KIYOSHI MAEKAWA 35th Anniversary HAPPY LIVE [DVD]  感想

KIYOSHI MAEKAWA 35th Anniversary HAPPY LIVE [DVD] を見ました。以下、感想を書いていますがネタばれしていますので、未見の方はご注意ください。

前川清さんの『夏の花よ』という歌が好きで、その歌を歌ったライブの収録である、ということで見ました。

いいですね~。『私集』というCDで聴いたものよりも、ずっとずっと、私がイメージした『夏の花よ』の世界観に近かったです。CDの方は声が若いし、歌が完成されてしまってる感じで、あんまりいいなと思いませんでした。

『私集』と『HAPPY LIVE』を比較すると、『夏の花よ』に関しては『HAPPY LIVE』圧勝です。

もうね~。声が疲れてるところがすごく、いいのです。ああ、声が疲れてるっていうと違うか。声に人生の疲れがにじみ出てる。その表現の方が、近いかも。倦んでるのです。
やっぱりこの曲は、そういうところが土台にないと、さまにならない感じがします。元気に上手く歌われても、響かないというか。

ライブでは最初の方でこの歌を歌っているので、決して本当に疲れているわけではないと思いますが。前川さんの表情もいいし、疲れた感じの陰が、なんともいえない味わいなのです。

このライブ。35周年ということは、10年ほど前に撮られたものなのですね。私も生で聴きたかったなあ。
会場がまた、素敵なのです。品川プリンス CLUB eX 。円形の舞台があって、その前面に、ディナーショーみたいな円形テーブルが並べられ。それが客席になっているのですが、なぜかテーブルの上には飲み物と、それからケーキ?らしきものが。

飲食しつつ、ショーを楽しんでくださいねーという趣旨なのでしょうか。
でも、どうなんだろう。飲食タイムは分けないと、目の前で歌ってるときに、なかなか飲み食いってできなくないですか? まして会場にいるのは、35周年ということもあり、熱心なファンの方々なわけで。

こういうのは、あれですね、やっぱり最中ではなく、終わったあとでおしゃべりしたいのではないでしょうか。ファン同士で。帰りにお茶しつつ、今日の舞台について熱く語る、みたいな。

円形舞台は、高さもそんなになくて。客席との距離も近い。
かなりファンとの距離が近い会場だなと思いました。あの会場で、最前列に座った人は大ラッキーでしょう。およそ90分の間、あの距離で生歌とトーク。プラチナチケットだなあ。

『夏の花よ』のとき、歌う前に客席の女性から老眼鏡を借りるシーンがあったのですが、それがまた歌詞の世界にぴったりというか。
いきなり老眼鏡借りちゃう前川さん、フリーダムすぎ(^^;

だけどその、ちょっと哀愁入った横顔や。立たずに座って歌う、そのスタイルが。ぴったりなのです、『夏の花よ』に。
歌詞の主人公はきっと、若い人ではないから。

私は『夏の花よ』を聴いてから、思わず川端康成の『眠れる美女』を再読してしまいました。共通点なんかないだろう、と言われればそれまでですが。あと、『美しさと哀しみと』も読み返しました。
なんでだろうなあ。別に内容が歌詞とかぶるわけではありませんが、流れる雰囲気に、彷彿とさせるものがある。

このDVDでの『夏の花よ』歌いだし前のシーンは、本当に、印象的でした。(老眼鏡は、歌ってるときには外してます)

立って歌ったら。そして譜を全く見ずに歌ったら。あの独特な雰囲気はでなかっただろうなあと思います。
そして歌い終えた後、本来、舞台から去って暗転、という構成だったのに、それを忘れて座ったままその場に残ってしまった前川さん。

もう、そこまでがすべて、『夏の花よ』のための筋書きかと思いました。完璧です。

あの歌には、そういう魔力があるのかも。

歌ってるときの衣装もよかったな。ライトの具合で、実際には違うのかもしれませんが、私には朱鷺色に見えました。朱鷺色のジャケットに黒いパンツ。

この日の舞台にぴったりです。
黒でキメキメにするほど、格式ばった会場の雰囲気じゃなかったし。というかその雰囲気は、前川さんのゆる~いトークが醸し出したものでしたが。

面白いんだけど、意外に毒舌で(^^; ちょっとはらはらもしてしまいました。誤解受けるんじゃないか、へたしたら怒っちゃう人いるかも?なんて。
でも来てる人たちは、熱心なファンの人たちだから大丈夫なのかな。
顔見知りの方もたくさんいるみたいで、舞台上から気さくに声かけてました。

