『銀の鬼』茶木ひろみ その1

茶木ひろみさんの漫画、『銀の鬼』を読みました。以下、感想を書きましたが思いきりネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

それは、本当に懐かしい再会でした。

というのも、初めて読んだのが10年以上前のこと。昔、家の近所に喫茶店があって、そこに『銀の鬼』が置いてあったのです。当時の私はなんの気なしに手にとって、それから夢中になって、全巻読み終えるまで店を出られませんでした。

そして一度読んだ後も、まるで中毒のようにまた読み返したくなり、何度も、何度もその喫茶店に通ったのです。もう、喫茶店でお茶を飲むのが目的ではありませんでした。ただ、『銀の鬼』が読みたかったのです。なにを注文したかなんて、全然覚えていません。そこの喫茶店では必ず、『銀の鬼』を読んでいました。休日になるたび、通っていたのです。

今回、10年の歳月を飛び越えて、しみじみ感動しました。年月が経っても、やはり名作は名作です。ちっとも色あせていません。ジャンルは少女漫画ですが、根底には深いテーマのようなものを感じました。

あらすじはというと、普通の女子高生、夏乃ふぶきが、教師の島影十年(とね)に恋をします。しかしふぶきは実は、神。十年は、人を殺す業をもった鬼。互いに惹かれあいながらも、ふぶきは己の倫理観に苦悩し、十年も、ふぶきを前に冷酷な心が揺らいでいくのです。

突拍子もない話といえばそれまでなのですが。女子高生がいきなり神って(^^;

しかも先生は、かなり早い段階で鬼の正体を現します。このシーン、かなり衝撃でした。先生に対して全面的に信頼しているふぶき。読者も、「優しそうな先生だな」と安心しているのに、いきなり豹変して角が生え、髪が伸び、「おれがその鬼だもの」というセリフ。度肝を抜かれました。

雪女的な場面ですね。

実はふぶきは、小さな頃に十年が人を食べる場面を見ています。そのとき鬼である十年は、「大きくなったらむかえにいく」と言って去っていきます。ふぶきは教師の十年をそのときの鬼と知らずに、当人にその話を打ち明けてしまうのです。

十年はふぶきを食べるのを楽しみに、彼女の学校の教師となりました。しかし恋愛感情がわいてしまったために、「花嫁にする」と宣言。それを拒むふぶきと、なにがなんでも思いを遂げようとする十年の心の動きが、丁寧に描かれています。

両者とも、その気持ちにすごく共感してしまいました。まず十年。

最初はとても冷酷な、まさに鬼です。自分のことしか考えてないし、人間的な倫理観は持ち合わせていない。鬼ですから。人の心臓を食べて、それがこの上なく甘美に感じられる怪物ですから。それも仕方ないといえば、仕方ないのかもしれません。

昼間は人の形をしていても、夜は鬼に戻ります。

それは、野生の肉食動物に、人間の倫理観を押し付けても虚しいのと同じことかなと思いました。

それが、ふぶきと出会い、ふぶきに影響されて少しずつ、人間の心を取り戻していく。その過程が本当に泣けます。そもそも、彼は実は人間としての生を受けたことが、過去にあり。そのときにあまりにつらい経験をして、それが原因で鬼に生まれ変わったのです。

これは、十年が救われるまでの物語でもあります。

最終的に、ふぶきが彼を救います。私、十年とふぶきの別れのシーンが大好きです。鬼だった十年が、ふぶきの最後の言葉を聞いて、自分でも気付かないうちに、人間の姿に戻っていくところ。

それから十年が毒と知りつつ、流也の淹れたコーヒーを飲むところ。その後、「しあわせなんだ」って笑ったときの顔。

本当は十年は死にたかったんだろうなあって。ふぶきを失って、人間としての倫理観を手に入れてしまった十年にとって、生きる意味はもうなかったんだと思うのです。ただ、ふぶきが生きてくれといったから、その言葉に逆らえなかった。

