土地を所有することの責任~ゴミ屋敷とか廃墟とか~

 ときどき、テレビでゴミ屋敷の特集をやっている。日本全国津々浦々。どこにでもゴミ屋敷はあり、大きな問題になっている。

 資本主義の国だから、個人の所有する財産に関しては、かなり厳重に守られていて。それゆえに、何か問題があっても、なかなか手を出せない状態が続いているようだ。その土地の所有者であれば、たとえゴミを集めて近所迷惑になっても、そこは個人の自由としてみなされてしまう。

 でも、前から思ってたけど、これおかしいよね(^^;
 明らかな異常行動で、周囲に大迷惑をかけている時点で、土地を持つ権利が制限されても、それは仕方ないことだと思う。

 土地には、権利に付随して義務もくっついてくる。その土地を適正に保てないなら、その土地を所有する権利を失うのではないかと。

 土地には公的な側面があると思う。私有財産、ということだけにとどまらない。社会の中で適切に活用されるべき、大切な宝物なのだ。自分が所有者だからといって、勝手は許されない。

 ゴミ屋敷の問題を解決するには、まず法律。一定限度をこえた迷惑行為に関しては、土地の所有権を市区町村に移せる法律を作ったらいいのに。それも、条例レベルでなく、国の法律として。

 ゴミ屋敷にもいろいろ段階があると思うが、ひどいものになるとゴミ屋敷でなく単なるゴミ捨て場と廃墟になっていたり。放っておけば、まじめに生活している近隣の人が、普通の生活をできなくなってしまう。そして、こうした最悪のゴミ屋敷住人は、精神に病を抱えている人がほとんどでないかと思う。目を覆うような惨状のゴミの山を前に平気でいられるのはもはや、病気としか思えない。

 病気の人が、病気ゆえに判断力を失っている状態を、「個人の財産保護」名目で放っておくのは無責任すぎる。

 誰でも、どこでも起こりうる問題。今はよくても、明日、明後日、一年後。今まで普通だったお隣さんがもし精神を病んで、家や土地をめちゃめちゃな状態にしたら。泣き寝入りするしかないとしたら、それはあまりにも悲しすぎる。

 私が思うのは、市役所などで対策チームを作って、なんなら市役所外の人間も複数入れて、大勢で判断するシステムにすること。そのチームが「適切な管理がされていない」と判断すれば、家屋や土地の権利がその土地の自治体に移るようにすればいいと思う。

 1人や2人で判断するとなると、万が一にも利権が絡んだり私的な思惑で動いたりすると困るので、判断するチームの人員は必ず一定以上の数にすることと、審査の過程や結果が、市民にきちんと公表されることが必須だろう。そうすることで執行の透明性も高まり、みんなが安心して暮らせる社会が実現するのでは、と思う。

 うちの近所にも、ゴミ屋敷、ではないけれど廃墟がある。

 中でも一番ひどい状態の廃墟は、人が住まなくなって10年くらい。庭は、人の背の高さを越える草木でぎっしり覆われている。数年前までは、それでもときどき、業者が入って草を刈っていることがあった。最後に業者が入ったのは3年くらい前。でもそのときも、庭のすべての草をとる、というところまではいかなかった。大体半分くらい草木を撤去したところで、業者は来なくなってしまった。

 なにがあったのかはわからない。最初から半分だけ草刈という約束だったとは思わないけれど。当初予想を上回る、あまりの草の量に追加料金を請求し、断られたのか?と想像してみたり。

 そこの土地は、たぶん相続でもめている。だから不動産情報をチェックしても、売却物件としては出てこない。

 誰か一人のものではなく、複数の法定相続人がいるのだと思う。そしてその人たちの代でもめれば、決着のつかないまま高齢で亡くなる人も出てきて、今度はその子供たちが相続権を引き継ぎ、時間がたてばたつほど、膨大な数の相続人が事態をますます複雑にする。

 もう何年も前に、50歳くらいの女性が、廃墟に接した道路の草むしりをしていたのを見たことがある。業者には見えなかったので、興味をもって声をかけてみたところ、その女性は以前そこに住んでいたおばあさんの姪だと名乗った。