トークを聞いていて思ったのですが、飾りがないお人柄なのだなあと。たぶん、お世辞とか、心にもない言葉とか、嫌なんでしょうね。だから、気が置けないファンの前だと、いつもは携帯している最低限の社交辞令も、うっかり滑り落ちる、みたいな。

そしていつかの、糸井重里さんとの対談での発言、「歌が嫌い」の意味も、解けたような気がしました。

歌が特別嫌い、というより。歌に対する感覚は、歌手ではなく、普通の人に近いんじゃないかと。

だから何度も同じ曲を歌えば飽きるときもあるし、「歌手なんだから歌は好きでしょう」と思われてしまうことに対する、否定の気持ちもあったりするのかな。
そして、個人的に好きな曲も嫌いな曲もあるわけで。

好きな歌でも何度も繰り返せば飽きる。嫌いな歌でも、リクエストがあれば歌わざるを得ない。
そうした感覚は、歌手というより、一般のお客さんの感覚と一緒のところがあるのではないか、という気がしました。

歌が命、歌っていなければ自分の人生はない、そうした歌手とくらべたら、やっぱり異端なのかな。

歌が嫌いなのではなく、「みなさんが思ってらっしゃるほど、盲目的に好きではない」ということなのかな、と。勝手に解釈しました。

いつかまた、前川さんの生歌を聴きにいこうと思います。生歌で、『夏の花よ』を聴いてみたいです。CDやDVDは何度も再生できて便利だけど、生の声が伝えてくれる目に見えない何か、は、そこにはないから。
生歌で聴いてみたいです。

『常套句』Mr.Children 感想

Mr.Children の『常套句』を聴いています。以下、その感想です。

 

ミスチルのこういうバラード、好きだなあ。綺麗なメロディに乗せて想いを歌う、という。このシンプルな構成。

 

タイトルが『常套句』ってところがちょっとひっかかりましたが。常套句っていうと、なんとなくマイナスのイメージだから。嘘の言葉。偽りの言葉。心にもない飾り文句、みたいな。

でもこの曲中に何度も出てくる、愛を告げる言葉はどれも真摯で。胸にしみいる真実の声。これ、常套句なんかじゃないよ~って、思ってしまいました。

照れなんでしょうかね。このタイトルは。主人公は男性? どうせ、それが君の常套句なんでしょ?と、拗ねる彼女に、そうだよ、とぶっきらぼうに返しながら、歌い続けてる感じがします。

誰かを好きになったら、たしかにこうなるだろうなあという。
それ以外、なにがあるの?っていう。

今何してるのかなあとか。どんなこと考えているんだろうとか、そればっかり気になって。
そして、思うんだよね。自分と同じくらい、相手も同じ気持ちでいてくれるんだろうか、と。

曲の中ごろまで、ただふわふわとした甘い気持ちが続くのですが。この曲の凄さは、途中でぶった切りが入るところです。

ええーっ!!と。椅子から滑り落ちる勢いといったら大げさでしょうか。その瞬間、甘い物語が悲恋に変わってしまう。それも、ただの片思いなどではなく。

この曲を途中まで聴いた時には、両思いの微笑ましい歌なのかな?と思ってました。付き合い始めたばかりのカップルが、互いのことをまだよくわからなくて、信じきれなくて。離れている少しの時間がもどかしくて、相手を思う歌なのかな~って。

でも、途中、話が違ってくる。

二人に明るい未来がないことを、知っている歌になる。

相手を好きだ、とはっきり自覚したそのときから。絶望的な結末しか見えない、そういう関係を歌っているように想像しました。だから、相手を好きになる、嬉しい気持ちと同じだけ、悲しみに襲われるのでは? どんなに好きになっても、幸せな結末などないとわかっているから。

嬉しさと、悲しみと。二つの感情をもてあましながら。ただただ、愛というエネルギーだけが、どんどん膨らんでいくような。

それは・・・困るだろうなあって思います(^^;
どこにも、行き場がないからです。

狂おしいって、言い得て妙。
たぶん、理性ではわかってるから。幸せになれないとわかっているのに。どうせ駄目だってわかってるのに。なぜ相手を好きになってしまうんだろうっていう。
冷静に考えたら、本当に狂った行為なわけです。
どうしてわざわざ、不幸になる方向に向かってしまうのか。
くるっと反対方向向いて、軌道修正したらいいのに。忘れてしまえばいいのに。後で泣くの、わかっているのに。