そういう意味では、流也が彼を救ったのかと。そして十年が死ぬことで流也が救われ、二人がいなくなった世界が始まる。もうそこには、ふぶきと十年の苦しみはない。残されたものの記憶は苦いけれど、でも、必ず皆、そこから立ち上がっていっただろうなという確信があります。

長くなりましたので、続きは後日。

『迷路の花嫁』横溝正史著

『迷路の花嫁』横溝正史著を読みました。以下、ネタバレを含む感想ですので、未読の方はご注意ください。

もともと横溝正史の小説はあんまり好きじゃない。特に短編ものは、途中で読むのをやめてしまうほど、私の趣味には合わなかった。映像化された『犬神家の一族』は面白いとおもったけど。

というわけで、あまり期待せずに読み始めたのだが、これは進めば進むほど、どんどん引き込まれる作品だった。

物語は、小説家の松原浩三が、心霊術師の建部多門を追いつめていく、という話です。この多門というのがひどい男で、たくさんの女性が泣かされているのですが、その一人ひとりを松原が救っていく。それも、その場限りではなく、その女性達が長く、幸せでいられるように、キューピット役を務めたりなんかして。

心霊術師の多門は、オカルト商法そのままに、女性達の弱い部分につけこんでいくのですね。

殺人事件が絡んだミステリー、謎解きというよりも、人間模様が興味深かったです。

基本は松原が正義で、多門が悪なんですけども。読後によくよく考えると、松原にも男のエゴ、みたいなものが垣間見えて、必ずしも彼は品行方正な紳士ではないなあと。

多門に囚われていた(軽い洗脳だったと思う)奈津女を鶴巻温泉に連れて行く松原ですが、この辺りの描写が強引なのだ。結局奈津女は、相手が変わっただけで、本当に自由の身にはなっていないから。

そりゃ、多門に比べたら、松原の方がよほどいい人。多門の元で暮らし続けるよりは、松原のところに逃げた方が幸せだと思う。だけど、逃げ出す代わりに、俺のものになれ的な、有無を言わせない強引さはどうかと思った(^^;

結果的には、奈津女は松原を好きになってめでたしめでたしだが、好きでもない相手に迫られるのはどうなの?みたいな。退路を断って、決断を迫るようなやり方が好きじゃないなあ。

松原にとっては、奈津女は好みの女性で、ラッキーという感じだったんだろうけど。弱みにつけこむのって、やっぱり卑怯な気がする。

ヒーローである松原だから許されてるのかもしれないが、これが別の、ぱっとしない普通の人だったら、読者の嫌悪感は相当強いと思う。

私がこの作品で一番好きなカップルは、元軍人の千代吉さんと瑞枝さんだ。千代吉さんは、瑞枝さんを守ろう、大切にしようという気持ちがありありと伝わってきて、かっこいいなあと。最初の頃、瑞枝さんに惹かれながらも、「結婚してください」と言えないその謙虚さが、せつなかったです。

ずうずうしくないところが素敵。瑞枝さんの幸せを祈るからこそ、うかつなことは口に出せない。ただ、自分にできる全力で、彼女を守ろう、役に立とうとするところがいいなあと思いました。瑞枝さんは瑞枝さんで、優しくて、でも正義を貫く人。

自分だけのことを考えたら、もっと楽な方法はあったかもしれない。でも、瑞枝さんは恭子さんとの約束があったから、逃げ出さずにじっと耐えていた。危険を冒してでも、恭子さんや他の人たちを助けようとした気持ちが、素晴らしいと思いました。

奈津女に対しても、「自分のようになってはいけない。早く逃げて」と諭していた。

自分が不幸だから、相手の不幸を願うのではなく。自分が不幸だからこそ、同じような人間を増やしてはいけないと、心を砕く。その優しさが心にしみました。

千代吉、瑞枝、そして蝶太はきっと、いい家族になれるでしょう。

私、瑞枝が火事の夜に、千代吉の家へ逃げてくるシーンが大好きなのです。好きだけど、決して2人の人生が交わることはないと諦めていた千代吉が、思いがけず訪ねてきてくれた瑞枝の姿を目の前にして、どんなに嬉しかったかわかるから。

