引越して初めてのブログ

今日が、ワードプレスで作ったブログの初日になります。

ココログからの過去記事の引っ越しも無事に終了し、ほっとしました。ココログでは写真を載せることはなかったのですが、これからは、時々は写真もありのブログにしようかなと思っております。

もっとデザインもいろいろ編集してみたいのですが、迷っていると先に進めないので、設定も最低限の基本的なところだけを決めて、この最初の記事を書いています。

gooブログ→ココログ→Word Press と、渡り歩いてきました。Word Press が、きっと最後の地になるでしょう。

これからもよろしくお願いいたします!

預言カフェ 6回目 感想

先日、また預言カフェへ行ってまいりました。これで6度目の訪問になります。

 6度目ともなると慣れたもので、開店前の店の前に出されたノートへの記入も、時間になって再び店へ戻ったときの、時間のつぶし方も、全部余裕でした。
 お店は相変わらず混んでいて、指定された時刻に店へ行くとすでに、待合の椅子は満席。
 初めて行ったときは、ドキドキしたなあ、などと懐かしく思いつつ、店の外の、通行の邪魔にならない位置で待機。
 できれば、待合の椅子は、詰めて座ってくれると、皆座りやすいのですけどね。混みあったときに、ど真ん中の椅子だけ空いても、座りにくかったりします。
 誰かが呼ばれて空席になったら、ちょっとずつ詰めて、道路側の椅子がなるべく空くようにしたら、来た人が座りやすいのではないかと思ったりしました。
 店の外で待つとどうしても、道路を通る人の邪魔になったりしがちですから。私も気をつかいつつ待っていましたが、椅子に座って待っていることができたらそれが一番いいです。
 呼ばれたときにいないと後回しになってしまうので、外で待ちながらも中の様子を常にチェックして、なかなか大変でした。
 それにしても、お店はテレビで取り上げられるたびに、どんどん混んでくるような(^^;
 もうあんまり宣伝しなくてもいいのではと、そう思ってしまいました。身勝手な願いと知りつつ。
 指定の時間から15分。ようやく名前が呼ばれ、席に着きます。私はコーヒーをフレンチプレスで頼みました。フレンチプレスのおいしさを預言カフェで知ってから、いつもそうしているのです。
 今回、預言で言われたこと。
 今決めなくていい。来年の春にはニコニコ笑いながら希望通りの場所にいるのだから、と。
 まさに、迷っていたことの回答、そのものでした。預言者の方の、なんの迷いもない断言が嬉しかった。
 預言が終わり、ほっとひと息つきながら、コーヒーを飲みます。店内は満席。私の隣の席では、三人組の女の子たち。そのうちの一人が、預言を聞きながら泣き出しました。よほどの悩みがあったみたいです。
 私は残りのコーヒーを、急いで飲み干してお会計をすませ、お店を出ました。いつもすごく混んでいるので、預言さえ聞けたら、後はできるだけ早く退店するように心がけています。たくさんの人が待っているから。
 来年の春の自分が、楽しみです。

ドラマ『二千年の恋』 感想

 ドラマ『二千年の恋』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでいますので未見の方はご注意ください。

 2000年に放送されたドラマです。当時は全く興味がなく、本放送は見ていませんでした。そもそもタイトルに「恋」が入ってる時点で、見る気は失せます。安易すぎる…愛とか恋とかいれときゃ、一定の視聴者は食いついてくるとか、そういう意図があったのかな。

 タイトルも、それから国際スパイものだという設定も、陳腐すぎて当時全く興味をそそられませんでした。

 そしてあらためて2014年、このドラマを見て思うのは、やっぱり荒唐無稽だなーと。
 あまりにも現実離れしていたり、つじつまがあわないようなことが多すぎて、冷めた目で見ていました。主人公である金城武さん演じるユーリと、中山美穂さん演じる理得(リエル)が、どちらも美男美女、美しいというところだけが見所で。