それでも、好きになってしまう気持ち。
メロディが、胸に響きます。
感情だけが、理性に反して暴走する。痛いですね。

相手の気持ちを気にしていたのに。この曲の最後はシンプルな言葉で終わるのです。

・・・深いなあ・・・。もう、相手の気持ちを問うことなく。ただ独白で終わるんです。
その言葉が、相手に届かなくてもいい。そんな気概すら感じます。君がなにを思おうとも、僕の気持ちは変わらない。そういうことなんでしょうか。

少し悲しい瞳で。離れた位置から彼女を見ているような。
ただただ、無邪気にはしゃいでいた時は過ぎて。そこにいるのは。どんな人なのだろうと。

常套句なんかじゃないなあって、思いました。「愛しています」っていう言葉にこめられた気持ちの重さは。

『One more time, One more chance』山崎まさよし 感想

山崎まさよしさんの『One more time, One more chance』を聴いています。以下、感想です。

駄目だ。この曲は泣ける。
そのうち泣けない日が来るのかと思いましたが、これは反則技とも言うべき、何度聴いても「泣ける曲」ですね。

私はこれ、山崎さんの歌でなくても、たとえば誰かがカラオケで歌っただけでも泣けてくるので、ひとりでいるとき以外は絶対に聴けないという禁忌の曲なんですけども。

曲中に、「桜木町」という駅名が出てきます。

この駅に、初めて降り立ったときの興奮を思い出します。おお~、ここがそうなのね~と。桜木町という言葉を聞くと条件反射のように、そのときのことを思い出すのです。

私は横浜が好きです。

懐かしすぎて、これまた胸がつまるんですけども。横浜という街の空気や建物が、大好きでした。

不機嫌なときも、憂鬱なときも、ともかく横浜をぶらぶらと散歩すればそれだけでご機嫌になれました。あの土地には強く惹かれるのです。いつか住みたいと思いつつ、その機会はないまま今に至ります。

みなとみらい地区も散歩スポットとしては素敵な場所ですが、山手の洋館巡りも最高です。港の見える丘公園なんて、もう、名前だけでノックアウトされるくらい大好き。何度も足を運びました。

この『One more time, One more chance』は、私の中の横浜のイメージそのもので。歌とともに、昔よく歩いていた景色が鮮やかに蘇ります。ほろ苦くて、少し痛いのです。

冒頭がいい。

別れを自分の罪と捉えたその、ズキズキするような痛みの感覚とか。
罰せられることで罪が贖えるなら、もう一度会えるのかって。冷静に考えればそんな訳ないんですけども。
せっぱつまれば、その矛盾にも気付かない。
どんな痛みを覚えても、だからってもう一度、関係が修復することなどないだろうって、客観的に考えればわかるのに。自分が当事者でどっぷり感情に流されていると、そんな単純なことにも気付かなかったり。
人ごとなら理性が働いても。当事者になれば見えなくなる・・・よくある話です。

つらい思いをしても。
それが贖いになるかといえば、そんなもの、相手には全く関わりのない話ではないでしょうかね。

もし自分なら、別れた相手に対して自分と別れた後、不幸になってほしいなんて思わないなあ。むしろ、自分と別れた後には、記憶をなくすくらい自分のことなんて綺麗さっぱり忘れて、別の人と幸せになってもらいたいです。
覚えていてほしくないし、思いだしてほしくもない。できれば、出会った頃からの記憶を全部、手動で消去したいくらいです。

そして、誰でもいいわけではないという気持ち。忘れられない人がいたら、いつもその人と比較してしまうと思う。
そしてその違いはどうしても乗り越えられないもので。
違う人といればいるほど、好きな人を思い出してしまうのかも。

降るような星空、あまりにも壮大で美しいものを見たら、とりつくろう気持ちなんてきっとどこかに吹っ飛んでしまう。
綺麗な景色に感動したときは、大好きな人とその感動をわかちあいたいその気持ち、すごくよくわかります。

迷いの果てに、行くとこまで行っちゃいましたって感じで、曲は続いていきます。
最初は、その人が住む街だとか、よく行く店で、無意識にその人の姿を探してしまうでしょうけど。そのうち、全く関係ない場所でも、心のどこかで影を追いかけているという、その感覚。