私も昔、もう会えないとわかっていた人と、思いがけず再会して本当に嬉しかったことがあるので。そのときの自分の気持ちが蘇って、胸にじーんときました。千代吉の気持ちがわかります。

信じられないという気持ちと、相手が今、目の前にいるのだという現実と。

きっと千代吉も濁流のような歓喜の感情に全身を震わせて。目の前にいる人の顔を、ただただ見つめていたんだろうなと。

千代吉からは、言えないですもん。千代吉は、何も言える立場じゃない。幸せにできる自信も根拠もなくて、だから、一方的に焦がれて、瑞枝の幸せを祈るしかなくて。

でもその瑞枝が自ら、来てくれたのです。まさに奇跡。

本来の主人公である松原よりも、千代吉や瑞枝に感情移入してしまった作品でした。

『火の粉』雫井脩介著

『火の粉』雫井脩介著を読みました。以下、ネタバレ有の感想ですので、未読の方はご注意ください。

すごい本を読んでしまった。一気に読み終えてため息。人物の描き方が非常にリアル。「あーいるいる、こういう人」と思った。

ある事件の被告人に、無罪判決を出した裁判官。はたしてその被告人は、本当に冤罪だったのか?というお話なのですが、主人公の裁判官とそれをとりまく家族・友人・仕事仲間、みんな個性的で、きれいごとではない人間の腹黒さがうまく描かれてました。

話全体にいろんな要素が盛り込まれていて、それを掘り下げていくと、枝分かれしたたくさんの話が書けると思います。その一つが介護問題。

主人公の勲。その妻である尋恵は、夫の母である義母を懸命に介護するのですが、報われません。たまにやってくる小姑の満喜子は、尋恵の介護が気に入らず嫌味を言います。

読んでいて、これはどこにでもある問題だなあと思いました。たまに来る人なら、いくらでも綺麗ごと言えるわけですよ。でも毎日、自宅で介護する人の大変さを知っていたら、そんなこと言えた義理じゃありませんよね。尋恵はいつか姑に、最終的には認めてもらえるのではと思って意地でも完全な介護を成し遂げようとがんばってるようですが、思わず声をかけたくなりました。

たぶん無理。

介護されてることに感謝の気持ちがない人が、臨終間際に「感謝してる。ありがとう」なんていうのは滅多にないことです。尋恵は満喜子への意地もあって、隙をみせないようですが、どんどん頼っていいんだと思います。

満喜子が尋恵の介護を気に入らないというなら、「すみませんお義姉さん。それじゃお義母さんも喜ぶと思いますんで、しばらくお義母さんをお願いしますね」ってやらせてみればいいんです。

姑も尋恵が気に入らない。満喜子も尋恵が気に入らない。だったら、気にいったもの同士、思うようにやってもらったらいいではないですか。

勲に無罪判決をもらった武内が、尋恵に急接近したのはわかるような気がしました。尋恵の真面目さだとか、純真さが武内には心地よかったのでしょう。

この武内の描き方がまた、秀逸です。

これ、実際に存在するタイプの人間だと思います。天性の嘘つき。詐欺師。嘘をつくことに、なんの罪悪感も感じないという人間。

武内を中心に、周囲の人は面白いように振り回されていきます。

まさか、こんなに真剣に話してるんだから嘘のはずはないだろう。まさか、そうまでして嘘をつくことはないだろう。まさか、まさか・・・。

自分を中心に考えると、大きな穴に落ちてしまいます。

世の中には、想像もできないような天性の悪人というのがいるわけで。

たぶん、普通の人は、嘘をつく行為に、自動的に罪悪感をもつんですよね。ところが世の中には、それをまったく感じない人間がいる。「罪悪感なしに、自在に嘘をつける」人間がいることを知らなければ、たやすく騙されます。

