今日はずっと、Sound Horizonの『檻の中の遊戯』を聴いていた。
ジャズっぽい曲で、最初からぐっときたわけではないが、妙に印象的だった曲。今日みたいにキンモクセイの芳香が街中を包む秋の日には、ぴったりだと思う。
例のごとく、断片的な言葉が並んでいて、明確な答えなどないSound Horizonらしさがあふれている。ああ、でもこの曖昧な境界線が好きだ。
私は散歩が好きだが、その途中にお気に入りの洋館が幾つかある。どんな人が住み、どんな生活をしているのか、妙に気になるそれらの洋館の中で、もしかしたらこの『檻の中の遊戯』のような光景が繰り広げられているのかもしれない・・・なんて。
この曲の内容そのものが、夢オチというものもありえるなあ、と思う。すべてが男の妄想だったという展開。だから、彼女は何度でも蘇り、男は檻の中で何度も悪夢にうなされる。
永遠に、2人の気持ちはすれ違ったままだ。
相手を欲しいと願っても、力づくで心を手に入れるのは、絶対に無理。どんな人でもそうだろう。たとえなにがあっても、無理なものは無理。心が動くのは、理屈じゃない。
脅そうが懇願しようが、心が通じる通じないというのは、これはもうセンスだと思う。
たった一言でわかりあえる相手もいれば、一晩語りつくしても、まるで正反対の方向を向いたまま、一歩も近付くことのない間柄もある。
手に入らないものを好きになってしまった悲劇。
でも、不思議なんだよね。
手に入れたところで、わかりあえるわけじゃないのに。どうしてそんな相手を好きになるんだろう。
あらまりさんの歌い方が好きだ。淡々と歌っていて、それがこの曲によく合っている。無表情な人形の唇から紡ぎだされる声みたい。
この曲は、生生しく歌ってしまうと、それだけで現実感が出てきてしまって駄目になると思う。
生気のない声だからこそ、まるで異世界の出来事のようで、現実と幻想との境目もよくわからず、安心して聴ける。
聴き手は、他の誰かの夢の世界に迷い込んだような、その人の願望とも悪夢ともわからないような霧の中の世界を体感する。
きっと手に入れたら、がっかりするかもしれない。でもわからない相手だからこそ、その向こうに自分の望むものがあるんじゃないかと期待して、人は夢をみてしまうんだろうか。
秋の夜長に、心にしみる名曲です。