ないに等しい可能性にすら、すがりついてしまう弱さ、みたいなもの。

そして最後の方。ええ~~!! これだけ好きだったのに、ちゃんと言葉で伝えてなかったんかい!! そりゃ未練も残るわ~!!\(;゚∇゚)/

と。私はここでいつも、驚きを覚えてしまうわけですが。
言葉で好きって言わないのは、惰性だったのか、プライドなのか。

でも、大丈夫な気がする。
一応つきあってて、一緒の時間を過ごしたら。相手がどれくらい自分のこと好きか、それは彼女は察していたと思う。

この曲の中のカップルが別れた理由は、好きって言わなかったからじゃないと思うし。
まあ、それには関係なく、ストレートに気持ちを伝えられなかったことを、彼は悔んでいるのかもしれませんが。

どうなんだろう。
言葉って大事か? 言葉なら一度でもいいと思うけど。その一度すら、なかった関係なのかなあ、この曲。

今ならどんなことだって乗り越えられるのに。なにを失ったって構わないのにっていう。でもその肝心なときに、肝心な相手は目の前にいないっていう。

二人ともが、あなた以上に大切なものなど自分にはなにもない、と思うことが、幸福な恋愛の条件なのかもしれません。難しいけど。

でもそれぐらい好きでないと、いろいろ乗り越えられないかもしれないなあ、なんて思ってみたり。

「忘却は、神様のくれた最大の宝物」だとか。たしかそんな言葉を昔、どこかで耳にしたことがあります。あれは誰の言葉だったのだろう。言い得て妙。

失くしてみて初めてわかること。経験してみて、初めて気付くこと。記憶は次の機会に活かされるかもしれませんが、あまりに生生しくては先に進めない。記憶と折り合いをつけながら、ちょうどいい距離を探しながら、時間は過ぎていくんだなあと思いました。

『ギブス』椎名林檎 感想

美容室で、聴くともなく、音楽に耳を傾けていた。

たいていの曲はすっと心を通り過ぎていくのだが、イントロが流れ始めただけで心がざわつく一曲があった。

椎名林檎さんの『ギブス』である。

だが、そのときは歌い手の声を聞いた途端、違和感があった。私の記憶にある声じゃなかったから。

そうか。誰かがカバーして歌ってるんだな。そう思って、耳を澄ませて聴いていた。その女性の声は綺麗だったし、上手だったのだけれど。なにか物足りなさを感じた。

やっぱり本家がいい。じゃあなぜ、本家がいいのだろうか。

つらつらと、考えてみた。林檎さんの声のなにが、あれほど心に響くのだろうか、と。

それは、退廃、ではなかろうかと思い至った。

この曲を歌う林檎さんの声は、気だるい。そして、そこには未来への希望だの、明るい明日への期待だの、そうしたものが一切ないのだ。

ゆるゆると、崩壊していくもの。もしくは、崩壊してしまった後の瓦礫に差す残照。

ぼんやりした意思。追憶。

目の前にある存在だけを、信じて愛おしむ、単純で素朴な感情。

浮かぶのは、体中に残るけだるさ。先に進むことも、後に戻ることもできずに、そして不快を不快とも思わずに座りこんでいるような。
考えることさえ放棄して、ただそこにいるような、そんな感覚。

同じ曲でも、歌い手によって伝わるイメージは全然違う。

椎名林檎さんの歌う『ギブス』が好きだ。

『花言葉』Mr.Children 感想

今日、風に揺れるピンクのコスモスを見ました。コスモスを見ると、Mr.Childrenの歌う『花言葉』を思いだします。

桜井和寿さんは詩人だなあと。
最初の一行が、この曲の総てであり、同時に全ての始まりにも通じるという、物凄いことになってます(^^;
この一行は、小説の始まりにもぴったりじゃないかと思う。

う~ん。どんな物語が始まるんだろう、とワクワクしますね。映画の始まり、主人公のモノローグ、としてもぴったりのセリフのように思います。

カメラが、街角のコスモスを映すんですよ。どこにでもある、平凡などこかの街の夕暮れ。少しの風にも頼りなくゆらゆらと揺れている可愛らしい花に目をとめる、そしてそのままカメラの目線は、主人公の男性の目線と一致するんです。

重なるモノローグ。静かな声。

こういう映画あったら、絶対見ます(^^) 冒頭のシーンだけで、ぐっと惹きつけられてしまう。

以下、この曲を聴いての感想を書いていきます。

曲がなにを暗喩するか、ですけど。
まあたぶん、浮気なのかなあ(^^;