 庭からはみでた雑草が道路まで伸び、歩行者の通行の邪魔となっていたのを見かねて、草取りをしているのだという。確かに、心ある人なら、自分にゆかりある親戚の家がこの状態で、見過ごすことはできないだろう。住まいは遠方だということだった。それで、しょっちゅうは来られないものの気にかけてはいたらしい。
 額に大粒の汗。黙々と草をとる姿には頭が下がった。姪というだけで近所迷惑を考慮して草取りしてくれるなんて、いい人だなあと感心した。その時点では、おばあさんも生きていたと思われる。

 たぶん、あのときの姪が、おばあさんからあの土地を譲り受けていたなら、今、この廃墟を放ってはおかないと思う。おばあさんは、きちんとした相続の手続きをしないまま亡くなったのだと思われる。その場合、複数の法定相続人が各々勝手な権利を主張すれば、売却もできず、ただ、荒れるにまかせるしかなくなってしまう。いくら姪がなんとかしたくても、他の人に所有権を共有していたら、自分の一存では処分できない。

 こういうパターン、よくあるのではないかなあ。

 そこの廃墟に住んでいたおばあさんは、私は直接知らないのだが、近所の人に聞いたところ、晩年、独り暮らししていて認知症を発症、お金にとても執着したという。誰かにお金をとられるのではないか、という被害妄想的なものがあったとか。その状態では、いくら姪がいい人でも、円満に姪に譲ることは、できなかっただろう。

 廃墟は、台風が来るたびに少しずつ壊れていく。雨どいが外れ、瓦が一枚、そして一枚と飛び、悪くなることはあっても、修復されることはない。自然に倒壊するのを待つしかないのか。

 家の中には、家財道具がたくさん詰め込まれている、という噂だ。おばあさんが施設に入るとき、片付けて出て行かなかったため、死後もそのままになっているという。

 思うに、家の中の残置物も、時間がたてばたつほど、処分が大変になってくると思う。想像するだけで怖い。仕事とはいえ、片付けるのは人間だ。片付ける人が気の毒すぎる。放置されて3か月のゴミを片付けるのと、10年もののゴミを片付けるのとでは、処理の難易度が違ってくる。

 結局、個人の財産権は、公共の福祉のために一定の制限を受けてもいいのではないだろうか。管理できないなら、それを所有する権利などないように思う。もし私がその廃墟の相続人の一人であり、所有権の一部を持っていたら、土地が自治体のものになるのは大賛成だ。廃墟のまま哀れな姿をさらすより、よほどいい。私が亡くなったおばあさんであっても、自治体が土地を管理してくれたらほっとする。

 地方自治体に所有権が移ったら、自治体はそれを売ればいい。自治体の収入になれば、予算に余裕ができて、地域の人がみんな潤う。特定の個人や業者が設けるわけではない。社会に還元されるのだ。それが、みんなが幸せになれる道ではないだろうか。

建築業者の良し悪しを判断する要素

先日、近所で上棟式があった。お祝い事というのはいいものである。散歩中通りかかると、大工さんやお施主さん夫婦が集まっていて拍手の音が聞こえた。他人事ながら、なんだか幸せな気分になる。

ところが、である。その上棟式から3日ほど、工事が進む気配がない。なぜなのだろうか(^^; このところ雨が多くて、一刻も早く屋根や壁を作るべきだろうに。これまた他人事ながら、気になってしまい、その家には特に注目していた。

4日目から無事に、工事が始まった。屋根と壁(といっても木の板)が取り付けられる。屋根は、瓦はまだ乗らず、防水シートが施工された状態。とりあえず防水シートがあればいいのかもしれないのだが、施主の立場になってみれば心配だろうと思う。せめて、屋根と壁が一段落するまでは、雨が降ってほしくない。屋根と壁が、完全ではなくてもせめて雨を防ぐ状態にまでならないと、お天気を眺めては心配する毎日が続いてしまう。

