『銀の鬼』茶木ひろみ その2

漫画『銀の鬼』の感想です。昨日のブログの続きになります。思いきりネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

島影十年(とね)。悪役なんですが。

魅力的なんですよね。他にも、ふぶきに恋する登場人物は何人も出てくるんですけど。もう段違いで、この十年がすごい。悪い人なんだけど。好きで鬼に生まれたわけじゃないというのもあるし、ふぶきに寄せる愛情がとても真摯で。

私がふぶきでも、やっぱり十年しか目に入らなかったと思います。

そして、そんなふぶきに苛立つ流也の気持ちもわかる。葛藤ですね。なんでふぶきが、あんな十年なんかをかばうのかわからない。十年なんかより、自分の方がよほどふぶきを愛してて、幸せにできるんじゃないかっていう気持ちがあって。

こんなにこんなに好きなのに、どうして自分じゃいけないのかっていう苦しさ。

「どうしてあんなばけものが好きなんだ」と詰め寄るシーン、その後、理性を失っていくところ。うーん。表裏一体。好きだからこそ、それが一瞬で激情に変わってしまう。

たしかにね、流也の疑問もわかるんですよ。ふぶきがとても幸せそうなら、自分の入る余地はないって思い知るだろうけど。ふぶきは苦しんでるから。だって、十年、鬼だもん。共存できるはずがない。人間と。

この漫画のすごいところは、鬼である十年以上に、鬼の本性を持つ人間の醜さをも描いているところ。むしろ、十年が純粋に見えてしまう瞬間すらあるのです。

エゴ丸出しで十年に近付くのは、社長令嬢の麗子さん。

お嬢さんなだけに、傲慢です。しかし彼女は裸の王様としても描かれています。周囲の人間の嘲笑に気付かない。その哀れさも、感じさせてくれるのがこの漫画の底力なのです。ただの嫌なやつで、終わらせない。

麗子VS十年という関係だけを取り上げるなら、鬼と人間の立場は、逆転しているのかもしれません。十年を手に入れるために、罪を犯す麗子。人間でありながら、その所業は鬼です。麗子に辛辣な言葉を浴びせる十年は、むしろ社長令嬢という権威に迎合する彼女の周囲の人間達より、よほど優しい存在にも思えるのです。真実を指摘してくれるという意味で。

麗子にツノを奪われ、妖力が弱まった十年。自分の身ひとつ守ることができないくせに、鬼笛を聞いてよろよろと歩き出す姿に胸を打たれました。

その前に、ふぶきが麗子の家を訪ねていったとき、本当はそこにいるのに、十年は出てきませんでした。弱ってる自分を、見せたくなかったから。それが十年のプライドの高さだったのに、鬼笛を聞けばそんなプライドすらかなぐり捨てて、飛び出してしまう。

じーんときました。

実際、そんな弱った体でふぶきを助けることなんてできないのに。それでも行かずにはいられない。ふぶきが大切だから。十年、その気持ちが素敵です。かっこいいと思います。そこにエゴはない。ただ、ふぶきを助けたいという一心で動いてる。

ふぶきは、銀の鬼である十年を殺すべきという正論と、十年を愛しているという自分の心の板ばさみになって苦しみます。

うーん確かに、もう最初から破綻している関係なわけで。でも十年も、百パーセントの鬼ではないからこそ、ふぶきの心が揺れるのですよね。

鬼と神。だけど、その二人に共通する寂しさがあったり。

鬼として生まれた悲劇。異形のものには、異形として生きることすら罪なのか、という。倫理観は、人間からみた視点ですから。鬼にしてみたら、もう存在すら否定されてしまって、それは気の毒といえないこともない。

「おれの心には良心なんてものはこれっぽっちもないんだ」とふぶきに語りかける十年。このとき、嘘ついてますね。この時点ではもう、十年は鬼ではなくなりかけてる。だから悩み始めてる。心が鬼なら、なんの迷いもないだろうに。

どうして泣くんだ?と自分自身に問いかけながら、十年はボロボロと涙を流します。ページをめくりながら、私も泣いてしまいました。十年は、表情ひとつ変えないで、ただ涙を流していて。十年が、そのとき鬼ではなくて、帰る家をなくした子供みたいに思えたのです。どうしていいのか、どこへ向かえばいいのかわからずに、不安でおびえてる。泣きながら、どうして泣いてるのか、どうして悲しいのかはっきりとは気付いていない。ふぶきを好きになればなるほど、つらさが増すのは、二人が一緒になれないことを、彼が心の奥底で気付いているからですね。とても人間的な感情。

鬼である自分への戸惑い。さびしいという心。

鬼として生きれば、それがふぶきを傷つけることになる。千年生きて、初めて好きになった相手なのに。その人を泣かせてしまう。

大人な表現もあるし、子供向けの漫画ではないと思います。ただ、十年がとても少女趣味に描かれていて、残酷な鬼という本性とのギャップが魅力的です。

十年は、甘いもの好きで料理上手。教師の頃、住んでいるお家はなんと、グリム童話ヘンゼルとグレーテルに出てくるような、お菓子の家なのです。ショートケーキみたいな時計。チョコレートのドア。ビスケットのテーブル。女の子の夢を、そのまま現実化したらこうなりました、みたいな。十年がふぶきのために用意した部屋は、バラ尽くしです。バラ模様のベッドカバー、カーテン、サイドテーブルには一抱えもあるようなバラの花が活けられて。その部屋に漂う、甘い香りは、鬼には全く似つかわしくない、真逆のもの。

私は、料理ベタなふぶきが、十年のためにチョコレートケーキを作ってあげたシーンが好きです。無言で食べ続ける十年を、ふぶきがじっと見ている。幸せの情景。

そのときのふぶきの気持ちが、伝わってきました。ただ、十年の美しさに見とれてる。好きだから。恋愛中って、魔法がかかっているようなもので。なにをしても、どんなしぐさも、輝いて見える。その瞬間。このまま時間がとまってしまえばいいと思いながら過ごす、なにげない平凡な時間。

十年とふぶきが持つことができた、数少ない平和な時間の一つだから。このシーンは印象的でした。

私が今回買ったのは文庫本だったのですが、巻末にはなんと、続編(描き下ろし)が数ページ載っていました。これは・・・要らなかったと思います。

なぜなら、『銀の鬼』はあまりにも完成された物語だから。何かを足すことも、引くことも、本編を損なうだけのような気がしました。きれいに完結した物語だからこそ、続編は読みたくないです。

『銀の鬼』は、長い年月を経て読み継がれていく名作だと思いました。

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