといえば、腹いせに幼馴染のけんちゃんの家に一泊。

なにやってんだよと\(*`∧´)/
そんな幼稚な嫌がらせで、大事な人を傷付けるな~と。ドラマとはいえ、思わずため息が出てしまうような展開でした。
思えば、なにかあるたびに、けんちゃんを利用する紘子。けんちゃんは紘子が好きだから、紘子に求められれば絶対に拒絶しない。それがわかってて、けんちゃんに甘え続ける紘子。
書いてて思ったけど、紘子だって光(元カノ)とたいして変わらないなあ。相手の優しさを利用してるから。

そして紘子がひどいのは、自分が秘密を抱えているのが苦しいから、けんちゃんの家に泊まったこと、晃次に言っちゃうんですよね。相手に対する誠意というより、自分の罪の意識から逃れるために、言ってしまったような気がします。どうせ別れる気でいるのなら、墓場までもっていけばいいのに。そんなこと知っても、晃次が傷付くだけなのに。そのときの晃次の表情がすごく印象的でした。そりゃこういう顔になるよな~っていう。そういう顔以外の、なにができるの?っていう。

紘子は若いから、なのかもしれませんが。追いかける愛なんですよね。押し付ける愛、といってもいいかもしれない。自分の気持ちを相手に投げるだけ。投げられる側の気持ちや事情は、考慮しない。自分が好きだと思えば、そうしたいと思えば躊躇しない。

晃次のは、追いかけない愛なんだなあと。相手を追いかけないのも、また愛なのです。
たとえば最終話で、紘子といい雰囲気になっても、紘子がけんちゃんを思い出して泣きだせばもう、それ以上は踏み出せない、みたいなところ。バスで去っていく紘子を追いかけ、強引にでもひきとめるようなまねが、できないところ。

そういえば、同じような引く愛をもっていたのが、画廊のマネージャー、余貴美子さん演じる神崎さんではないかなあと。あの人、晃次のことを好きだったんじゃないかなあ。ほんのりと気持ちが描かれていたように思いました。
冗談めかして、ちゃんと逃げ道残した上で、晃次にそっと愛情を告げていたような。それで晃次からなにも返ってこなければ、諦めてそれ以上は追いかけない。だって追いかければ、彼が困ってしまうだけだから。

トヨエツがとにかく美しく、常盤貴子さんの若さが眩しいドラマでした。

ドラマ『ガラスの家』第5回 感想

 ドラマ『ガラスの家』第5回の感想を書きます。以下、ネタばれを含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 エンディングが凄かったです。

 パーティー会場から手に手をとって逃げ出した二人。思いは通じ合っちゃったし、もはや全然義理の親子ではなくなってしまった黎(井川遥)ちゃんと仁志(斉藤工)。

 私の中では、このドラマは最終回を迎えてしまいました。第5回ではなく、最終話です。あくまでも私の中では、ですが。

 だってこれ以上の盛り上がりはないな~と。
 気持ちが完全に通じ合っちゃって、逃げ出して。その先にこれ以上の盛り上がりなどあるはずもなく。

 決して批判しているわけではありません。今回もすごく面白かった。面白くて、そして最高に盛り上がって、終わってしまったような。
 二人の心の揺れが、独白が、せつなかったです。

 黎ちゃんがどんどん追いつめられていく感じも。それを冷静に、あくまで自分の気持ちを抑えつつじっと見守る仁志の忍耐も。うまく描かれていたなあと思います。

>黎さんは必ず来る

 そう確信する仁志の心の声。呼応したのは黎のこんな言葉。

>さようなら

 家を出ると決めた仁志に、一緒に行こうと言われても、きっぱり断った黎。そりゃそうですよ。そんなぐちゃぐちゃな展開。倫理的にも、良心に照らし合わせても、無理無理無理の100乗くらい。
 たとえどんなに一成(藤本隆宏さん)がひどい夫であったとしても、優しいその息子の言葉に甘えて、なんてことは許されるわけありません。

 ただ、仁志の一貫した静かな決意と自信には、見ている者の、心を打つものがあったなあと思います。暴言を吐き、強権で黎を縛ろうとする一成と対照的な、穏やかで温かい仁志の愛情。
 惹かれれば惹かれるほど、悲しくなりますよね。
 そりゃ、黎ちゃんもケーキやけ食いするよな、と思ってしまいました。

 あのシーン好きです。やるせなさが画面いっぱいにあふれていた。一生懸命やったのにね。一成とうまくやっていこうと思って、自分なりに努力したのに空まわり。たった一人で食べるホールケーキの味。
 想像すると胸がつまります。

 あれ食べたのも、黎の努力のひとつかなあ、なんて思いました。あれを、「なによ、かずさんのバカッ!」と悪態ついて、ためらいなくゴミ箱に捨てられる人だったら、もっと違う展開になっていただろうに。
 黎は黎なりに、努力し続けていたことが。その苦しさが伝わってきました。

 でもパートの話は、黎ももう少し考えればいいのになあと。一成と結婚した以上、妻としてパーティーの同席とかは当然、これからも頻繁にあるわけで。語学を磨くことも、妻としての愛情なんじゃないのかな、とか。
 それは、一成が結婚前に説明しておくべきこと、といえばそれはもう、その通りなんですが。

 一成の妻として、ああいう場で適切な振る舞いができるようになること、それは黎にとって、簡単なことではないと思います。時間もかかるし、パートなどしている時間はないんじゃないかと。
 なぜそれがわからない?という一成の気持ち、黎に伝わっていないのが悲しいですね。まずはパーティを経験すればいい。そうすれば、だんだん自分の立場がわかってくるだろう、一成はそう考えていたのかもしれませんが。

 ちょっと乱暴すぎましたね。理解するというより、委縮して悲しくなって、会場を抜け出してしまった黎。
 そこに、救いの王子様があらわれたら?

 そんな都合のいい偶然、あるわけないよ~、というつっこみを見事に裏切り、現れた仁志くん。見つめ合う二人。もう、超えるべきハードルなんてどこにもありません。ただ近付くだけ。ただ、手を繋ぎ合うだけ。目をみれば、すべてわかりあえる。言葉より雄弁に語るもの。

 もどかしく走り出した黎の足から、脱げてしまった金の靴。まるでシンデレラです。履きなれない靴を脱ぎ捨てて、本当に好きな人のところに走っていった。

 でもなあ。どうなんだろう。本当に好きというより、今の生活から逃げ出したくて、優しさに飢えていて。目の前に差し出された手をとってしまった、ようにも見えました。
 そりゃあ、あれだけ黎の心に寄り添ってくれる、理想的な王子様がいたら。たとえそれが恋愛ではなくても。頼ってしまうでしょう。

 最後、二人を乗せたエレベーターが、上がっていくのが意外でした。てっきり下がると思っていた。1階に下りて、タクシー呼んで、どこか遠くへいくのかなあ、なんて。とにかく、一成のいる場所から、少しでも遠く離れようとするんじゃないかと思ったんですが。
 同じ建物の中で、嫌じゃないのかな。
 上がった先にあるのは、仁志の泊まる部屋? 仁志くんは仕事の途中だったようだけど、あんな唐突にいなくなってしまって、大丈夫なんでしょうか。

 面白いドラマだと思いますが、内容はNHKじゃないと思いました。NHKが火曜夜10時にやってはいけないと思いますΣ(;・∀・)