まだ若い男の子で。恋人は、それより年下の、まだ幼さの残る女の子で。彼はその女の子に、優越感を感じていたのでしょうか。
それは、「愛されてる」という気持ちだったのかもしれないし、年上としての「自分の方が大人」という、気持ちだったのかもしれない。

どちらにせよ、たぶん、この彼は、安心してたんだと思います。二人の関係は、自分の方が上だって。

そして、他の魅力的な女の子に、つい目がいっちゃったとか。その女の子との(浮気の)可能性に賭けた彼は、夏の終わりに彼女を裏切ったと。
浮気をした季節がそのまま、別れを暗示する夏の終わりだったところが、意味深ですね。

魔が差したと言いきってる以上、本当に浮気心だったんだろうなあ。
本命は、コスモス=乙女 の彼女。

コスモスの花言葉は色によっても違うし、諸説ありますけれども。
やっぱり「乙女の愛情」、というのが、この曲にぴったりですね。

咲かなかったのは。「乙女の真心」ではないと思う。真心はちゃんと、彼女は捧げてくれてたのではないでしょうか。
届かなかったのはむしろ、「乙女の愛情」。彼の心には届かなかったし、彼がそれに気付き後悔したときにはもう、遅かった、ということで。

浮かんでくる情景。

別れの日に、初めて彼女の大人びた顔を見たショックと、後悔、のようなもの。
たぶん彼女は、今まで年上の彼を、きらきらした憧れの目でずっと見てた。「すごいね~、すごいね~」って。まあ、恋愛は、尊敬の要素がすごく大きいですから。「すごいなあ、すごいなあ」が、「あの人、好き」に変わるまで、時間はそんなにかからない。

だから、彼は、彼女から哀れみなんて向けられたの、初めてだと思うのです。
そして、同時に、彼女が精一杯の背伸びをしていることにも、気付いてしまう。

背伸びをして。平気な振りをして、クールに消えようとしている彼女の心の痛みとか。大人の女性を演じているその踵が、苦しそうに持ち上がっていることに、見て見ぬふりをしたり。
それをさせているのは、自分なわけで。

彼の、子供っぽさが何とも言えません。表現で、とっさに私が思ったのは、「散らかした靴下や洋服の図」でした。
子供っぽさを示す一例として、この彼。外出から帰ってきたときに着てたものとか脱ぎ散らかしてそう(^^; 彼女が何度言っても、洗濯かごに入れたり、ハンガーにかけたりしない。
まあ、そうした行動に代表されるように、すべての行動が単純で、後先考えないその場限りのもので。

真剣さが可愛いらしくもあり、また、子供っぽくもあり。

歌詞からにじみ出てくる彼の苛立ちと、捨て台詞に見え隠れする逆ギレの理不尽さ。

去っていく年下の彼女にかけられた慰めの言葉は、かえって彼を傷付けてしまったんだなあと。まあ、実際に言われたのは、「すぐに私のことなんて忘れちゃうよ=時間が解決してくれる」みたいなこと、だったんだろうけれど。

悲しみに沈んでいても、歩いていさえすれば(生き続けることで)いつかは森にも入るだろうし、その中で、木漏れ日を受けることもあるだろう、ということなのでしょうか。確かに、木漏れ日は無条件に人を癒しそうです。

恋愛関係に限った話ではありませんが。

誰かと関わることで、初めて知った自分の側面、て。そういうの、あると思うんですよね。
一人だったら気付かなかったのに。誰かと関わることで、比較が生まれて、ああ、この人と自分は違うんだ。と。初めて気付けるもの。

そして、補い合える関係の、なんと心地よいことかと。
足りないものを、惜しみなく差し出してくれる相手の優しさに。甘えていた自分、とか。

その優しさに気付くのは。失ってからだったりするのですよね。
だから、君がくれたものを集めて並べて、眺めてみるんだろうなあ。ふっとした時間に。取り出してしまう。思い出してしまう。足りなかったものを、すべて与えてくれた人のことを。

君と出会わなければ。きっと、足りなかったものがあったことにすら、気付かなかったでしょう。

この曲の、淡々としたメロディが素敵です。失恋の歌だから寂しくはあるんだけど、でも、時間が流れていく感じがある。無情に、そして確実に。

歌の主人公の人生にも、時間は容赦なく流れて。彼がコスモスを見て思いだす人のことも、いつかは、記憶の奥底にしまいこまれて、薄れてしまうんだろうなあ。そんな感じの、曲なのです。