 私はコッテコテの恋愛ドラマって決して嫌いではないのですが、それなりに真実味のあるお話でないと、物語に入りこめないんですよね。いくらドラマとわかっていても、ちゃんと説得力が欲しいのです。ユーリは国際スパイという設定でしたが、もしこれが現実の話なら、理得がらみで不用意に勝手な行動をとるユーリは、お話のもっと最初の方で同胞から危険視され、命を奪われていたような気がします…。

 スパイが情報収集のために近付いた相手と、恋に落ちる。これ、絶対に許されないことでしょう。一番危険なことでしょう。私情が任務を左右するようになったとき、それを許しておくほど、組織は甘くないのではないかなあ。
 だから、理得を守ろうとユーリが彼女をホテルに匿ったとき、請われて一晩彼女と一緒にいたとき、もうその時点で、ユーリのボスはユーリを許さなかったと思う。決定的すぎる。
 連絡もなく、長時間行方不明になっちゃったんだから。仕事中のユーリが。

 理得をどうこうしたところで、不信はぬぐえないはず。もうユーリそのものに対する信用がゼロで、ユーリは即刻、仲間から殺されてもおかしくなかったと思います。

 二人きりで、いろいろ素直に話すシーンはロマンチックでしたけども。現実味はまるでなかった。そんな時間を過ごせば、もう、何事もなかったかのように、ユーリは仲間の元に戻れるはずなんてないのに。そのことに対するユーリの覚悟が、見えてこなかった。

 そもそも、ユーリがスパイっぽくない…。
 それは最初から思ってました。金城さんが気のいいお兄さんにしか見えないから。スパイの凄みも、陰も見えなかった。
 どうしても隠しきれない人の良さが、金城さん演じるユーリにはありました。お気楽なあんちゃん。のんきで楽天的な自由の国の好青年に見えました。むしろ。

 だからどんなに、ドラマでユーリの運命の過酷さを説明されても、どこか遠い出来事のようで。その重さを、実感することはできませんでした。

 ところがです。このドラマで私が心を奪われてしまったシーンは、最終回の最後の最後に出てきたのでした。

 それは、家族全員を国に殺され、弟も父もその手にかけたという壮絶な人生をいきたユーリが、理得を人質にとられ、究極の選択を迫られるシーンです。

 そのときのユーリの表情は、忘れられないものでした。
 fayrayさん演じるナオミは、爆弾のスイッチを、人質にとった理得の心臓の前にかざします。スイッチを撃てば、理得を撃つことになる。ユーリは撃たないだろう、とナオミは確信しています。

 ユーリの目から涙が流れて。ユーリは理得を撃ちます。そのときの表情が凄いのです。ナオミに対する怒りや苛立ちではなく。静かな哀しみが、涙と共に流れて。

 理得がそのとき、スコープ越しに小さくうなずいたのを。「撃って。たとえ私が死んでも、みんなを守って」という彼女の心の声だと、ユーリが解釈したのであろうことは容易に想像できますが。
 なんだか、その前に、ユーリは理解してしまったような気がしたのです。理得の意志がどうであれ、ユーリは撃つことをもう決めていたように思います。ナオミは絶対に引かない。二択しかない。なら答えはひとつだと。

 もちろん、理得が暴れて、撃たないで、死にたくないと抵抗するのを目の前で見たら、ためらったかもしれないですが。理得はそんな女性ではありませんし。

 理得と生きる、新しい人生なんてどこにもなかったんだと。人質にされた理得を見たときに、誰よりも早く深く、ユーリは悟ってしまったような気がしてならないのです。だからこその、哀しみの涙だったような。全部わかってしまい、悲しい結末がすぐそこにあることを知っての涙。

 ドラマで映像として描かれた、荒唐無稽な過去よりも。もっとたくさんの、もっと苦しい出来事が、どんなにかユーリにはあったんだろうと、そう思わせる表情でした。表現が大げさでないぶん余計、心にしみました。
 ユーリの過去が、垣間見えたようで。

 

 自分の銃弾が、多くの人の命を救う一方で。大切な相手の命を奪ってしまう。ユーリの苦悩。彼女を失えば、自分も生きてはいけない。私はユーリの指にかかる引き金の重みを、まるで自分のことのように感じながら、画面に見入ってしまいました。