今日、その家の横を通りかかったら、驚愕の事実に遭遇。

工事現場はひどく乱雑で、あちこちに材料が放り投げてあり。風で飛んだと思われる廃材が散らばって、隣接する畑や隣家の土地に転がっていた。なんということだ! しかも、3メートルくらいの長い木材が10本くらい、二階の足場に立てかけてあって、それがどこにも固定されていないという信じられない状況。これでは、風が強く吹けばすぐに、たてかけた木材は倒れてしまうだろう。

立てかけるなら固定するべきだし、固定できないなら、横にして置くべきであろう。そんなこと、素人でもわかる。

壁はというと、窓が予定されている部分の板は、くりぬかれていた。南に大きな開口部。完成したら、きっと光があふれる素敵なリビングになると思われる場所。しかしその開口部にはなんの仕切りもなく。よって雨は容赦なく降りこみ、床板を濡らしていた。床板も、これで完成というわけではなく、将来的にはその上に、ちゃんとフローリング材を施工するとは思うが、それにしても。この雨に濡れた床材。仮設だよなあ、ちゃんと、最後には剥がすんだよなあ、と、そんなことが気になってしまう。
だって、もしもこの濡れた板の上に、乾燥が不十分なままフローリング材を施工したら?

まさかとは思うが、それでも新築の現場に木材のゴミをまき散らしているこの状態では、そのまさかが本当になってしまうのではという恐怖にかられる。

ちなみにこの現場。ゴミを収納するボックスがどこにも設置されていませんでした。普通はありますよね。でっかいゴミ箱。少なくとも新築現場では2個以上は置いてあると思うのですが。

鉄製の大きなゴミ箱。これも足場同様、おそらくレンタル品なのだと思われますが、このゴミ箱代をケチるというのは、信じられない業者です。ちなみに建設業者は新興の小さなハウスメーカー。ゴミ箱も設置しないくらいですから、きっと下請けの業者とも、安い賃金で契約しているのでしょう。乱雑な現場が、大工さんの荒れた心模様を表しています。ゴミ箱を用意してくれないのでは、片付けに対してふてくされる気持ちもわからなくはないですが。

でも、それにしても。この現場には、プロの矜持が全くありませんでした。きちんとした棟梁がいれば、ありえない状況です。こんな汚い現場。やりっぱなしの放りっぱなしで帰ってしまったら、普通の親方なら大激怒です。本当に、全部やりかけでいなくなってしまった、という感じなのです。無残に散らばったゴミが、もの悲しく語りかけてくるようでした。

ゴミ箱を設置しない新築の現場を見るのは、これで2度目です。経費節減しやすい項目なのか? でも、総合的に見たら家の仕上がりにはものすごく悪影響だと思います。

お施主さんも、見にこないのかな~。私が施主だったら、さすがに黙ってみないふりはしないと思います。ただ、この先のことを考えると気持ちが暗くなってしまいますよね。そもそも、どんな理由があったにせよ(たとえば契約で不満があったとしても)自分が建てる家を、こんなに汚い状態で放っておく時点で、私は大工さん失格だと思うのです。これはもう、上から注意してもらったからといって、直るものではない。そんなこと、施主に指摘されなくてもできて当たり前だからです。

この先も、いちいち言わなければ、きちんと仕事してもらえないレベルの人だと思います。その場合、本当に、この先が思いやられますし、そういうトンデモナイ人の場合、注意を逆恨みすることもあるわけで。あまり言いすぎれば、逆に見えないところで変な工事されてしまうかもしれない。

この場合、どうすることがいいのでしょう。1~10まですべて見張っているというのも無理で、それにあまり細かく言いすぎても相手を怒らせる可能性があり。妥協策としては、こまめに目を入れながら、どうしても見過ごせない点に関して、穏やかに粘り強くお願いする、という感じなのでしょうか。大金を投じた夢のマイホームがこれでは、あまりに気の毒な話です…。