武内に殺された被害者の遺族、池本夫妻が、武内と直接対決するシーンはせつなかったです。武内の罪の意識のなさは、周囲の人間の信用を勝ちとり、まるで池本夫妻が被害妄想を持っているかのようになってしまって。あせればあせるほど、腹を立てれば腹を立てるほど、その感情の揺れを武内が利用していく。池本夫妻が歯軋りするほど悔しくても、周囲は誰も理解してくれない。

この本の凄さは、最後の最後まで気が抜けない展開です。

本当にドキドキしっぱなしでした。どっちに転がるのかわからなくて。いくつもあるチャンスが、そのたびにつぶされ、もうダメかと思った瞬間にまた、光明が射す。

まるでドラマを見ているように、そのときの情景が目に浮かぶのです。読み手は危険がわかっているので、思わず「逃げて~」と言いたくなってしまいました。

最後の1ページに至るまで、一気に読ませる力量はすごいと思いました。この作者の、別の作品も読んでみたいです。

カルモヂインの冬山はどんなだろうか

秋から冬にかけ、山が恋しくなります。
 なぜだろう?
 大勢の人に囲まれていると、賑わいを抜け出して冷たい空気の中、葉ずれの音しかしないような深い山の中に行きたくなります。

 西脇順三郎の『太陽』という詩が好きなのですが。その詩に出てくる「カルモヂイン」という地名が気になります。詩の中では夏の風景が詠われていますが、冬はどうなんだろう? 
 私のイメージでは、カルモヂインという土地には深い山があるのです。

 獣道を分け入って、山の頂上に達すると、そこには大木が一本悠然と立っていて。その周りだけ、少し開けた感じになっていて。

 そこにビニールシートを敷いて、木の根元に腰をかける。大木にもたれるようにして、空を見上げる。月のない夜空。目が慣れてくるにつれ、どんどん星が数を増していく。

 冷えた空気が清清しく。吐く息の白さが、面白く。
 そうだ。熱いお茶を水筒に詰めて持っていこう。それをちびちび飲みながら、一晩中星を眺めよう。

 なんて、想像は広がっていくわけです。

 つい先日も、飲み会の席で「山の中にいる自分」を強くイメージしていました。煙草臭い空気が嫌だったからよけいに、山へ行きたいと思ったのかもしれません。飲み会も仕事のうち・・・とは思いますが、煙草の煙はつらいです。賑やかな酒席にいる自分に、違和感を覚えてました。
 

 山の空気。冷たく、凍るような夜の静けさ。
 そして、山の頂上の大木にもたれて、私は星を眺める。
 厚着しないと、寒いだろうなあ。だけど山の頂上から見る星は、どんなにきれいだろう。

 温かいコタツより、みかんより、その山の情景に心を惹かれるのです。年内に実現するかな?

『複雑な彼』三島由紀夫著

久しぶりに『複雑な彼』を読み直してみる。昔、夢中になって読んだ本。

おもしろいもので、本は時間を経てから読み直すと、全く違う感想を持つことがある。ついこの間も、10代の頃に大好きだったあるシリーズ物を読み直し、愕然とした。あの頃、あんなに魅力的に見えたヒーローが、無残なまでに色あせて見えたから。

そのシリーズの新刊を買うために、凍りつきそうな冬の日、お小遣いを握り締めて本屋さんまで自転車を走らせたのを覚えている。その日の風の冷たさ。体は冷えきっていたけど、続きの読めるうれしさで心は熱く燃えていた。ペダルを踏む速度が、もどかしいくらいだった。「早く読みたい」その一心で、本屋さんへ一直線。

『複雑な彼』に対する見方は、変わったかな?と自分でも興味津津でページをめくっていったのだが。

非常に面白かった! 最後どうなるのか、自分でも忘れていたのだが、この終わり方もすごくよかった!

