憎しみに代わるものを手に入れたから

『ガラスの仮面』美内すずえ 著を読んでの感想です。今日はちょっと短いですが、少しだけ。思ったことをつらつらと書いてみます。

もし速水さんがマヤと出会っていなかったら・・・。

破滅へのカウントダウンは、静かに始まっていたと思うのです。速水さんは英介への復讐心を心の支えに生きてきたけれど、いざ紅天女を手に入れたときには、果てしない虚しさと孤独が彼を打ちのめしたと思うから。

目標を達成した瞬間が、速水さんにとって地獄の始まりになったでしょう。

そもそも、愛情をもらうべき親(たとえ血がつながらなくても)、たった一人の肉親を憎まねばならなかった時点で、彼の心はひどく傷ついていたはず。その傷の痛みに気付かなくてすんだのは、紅天女への執心が、感覚を麻痺させていたから。

速水さんは、紅天女さえ手に入れればこの底知れない絶望から逃れられると思っていたんだろうけれど、それは違う。速水さんが望むものは、そこにはないと思う。

誰かを憎む心は、自分の心を蝕んでいく。ゆっくりと、着実に。誰かを憎むことは、自分の心を傷つけるということだ。怒りは毒になり、体中を回る。

昔の写真を見て、紫織さんが、速水さんの笑っている写真が一枚もないと驚いていたけれど、彼がそれに耐えられたのは「紅天女を奪い、英介に復讐する」目標があったからだ。

マヤに出会い、マヤを愛することで憎しみの心は消えていった。今速水さんは、英介を憎んでいるだろうか? 私はそうは思わない。マヤを愛することで、速水さんの中で憎しみなどはどうでもいい存在になり、マヤを思うときの温かい気持ちが傷を満たし、ぽっかりあいた心の空洞を、ひたひたと埋めていったのだと思う。

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