 その後がまた、ユーリらしくて。撃ったのは自分だから、彼女が確実に死ぬであろうことも、誰よりもわかっているわけです。そしてふらふらと、放心状態で理得の元へ歩み寄り、警官隊に撃たれて理得の横に崩れ落ちるのですが。理得のすぐ横であっても、決して理得の上に倒れないところがまた、ユーリの優しさであると思いました。

 最後なら、普通は触れたいと思いませんか。顔でも手でも。抱きしめたいと思えば、理得に覆いかぶさるようにして崩れ落ちてもおかしくないと思うんですよね。でもそしたらきっと、痛いし重い。だからこそ、わざと、真横に倒れて。それで理得のことを見るんですよ。

 許しを請うように? 救いを求めるように? 理得が目を開けて、視線が合ったら、ユーリは一瞬だけかすかに笑って、すぐに目を閉じて。この、微笑すれすれの演技がすごいと思いました。
 実際には表情は笑ってないかもしれないです。でも見えるんですよね。笑ってるユーリが。

 演出もすごいし、それにぴったりはまったのが金城さんだったと思います。

 ただ、理得が妊娠していたという後日談は蛇足だと思いました。う~ん、本当にこのドラマ、そういうところがやりすぎというか、陳腐というか。むしろ、そういう設定はない方が、二人の最後にはふさわしかったと思います。余韻が台無しになるといったら、言いすぎかな。

 このドラマ、最後の金城さんの演技が、しみじみと心に残ります。全11話ですが、最後の表情にやられました。それまでの10話の物足りなさが、ふっとんでしまう勢いです。

ドラマ『愛していると言ってくれ』 感想

ドラマ『愛していると言ってくれ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。

1995年に放送されたドラマです。当時は見ていなかったのですが、主題歌の『LOVE LOVE LOVE』が大ヒットしたのはよく覚えてます。街のあちこちで流れていたから。

本当にそうだなあと納得する歌詞。
好きっていう気持ちは不思議なものです。理由なく心が震える。

昔のドラマだけど、今見ても面白かった~。なにより、榊晃次を演じる豊川悦司さんが美しいのです。

なんだろうなあ。繊細で影があって、目が離せなくなる魅力があります。今とイメージが全然違いますね。今も素敵な俳優さんですけれど、このときのトヨエツはまた特別だと思います。
時間の創り出した一瞬の煌めきみたいなものを、ドラマ映像で堪能することができます。

このドラマ、主役は常盤貴子さん演じる水野紘子(ひろこ)だと思うのですが、紘子から見た晃次と、晃次から見た紘子、二人の心のすれ違いがせつないです。

年の差、とかね。晃次の耳が聞こえないという事実に対しての、二人の認識のずれ、とか。

紘子は23才位で、晃次は30才くらいの設定だと思いますが、このときの感覚的な年の差は大きいな~と思いながら見てました。年齢上がれば上がるほど、年の差は縮まっていくと思いますが、20代だと大きいな。
80才と87才だったら、もはや同い年みたいな感覚かもしれないですが、20代の一年は大きいかも。

晃次が常に上から優しく紘子を見守っていて、紘子はそれに追いつこうと、ぴょんぴょん飛び跳ねてる、というイメージでした。オープニングの、りんごを取るシーンみたいに。

物語の中で、ずーっとそうだったような気がします。
紘子には晃次がわからない。大好きだけど、自分が知らないことを一杯知っていて、いっぱい知らない過去があって。そういう自分のわからない部分に嫉妬して、疑心暗鬼になって、勝手に怒って、という繰り返しだったような。

晃次は晃次なりに、年長者として紘子に責任も感じるし、誠意をもって付き合おうとするんだけど、それがうまく伝わらない。誤解されて、怒られて、そして結局は紘子に逃げられてしまう。