直前に、同じ三島由紀夫の『剣』を読んだばかりだったが、とても同じ著者が書いたものとは思えない文体の違いに驚く。『複雑な彼』の方がかなり読みやすくなっている。そして安部譲二さんがモデルといわれる主人公の宮城譲二。

あまりのかっこよさに惚れてしまいました・・・。

以下、ネタバレ含みますので、未読の方はご注意ください。

強くて繊細な人が好きです。

三島さんの描く宮城のキャラクターが素敵すぎて、一気に読み終えました。

複雑な過去を持つ宮城譲二と、いいとこのお嬢様、冴子との出会いから別れまでの一連の流れを描いた作品です。安部さんがモデルになったのは事実でも、エピソードのほとんどは、三島さんの空想の産物だと思いました。

あまりにも美しく、夢のような物語だったからです。

少しだけ、私は「オペラ座の怪人」のファントムのことを思いました。砂漠の国の若き未亡人との一夜の場面など。なぜかと問われてもうまく答えられないのですが。

本の中の宮城の気持ちも、冴子の気持ちもどちらにも、痛いほど共感しました。お互いを探り合いながら、どんどん惹かれていく瞬間。興味のないふりをしながら、本当は背を向けて去りたいプライドがあるのに、それを許さない熱情。

読んでいく中で、一番好きな場面はここです。

>……なかんずく彼の手が彼女の手首の骨の突起に触れたときに、

>あまりいたいたしい気がして控えてしまったのだ。

宮城と冴子が一番近付いた瞬間で。しかしこれが最後でしたね。

もちろんその後も会う場面はありますが、2人の関係が一番高まった瞬間だったと思います。後はもう、落ちていくだけ。実質的には、それが2人にとってサヨナラの時だったのでしょう。

このときの宮城の気持ち、わかりますよ~。その優しさにうっとりです。三島さんの感性は、女性っぽいのかもしれない。もしくは私が、オヤジっぽいのかもしれない。

そのときの宮城の気持ちが、胸にしみました。

まるで自分が冴子を目の前にしたときのように。なんだかねえ、愛しくて愛しくて。あまりにも大事すぎて、自分なんかが触ったら、ひょっとして全てが夢で、その瞬間に全部消え去るんじゃないだろうかとか。

不安になってしまうのですよね。あんまり好きだから。

目の前に存在する人の存在に、どうしようもなく憧れて、賛美して、そして恐れずにはいられない、その感覚。

宮城がもう少し鈍感で大胆な人だったら、また違う結果になっていたかもしれません。でもそんな宮城だったら、私は好きにならなかっただろうなあ。

所詮、生きる世界の違う恋人だったのだと思います。長続きはしなかったでしょう。むしろ、同じ道を無理に歩こうとすれば、傷つくことばかり多かったはず。だから、結果としてはこれでよかったのです。

あくる朝。

約束を違えて現れない宮城と、泣き崩れた冴子。

自暴自棄になった宮城は、昔の彼女ルリ子に会いに行きますが、このときの淡々とした描写がなんとも言えません。

たくさんのことが書いてあるわけないけど、どうしようもなくせつない。状況がよくわかるから。

宮城とルリ子はどんなに近付いても、そこに心はなくて。

ルリ子は冴子の代わりにはなれない。ルリ子はそれを察して宮城を脅しますが、その嫉妬心の醜さがまた、せつないのです。

そんなことしても、手に入るわけがないのに。

そして宮城も、むなしさがわかっていてルリ子に会う愚かさ。それでも、一人ではいられなかったんだろうなあと思うと、冴子を失った喪失感の深さがうかがわれますね。

この作品はなんと、田宮二郎さん主演で映画化されたらしいのですが、これは映像化には向かない作品だなーと思いました。『複雑な彼』は、文章が醸し出す味を楽しむ作品ではないでしょうか。超絶二枚目が宮城を演じたとしても、それはこの、三島さんの文章以上の宮城にはならないはずです。

何度も読み返してしまう、名作でした。