そもそも、こういういい加減な業者を選ばないというのが大事なのだと思いました。もう、選んでしまった後では、どうしようもないような気がします。だからこそ、最初にどこで建ててもらうかを決めるのは、とても大切なこと。たぶん良心的なところと契約までこぎつけたら、あとは自然に、うまく事が運んでいくのだと思います。家を建てるプロなら、素人では気づかない点にもアドバイスをくれるでしょうし、施工管理も、言われなくてもしっかりやってくれるでしょうから。

その業者が建てている現場を実際に見ることが、対策になると思いました。契約したいと思ったら、その前に、同じ業者が建築中の他の現場を教えてもらって、複数回通えばいいのです。たとえば下請けの業者に頼んでいたとしても、その業者の仕事ぶりをしっかり確認することができます。もう対策としては、これが唯一と言っていいのかもしれない。

私がゴミ箱を設置しない建築業者を見たのはこれが2度目なのですが、1度目の業者は、以前新聞の広告が入ったことがあり、チラシの宣伝文句はそれはもう美辞麗句が踊りまくっておりました。そのチラシを見た限りでは、あんな悪質な現場を作り出す業者だとは、とても思えないほどです。つまり、業者の良し悪しをチラシで判断することは、無理だと言えるでしょう。現場です。現場を見るのが一番早いです。その業者が工事している実際の現場を、見せてもらうことです。

今日のゴミ散乱現場を見たら、どんなにチラシや口頭でうまいことを言っても、私はそこと契約する気持ちにはなれません。どんな上手い言葉よりも、目の前の現実がその業者の本音であり、正体なのだと思います。

坂口杏里さんの転落

 タレントの坂口杏里さんがホストクラブにはまり、借金を重ねた末に、アダルトビデオの出演が決まったとのこと。

 有名な女優さんの二世で、テレビでも顔が売れていて。なぜアダルトビデオの出演?と思うけれど、それを言うならなぜホストクラブ?だし、なぜそこまでの借金を?という話になる。

 借金してまでなぜホストクラブにのめりこむのか? 

 やはり愛情を求める、ということなのかなあと思ってみたり。お金と交換に、愛情がわかりやすくもらえる場所だから。お客さんの立場で入れば、初めて会った相手だとしても親しげに話してくれるし、うざがられることもない。優しく微笑んでくれ、また来てねと誘ってくれる。

 寂しい人にとっては、他に代えがたい場所なんだろうなあと思ってみたり。だって、道を歩いているときに好みの人をみつけて、「すみません。お金は差し上げますから今から私とお酒飲みにいってください。おしゃべりしてください」と頼んだところで、頭がおかしい人としか思われないわけで。

 でもホストクラブでは、お客さんだからね。好みの人をある程度選べるし、その人は決して拒絶しないとわかってる。まるで昔からの知り合いみたいに、親しく接してくれる。愛情を求めても変な顔をされないわけです。それが仕事だから。

 私はホストクラブって行ったことないですが。テレビで特集しているのは見たことあります。キラキラゴージャスな店内。髪も服もビシっと決めたイケメンがずらり。

 そうした非日常的な空間で、大勢にちやほやされること。寂しさを抱えた人にとって、それはまさに夢心地の体験だろうなあという、想像はつきます。

 私が杏里さんをとても気の毒だと思うのは、思春期に嫌いな男性が義父(籍は入っていませんが)として、同居していたことです。

 う~ん。これは本当に、キツイ体験だと思う。
 子供には逃げ場がない。離婚したことだけでも傷つくのに、お母さんが知らない男の人を連れてきて、仲良くしなさいという。そしてお母さんとその男の人が、仲良くする姿を見せられる。
想像しただけで、泣けてくるような話です。

 バラエティ番組で、坂口良子さんの再婚を特集したのを見ました。お相手のプロゴルファー、尾崎健夫さんは、とてもいい方だと思いました。一生懸命、本当の父になろうと努力されたのだと思いますし、真面目で優しい人柄も伝わってきました。

 でも、どんなに神様のように完璧な男性であっても。子供が嫌うのなら、同居してはいけなかったと思うのです。

 この件については、尾崎さんというより坂口さんの責任が大きいのかなと。

 借金返済で仕事が忙しく、子供達に構ってやれなかったというけれど、尾崎さんと付き合う時間はあったということですよね。
 でも、仕事の合間の限られた自由時間であったら、好きな異性と過ごすより、子供と過ごしてあげてほしかったです。