うん。私は結局、紘子が去って行ったのだと思いました。晃次を捨てて。
最初の頃、多少強引に晃次に迫って来る紘子に対し、「君のセンチメンタルの道具じゃない」みたいな厳しい言葉で拒絶しますけども、結果的には彼が危惧した通りになったわけで。気の毒に思ってしまいました。かき乱すだけかき乱しておいて、去っていくなよ~と。
紘子みたいに可愛くて純粋な女の子に、好き好き攻撃をかけられて平静でいられるわけないのにね。絵の具や絵をあげたりしたところからして、そもそも晃次は、無意識の部分でも紘子はタイプであったように思います。
でも長い目で見たときうまくいかないのはわかってたから、防御反応でそれ以上は近付かないように、一定の距離を保つようにせっかく理性を保ってたのに。
その壁を、ひょいひょいのぼって来られて、ぐいぐい心の扉を開けられて、あげくにふいっと、また去っていくのですからたまったものではありません。

個人的な感想ですが、私はもうこの後、晃次は誰かと付き合ったりすることなく、一生過ごしたんじゃないかな~と想像してしまいました。最終回では、数年後の二人の再会、後は御想像におまかせします的な感じで終わってるんですけども、お茶飲むくらいはあっても、また付き合うことはないだろうなあって。

また同じことの繰り返しのような気がします。
人はそんなには変わらない。根本的な部分は一緒だし、そこを変える必要性もなくて。それが個性というものではないかと思いました。
変えられる部分と、変えられない部分がある。
一緒にいれば、傷付け合う相性、というのもあるのではないかと。

紘子と晃次は合わないと思いました。
どっちにとっても、一緒にいることは不幸なんじゃないかなあ。楽しくて、刺激的な部分はあるけど、それ以上に反発しあう部分があって。

紘子は若いから、晃次のいろんな部分が気になって仕方ない、笑って見過ごせない、という面もあるとは思いますが、じゃあ年をとって紘子が鷹揚になるかというと、それも多少、というレベルじゃないかなと。二人がぶつかりあわず、冷静に話し合えるような関係になるには、あまりにも紘子が神経質すぎるような。

決定的だと思うのは、喧嘩したときに紘子が言い放った言葉。一緒にいてもつまらないとか、手話が疲れるとか、CDを一緒に聞けないとか言ってましたね。

これはね~。いくら喧嘩したからといって、ありえないひどいセリフです。たとえ思っても、思ったのと、口に出して言うのには大きな差がある。というか、こういう人が、晃次と付き合っていくの、無理だと思う。いつか必ず、また傷付ける日がくる。(まあ、実際11話で、また晃次を泣かせてましたし)

紘子がいいとか悪いとかではなく、紘子はそういう人だから、です。そして、紘子は自分の言葉を反省はするけれど、また晃次と付き合おうとする、その行動が、私には理解できなかったなあ。
ああいうこと言っちゃった自分っていうのも、本当だと思うんですよ。まるっきり心にないことを言っちゃったわけじゃなくて。普段思っていても、口にはしなかったことがぽろっと、飛び出しちゃったわけで。
喧嘩して、相手を憎いと思って。傷付けてやりたいと思ったからこそ、口にできた言葉。

そしたらもう、諦めるしかないのにな。
だって、また同じことは起きるから。きっとまた、怒ったときには言ってしまう。一番晃次を傷付けてしまう言葉を。

喧嘩でも、言っていいことと悪いことが、あると思うので。紘子は、相手を大切に思うなら、この喧嘩の時点で、別れるべきだったんじゃないかと思います。本当に相手を好きだと思うなら。

それに喧嘩の理由も、なし崩しに女優をやめようとする紘子を、晃次が諌めた、という、晃次に非のないものでした。お説教かと反発した紘子でしたが、いやいや、それは晃次の誠意だろうと。
自分と付き合うことで、相手が堕落したら嫌だという気持ち、わかりますもん。年上ということで責任も感じていたのだろうし。

最終的に、紘子と晃次が別れる決定的な原因になったのは、晃次の元彼女である、光という女性に関する誤解ですけども。この人じゃなくても、きっと他の誰かのことでも、紘子は嫉妬したんだろうなあ。だから光がいなくたって、時間の問題で二人は別れていたんだろうなあ、なんて想像しました。

