宝塚歌劇団といえば、夢の世界。私が以前東京に住んでいたとき、和央ようかさんの「ファントム」を、東京宝塚劇場で見た。真っ赤なじゅうたん。豪華な衣装。熱狂的なファンの方々。
帝国劇場の舞台とはまた違う、独特の世界観。とても素敵だなあと思ったし、紡ぎ出される華やかな物語、ショーを堪能し、また観劇したいなあとそう思いながら帰途についた。
でもその後、96期のいじめ問題が発生。劇団の対応がおかしいのにびっくり。宝塚に対する疑念がわく。裁判にまでなって、長期にわたっていじめの被害者が結局、救われなかったことを大変気の毒に思う。
そして昨年。有愛きいさんの自殺を知り、事件の経過をみるにつれ、私の中で完全に、宝塚歌劇団に対する印象が変わった。
私が宝塚を見に行くことは、もう2度とない。あまりにもひどすぎる劇団だ。見に行こうという気持ちは、一生持てない。
有愛(ありあ)きいさんの双子の妹さんが、退団したニュースが決定打だ。その後どうなったんだろうと検索してみて、有愛きさんの妹である一禾(いちか)あおさんの退団を知り驚愕。どうして被害者の遺族が退団して、加害者一団にはおとがめなしなんだろう。人が一人死んでなお、被害者関係者が黙らせられる現状に、失望しました。これが宝塚かあ。清くも正しくも美しくもないよ。
96期のいじめの話も、有愛きいさんの話も、根っこは同じ。宝塚では有愛きいさん以外にも、2018年6月に宝塚音楽学校の生徒が、パワハラを苦に寮のバルコニーから転落、全治3週間の全身打撲を負っていたそうで…。
宝塚歌劇団のやり方はもういろいろ破綻しているのに。ガタガタと崩れていたのに。有愛さんが亡くなるまで、ずっとパワハラ体質は続いていたのか、とびっくりしました。この飛び降り事件のときに宝塚が改革をしていたら、有愛さんは亡くならなかったんじゃないかと思います。
問題の構造、宝塚の体質については、ものすごく単純なことで。
要するに、上下関係が絶対だったら、必ず起こる事件だと思うのです。だって、世の中には意地悪な人間、理不尽な人というのは必ず一定数いるわけで。
宝塚では上級生が絶対正義。トップスターは雲の上の人。
その神様のような存在が、正義の人ならいいのですが。そうでない場合はどうなるのでしょう。そんなことわかりきった話です。
どこの世界でも上下関係が厳しい環境というのはあると思いますが、でも事件にまで発展するようなことがあれば、そこには正義が発動しますよね。調べて、誰の目にも明らかなリンチがあれば、加害者は処罰されるでしょう。職場にもいられなくなると思う。
意地悪な人が、絶対的な権力を握り、誰も逆らえなければやりたい放題になりますよね。いじめのターゲットにされればほとんどの人が逃げ出すだろうけど、逃げられなかった人が死を選んだ。その責任は誰がとるのでしょう。
もう団体の構造として、だめなんだと思う。これだけの騒ぎになって、事件になって、人が一人死んでいて。
加害者おとがめなし。謝罪文を提出したのも加害者全員ではない。書面だけの謝罪で、遺族と直接対面しての加害者の謝罪はなし。被害者の妹がひっそりと退団。宙組は加害者のトップスターはそのままに公演再開。
被害者の方が、死んでなおこの対応ですので、生きていたときには本当に地獄だったと思う。生きてどんなに上にパワハラを訴えても、これじゃ無理です。なにひとつ聞いてもらえないどころか、むしろパワハラがひどくなったんではないでしょうか。
信じられないのは、宙組の公演再開です。これを喜んで見に行く人がいるのかと思ったら、いるんですね。しかも大勢。
今回の一連の事件を批判して「もう見ない」「見る気になれない」とおっしゃってるファンの方も、少ないですがごく一部いて、救われる気持ちになりました。見に行くということは、加害者に加担する、加害者のパワハラ行為を容認するということなんだと思いますけどね。
私がもし熱狂的な宝塚ファンだったとしても、この事件を知ったら、即座に熱は冷めたと思います。パワハラの内容がもう、集団リンチだし。人数も一人ではなくて、劇団側が認めただけで10人。閉鎖された空間で、10人相手に罵倒を受け続ける日々は、地獄以外のなにものでもない。それは、芸を磨くことでもなんでもなく、単なるいじめでしょう。
有愛きいさんが本当にお気の毒だし、遺族の方々もすごく傷ついて、それでも精一杯劇団や加害者に立ち向かったと思うし。
事が公になったのは、よかったです。もし隠避されていたら、また続々と被害者が出たと思うから。遺族の方々、本当に勇気があった。遺族の方の勇気が、次の被害者を防いだ。
有愛きいさんのご冥福をお祈りします。