 百歩譲って、もし恋人ができたとしても。子供の見えないところで付き合う。家には連れてこない、という思いやりがあってもよかったのではと。

 杏里さんやお兄さんが、尾崎さんを気に入って再婚を望んだなら、また話は別ですが。

 杏里さんは尾崎さんを嫌って、オジサンとしか呼ばず、尾崎さんにはひどい言動を繰り返したとか。そんな状態なのに、坂口良子さんはなぜ、子供達のいる家に尾崎さんを同居させたのか。自分の気持ちを、子供より優先したのは間違いだったと思います。

 杏里さんは当時10歳くらい?でしょうか。それから約10年の同居。
 家に嫌いなオジサンがいるって、どれだけ絶望的な状況だったことか。子供は家を出ていくことができません。ただ耐えることしかできません。

 そのことは、杏里さんの人格形成に大きな影響を与えたと思います。子供にとって、一番大事なよりどころになるはずの家が。杏里さんにとってはそうではなかった。

 坂口良子さんに特別悪気があったわけではないと思いますし、尾崎さんがいい人であることもその通りなのでしょうが、杏里さんの立場になってみれば、孤独を感じたでしょう。

 お母さんは、自分よりも恋人をとったのです。

 子供だった杏里さんは、「大嫌いなオジサン」に物を投げつけたこともあったそうです。そのことを後悔し、詫びる発言もされていましたが、私はむしろ、そこまで杏里さんを追いつめてしまった大人二人の選択を、ひどいと感じました。

 そしてもう一つ。坂口良子さんが、病状の本当の深刻さを杏里さんにきちんと伝えずに亡くなってしまったこと。

 母心として、よかれと思ってやったことはわかります。たぶん、母として、本当のことを伝えたら杏里さんが精神的に耐えられないだろうという、その思いやりが生んだ決断だと思いますが。当時の杏里さん、21歳。
 小学生ならともかく、母が亡くなるのに、それを受け止められない年齢ではないです。

 弱い子でも、可哀想でも、事実として母が死ぬのが避けられないなら、その子なりに耐えていくしかないです。そして、先が長くないことが事前にわかっているのなら、母から子供に伝えたいこともあるだろうし、逆に子供として、母と話したいこともあるはずです。

 母親が亡くなったとき。悲しいのは当たり前ですが、自分なりに「やれるだけのことをやった」という満足感があれば、その悲しみを少しでも和らげることができます。

 でも杏里さんの場合、後悔と怒りばかりが残る結果となってしまったようで、お気の毒でした。なぜ母の病状を黙っていたのかと尾崎さんに対してずいぶん腹を立てたようですが、本当の責任は、母の坂口良子さんにあったように思います。
 尾崎さんにしてみれば、実の子供ではないし、良子さんから病状の口止めを頼まれれば、それを無視してまで勝手なことはできなかったでしょう。

 良子さんは、杏里さんを心配するあまり、見くびっていたのだと思います。この子には母の死があまりに重すぎる、受けとめられないと。でも私は、もし余命わずかを知らされていたら杏里さんは杏里さんなりのやり方で、杏里さんなりに一生懸命にそれを受けとめただろうし、死を乗り越えて成長しただろうと思うのです。

 結局、杏里さんにしてみたら、お母さんに対して思いが残る結果になってしまったような気がするのです。

 義理の父との同居も。お母さんは嫌がる私の気持ちよりも尾崎さんをとった、と心の奥に刻まれて。
 
 亡くなったときも。お母さんは私を信用してくれなかった。私には教えてくれなかった。尾崎さんは知っていたのに、私はなにも知らなかった、と。

 これは寂しいですよ。親の愛情を感じずに育ってしまったら、心にぽっかり穴が開きます。埋めても埋めても、埋まらない穴が。
 
 両親が二人いて、二人の愛情をもらって育つのが普通なら。離婚した場合は、なおさら気を遣わなくてはいけないかと。子供が成人するまでは、自分の気持ちや自分の人生より、子供のことを優先し、考えてあげてほしいです。成人するまでの子供は弱いです。逃げ場がない。家を出て、どこかで1人で暮らしていけない。どんな家でも、そこにいるしかない。