この光っていうのも嫌な人でしたね。
そもそも、元彼氏に頼りすぎだし(^^; 自分がつらいからって、そこまで寄りかかるのはあまりにも、甘えすぎかと。
元彼には元彼の、新しい人生があるわけです。新しい彼女と、幸せに暮らしてるなら、そこに入りこまないのは最低限のマナーじゃないのかと。

雨に濡れて元彼の家に行くかな~っていう。しかも断わられて、自殺未遂とか迷惑すぎる。どうしてそこに、元彼を巻き込むのか。

晃次を責めるのは、酷だと思いました。最初はきっぱり、元カノを家に上げるのを断ってる。それも、ここは自分だけの家じゃない(恋人と住んでるから)という意味のことを、ちゃんと言ってるのに。
自殺未遂までして、放っとけないと思った元彼の優しさにつけこんで、家に上げてもらう。しかも、置き土産に、今の恋人へのあてつけに、こっそり指輪を残していくとか、どんだけ性格が悪いんだ( ̄Д ̄;;

たとえ自殺未遂されようがなにしようが、きっぱり断れない晃次が悪いんだ、という人もいるかもしれませんが、私には晃次が可哀想に思えました。あそこで「俺には関係ないね」と知らんぷりできる人じゃないところが、晃次の良さだと思うので。

じゃあどうすればよかったのか。
あの場で紘子にFAX打てばよかったのか。これから元カノを家に泊めます。でもなんにもないから、心配しないで、って?
それは逆に、残酷というものです。事情のわからない紘子に、無駄な心配をかけるだけ。だから直接会って話すまでは、黙っていようと思ったのは、賢明な判断だったと思いますが。

あの指輪がねえ。
うん。怒れるのはわかるけれども。まずはちゃんと、晃次の話を聞いてあげればよかったのにな。目の前にいて、説明しようとしている相手に聞く耳もたないなら、付き合う価値はないと思うのです。人に聞いた話じゃなくて、ちゃんと本人の話を聞くべきだと思う。別れるにしても、ちゃんと説明だけは、聞くべきじゃないのかなあ。

そして、晃次と元カノの仲を誤解した紘子が、何をしたかといえば、腹いせに幼馴染のけんちゃんの家に一泊。

なにやってんだよと\(*`∧´)/
そんな幼稚な嫌がらせで、大事な人を傷付けるな~と。ドラマとはいえ、思わずため息が出てしまうような展開でした。
思えば、なにかあるたびに、けんちゃんを利用する紘子。けんちゃんは紘子が好きだから、紘子に求められれば絶対に拒絶しない。それがわかってて、けんちゃんに甘え続ける紘子。
書いてて思ったけど、紘子だって光(元カノ)とたいして変わらないなあ。相手の優しさを利用してるから。

そして紘子がひどいのは、自分が秘密を抱えているのが苦しいから、けんちゃんの家に泊まったこと、晃次に言っちゃうんですよね。相手に対する誠意というより、自分の罪の意識から逃れるために、言ってしまったような気がします。どうせ別れる気でいるのなら、墓場までもっていけばいいのに。そんなこと知っても、晃次が傷付くだけなのに。そのときの晃次の表情がすごく印象的でした。そりゃこういう顔になるよな~っていう。そういう顔以外の、なにができるの?っていう。

紘子は若いから、なのかもしれませんが。追いかける愛なんですよね。押し付ける愛、といってもいいかもしれない。自分の気持ちを相手に投げるだけ。投げられる側の気持ちや事情は、考慮しない。自分が好きだと思えば、そうしたいと思えば躊躇しない。

晃次のは、追いかけない愛なんだなあと。相手を追いかけないのも、また愛なのです。
たとえば最終話で、紘子といい雰囲気になっても、紘子がけんちゃんを思い出して泣きだせばもう、それ以上は踏み出せない、みたいなところ。バスで去っていく紘子を追いかけ、強引にでもひきとめるようなまねが、できないところ。

そういえば、同じような引く愛をもっていたのが、画廊のマネージャー、余貴美子さん演じる神崎さんではないかなあと。あの人、晃次のことを好きだったんじゃないかなあ。ほんのりと気持ちが描かれていたように思いました。
冗談めかして、ちゃんと逃げ道残した上で、晃次にそっと愛情を告げていたような。それで晃次からなにも返ってこなければ、諦めてそれ以上は追いかけない。だって追いかければ、彼が困ってしまうだけだから。

トヨエツがとにかく美しく、常盤貴子さんの若さが眩しいドラマでした。

『常套句』Mr.Children 感想

Mr.Children の『常套句』を聴いています。以下、その感想です。

 

ミスチルのこういうバラード、好きだなあ。綺麗なメロディに乗せて想いを歌う、という。このシンプルな構成。

 

タイトルが『常套句』ってところがちょっとひっかかりましたが。常套句っていうと、なんとなくマイナスのイメージだから。嘘の言葉。偽りの言葉。心にもない飾り文句、みたいな。

でもこの曲中に何度も出てくる、愛を告げる言葉はどれも真摯で。胸にしみいる真実の声。これ、常套句なんかじゃないよ~って、思ってしまいました。

照れなんでしょうかね。このタイトルは。主人公は男性? どうせ、それが君の常套句なんでしょ?と、拗ねる彼女に、そうだよ、とぶっきらぼうに返しながら、歌い続けてる感じがします。

誰かを好きになったら、たしかにこうなるだろうなあという。
それ以外、なにがあるの?っていう。

今何してるのかなあとか。どんなこと考えているんだろうとか、そればっかり気になって。
そして、思うんだよね。自分と同じくらい、相手も同じ気持ちでいてくれるんだろうか、と。

曲の中ごろまで、ただふわふわとした甘い気持ちが続くのですが。この曲の凄さは、途中でぶった切りが入るところです。

ええーっ!!と。椅子から滑り落ちる勢いといったら大げさでしょうか。その瞬間、甘い物語が悲恋に変わってしまう。それも、ただの片思いなどではなく。

この曲を途中まで聴いた時には、両思いの微笑ましい歌なのかな?と思ってました。付き合い始めたばかりのカップルが、互いのことをまだよくわからなくて、信じきれなくて。離れている少しの時間がもどかしくて、相手を思う歌なのかな~って。

でも、途中、話が違ってくる。

二人に明るい未来がないことを、知っている歌になる。

相手を好きだ、とはっきり自覚したそのときから。絶望的な結末しか見えない、そういう関係を歌っているように想像しました。だから、相手を好きになる、嬉しい気持ちと同じだけ、悲しみに襲われるのでは? どんなに好きになっても、幸せな結末などないとわかっているから。

嬉しさと、悲しみと。二つの感情をもてあましながら。ただただ、愛というエネルギーだけが、どんどん膨らんでいくような。

それは・・・困るだろうなあって思います(^^;
どこにも、行き場がないからです。

狂おしいって、言い得て妙。
たぶん、理性ではわかってるから。幸せになれないとわかっているのに。どうせ駄目だってわかってるのに。なぜ相手を好きになってしまうんだろうっていう。
冷静に考えたら、本当に狂った行為なわけです。
どうしてわざわざ、不幸になる方向に向かってしまうのか。
くるっと反対方向向いて、軌道修正したらいいのに。忘れてしまえばいいのに。後で泣くの、わかっているのに。

それでも、好きになってしまう気持ち。
メロディが、胸に響きます。
感情だけが、理性に反して暴走する。痛いですね。

相手の気持ちを気にしていたのに。この曲の最後はシンプルな言葉で終わるのです。

・・・深いなあ・・・。もう、相手の気持ちを問うことなく。ただ独白で終わるんです。
その言葉が、相手に届かなくてもいい。そんな気概すら感じます。君がなにを思おうとも、僕の気持ちは変わらない。そういうことなんでしょうか。

少し悲しい瞳で。離れた位置から彼女を見ているような。
ただただ、無邪気にはしゃいでいた時は過ぎて。そこにいるのは。どんな人なのだろうと。

常套句なんかじゃないなあって、思いました。「愛しています」っていう言葉にこめられた気持ちの重さは。