 良子さんは、尾崎さんが杏里さんの後見になってほしいと望んでいたのかもしれませんが、それは無理だと思います。良子さんが生きていたからこそ、かろうじてバランスを保っていた義父と義娘の関係。母亡き後に、尾崎さんの忠告を杏里さんが素直に聞くわけないと、誰だってわかります。

 それよりも、仕事の選択がこれでよかったのかどうか。結果論というわけではありませんが、華やかで誘惑の多い芸能界の仕事が、杏里さんに合っていたのかは疑問で。まして、所属事務所が、あまりいい噂を聞かないところで、真鍋かをりさんや小倉優子さんのトラブルの話もあり、なぜそこに所属させたのかなあ、と。

 多くの人が、杏里さんのことを心配しているのは、この先だと思います。このアダルトビデオの出演が底ではなく、この先もっともっと、転落してしまうのではないかと案じているのです。それを防ぐためにどうするか。お金だけでは救えないですね。もし一時的に大金が入ったとしても、ホストクラブで埋める心の穴は、底が見えない。きりがない。

 できればアダルトビデオ販売が、中止されればいいのですが。その上で杏里さん自身が、借金をしてしまう心の病を自覚し、治す意志をもてたなら。助けてくれる人は出てくると思います。ただ、治す意志を持つところまでもっていくことが、とても難しい。

 義父の尾崎さんが今何を言っても反発しかないだろうし、他人である元カレの小峠さんだって、そこまでの義理はない。身内の方が、自分の人生を賭けて生涯見守っていくぐらいの気持ちがあれば軌道修正できるかもしれませんが、実際、とても大変なことだと思います。

 複雑な家庭環境⇒情緒不安定⇒生活の乱れ⇒ホスト⇒借金⇒風俗
 よくあるパターンですが、どこかでとめることができたなら。

 杏里さんはおバカタレントとして活躍し、通知表のほとんどが1というのも笑いに変えていましたが、実際のところ知的に問題があると、生きていくのが普通の人より大変になるわけで。悪意を秘めた誘惑に気付かない。対処できないままずるずると。

 ホストクラブにのめりこむのには、人とコミュニケーションとれないことの寂しさもあるのかなあと思ったりします。たとえば、友人同士の関係も、「空気を読む」能力はどうしても必要になる。でもそこのところがうまくいかないと、同性の友人ができない。
 友達はボランティアじゃないですから。気が合わなければ、自然と遠ざかる。
 でもホストなら、疑似恋人でなく疑似友人にも即興でなってくれるわけです。お金を介してですけど。お金がなくなれば、消える関係ですけど。

 通知表のほとんどが1というのは、もはや笑えるレベルを越えています。もっともっとひどければ、福祉の助けもありますが。普通と福祉の隙間に、すぽっとはまってしまったグレーゾーン。誰かの支えと見守りが一生あれば、と思いますが。じゃあその役を誰が担うのかというと。

 杏里さんの場合、ここまでくるとなかなか、独りで軌道修正するのは難しいような気がします。

本当にいい不動産物件は、ネット上には出てこない

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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私は趣味で、自分の家の近くの不動産物件をよくチェックしています。そこで気が付いたのは、売買がネットに出てくる物件とそうでない物件があること。
マンションもそうですが、人気ある物件は宣伝しなくても売れてしまうので、ネットに出てこないか、出てきてもすぐに消えます。

たとえば、うちの近所で新築して2年のお宅があったのですが、仕事の事情で引越していってしまいました。引越して1ヶ月も経たないうちに、次の方が入居しました。その間、この物件の売買についてはネット上に一切出てきませんでした。引っ越す前から買い手が決まっていたとのことです。

築浅でもあり、また庭も手入れが行き届いた素敵なおうちでした。大事に住んでいたことが外からうかがえるため、需要は高かったでしょう。家で死亡事故があったわけでもなく、また近隣トラブルがあったわけでもない、お得物件です。公に中古住宅として広告を出す前に、あっという間に買い手が決まったようです。

また、更地で売りに出ていた物件もあったのですが、そこも不動産業者が広告を打つことなく、その不動産業者の知り合いで土地を探していた人がすぐに買ってしまいました。

どちらのケースも、自分でネット上で探していただけでは買えなかったでしょうね。

土地や家を探すときには、信頼できる不動産業者に自分の希望を話して探してもらうのがいいと思いました。ネットで見るのは、補助的なものです。ネット上に出てこない物件も、結構あるのではないかと。本当にすぐ売れてしまうものだと、ネットに出さずに、その前段階で話が決まってしまうからです。

場所や予算をざっくり話しておけば、いい物件が出てきたときにすぐ教えてもらえます。タイミングもありますから、ゆとりをもって探すのがいいと思います。また、不動産業者でなくても、周囲の人に話しておけば、なにか情報があったときに教えてもらえることがあります。

私も友人に頼まれて、近所で売物件が出たときに教えてあげたことがあります。近所だと、引越などの情報が入るので早いのです。そのときは条件が合わず、買うまでには至らなかったのですが・・。ちなみに、買わなかった最大の理由は、新耐震基準が導入された1981年(昭和56年)以前に建てられた家だったから。その友人は、小さいお子さんがいるので安全面を考えると、そこは譲れないと言っていました。

たしかにこの新耐震基準以前か以後かによって、気持ちの面で安心感は違ってきますね。値段も、そこを境にして変わってくるのかなと思います。

そこに住んだ人が綺麗好きだったのか、それともだらしなかったかによって、家の外観や室内の様子、傷み具合はずいぶん違ってきますが、この新耐震基準の導入された年というのは、住む人の住み方に関係なく、大きな節目となりますね。逆に言えば、とてもわかりやすい境目です。住人に関係ない要素として。

ネットで見ていると、なかなか築浅物件というのは数そのものが少ないような気がします。そこでよく出てくるのが、築25年から35年くらいのもの。最大でも築40年くらいでしょうか。それを過ぎると、古屋付きでも更地渡し条件になっていたり。

築34年前後だと、ちょうど新耐震基準導をクリアしているかどうか微妙な線で。しっかりチェックする必要があります。

結局、土地も家も本当にいい物件はすぐに売れてしまうので、ネット上には出てこないことは確かなようです。

『翼を広げて』 DEEN 感想

DEENのヴォーカルは池森秀一さん。声がとてもいいのです。

『このまま君だけを奪い去りたい』も好きな曲なのですが、この『翼を広げて』という曲も大好き。夏の終わりにぴったりなメロディと歌詞です。

冒頭の一節だけで、想像がぶわーっと広がります。夏の間に急速に仲良くなって、あっという間に別れがきたのかなと。なんとなく、長い付き合いという感じがしない。

でも短いから浅いわけじゃなくて。普通に過ごす時間の何倍も、一緒にいて笑って泣いて、いろんなことがあったあとに。彼女のために別れを決意するっていう。そのせつなさが、胸をしめつける歌なのです。

君が飛び立つなら、邪魔はしない。そういう歌なのかな。

エールは送るけれど。でも静かに見送っている。最後の一節もいいですね。

一言に、万感の思いをこめて。二人で過ごした日々の全部。でも過去形。たぶんその思いを、彼女が知ることはないんだろうなあ。

でもそれでいいのです。彼女が気付かなくても。飛び立つ後ろ姿をそっと見送る優しさ。目には見えないけど、その祈りはきっと、未来の彼女を守ってくれるはず。

池森さんの声は独特で。心地よい湿っぽさがある。ただ明るく乾いた声ではなくて。その歌声を聞いていると、懐かしい記憶が蘇ってきたり。誰の心にもある、あの日の空気。

出会いは別れの始まりです。生きていればたくさんの人と出会うけれど、別れは必ず訪れる。そのときの胸の痛みを、思い出させる曲だなあと、思ったりします。