「カスバの女」青江三奈 感想

先日、「カスバの女」を聴く機会があり、哀愁漂う異国の空気のメロディーに、すっかり魅了されてしまった。

「カスバの女」はいろんな人がカバーしているが、私が一番曲のイメージに合うなあと思うのは、青江三奈さんのバージョンだ。

ハスキーな声は、酒や煙草を思わせる。

聴いていると、目の前に現れるのは煙草を手に持った、決して若くはない女性(イメージです)。

手にした煙草を吸うでもなく、ぼんやり遠くをながめているような。長く伸ばした髪は、艶もなくパサパサで、生活の乱れが伝わってくる。

藤圭子さんや、ちあきなおみさんもカバーしているけれど、その声には「賢さ」を感じるのだ。

彼女らなら、もし流れ流れても、たぶん銀座か、新宿どまり。きっと海外の、それも地の果てのアルジェリアまではいかないだろうと思わせる。

声の中に疲れは感じても、藤圭子さんもちあきなおみさんも、綺麗だなあという印象。

一方の青江三奈さんは、やさぐれ感がある。そしてそのやさぐれ感の向こうに、優しさを感じる。

歌詞の中に、「酒場の女のうす情け」とあるけれど、きっとこの女の人は、とても情が深い人なんだろうな、と思わせる声。だから一夜一緒に過ごしただけの外人部隊の人に思いを寄せて、叶わぬ思いを持て余しているような。

うす情けじゃないのよ。深情けなんだよなあ。

セーヌやシャンゼリゼという言葉が二番の歌詞に出てくるところなどは、華やかな場所から流れてきた悲哀が、一層胸を打つ。

青江三奈さん自身も、情が深い人だったのではないだろうか。亡くなったとき、遺族と花礼二さんが遺産でもめて、ワイドショーでずいぶん特集されていたのを覚えている。

花礼二さんが遺産狙い、との見方もあった死の直前での結婚。真相はわからないが、なんとなく思うのは、青江三奈さん自身は周りに反対されても、男性に溺れるタイプの女性だったんじゃないかなあと。だからもし、遺産狙いだったとしても、「いいのよ」と笑っていそうなイメージがある。

その後、花礼二さんは孤独死したと聞き、やっぱりなあと思った。そういう男性なんだろうな。その最後も、いかにも青江三奈さんが愛した人、という感じである。

花礼二さんとのトラブルを知った上で、その花礼二さんの孤独死も知った上で、青江三奈さんの「カスバの女」を聴くと、よりいっそう、胸に迫るものがあった。

「ここは地の果て アルジェリヤ」の歌詞のインパクトはすさまじい。

いったい何がどうなって、この女性はアルジェリアに流れ着いたのか。そして戦地に向かう傭兵の背中に、何を思うのか。

名曲です。

ショパン国際ピアノコンクールとブルース・リゥ

昨日BSプレミアムで、「ショパン国際ピアノコンクール 世界最高峰のステージから」を放送していました。

この番組では、入賞した方々や、話題になった演奏などをまとめて見せてくれるので、大変楽しく、また癒しの時間となりました。

会場で生の演奏を聴くのが一番素晴らしいことですが、でも、緊張感の中で長時間耳を澄ませるのは、観客にとってもなかなか大変なことだと思います。私がもしチケットもらえて、行ける環境にあっても、ちょっとためらってしまうなあ・・・。

咳とか、「してはいけない」と思えば思うほど、苦しくなってしまいそうで。

だから、私にとってはテレビで見るのがちょうどよかったです。同じ曲を弾いたピアニストを、続けてきくことができる(演奏を編集して、比較できるように並べた)のも、とても面白かった。

同じ曲でも、表現の仕方は奏者によって全然違う。

解釈というか、個性が豊かで、その人の内面世界がにじみ出るのが興味深かったです。技術はもう、ああいう大会に出場できる時点で、みなさん同じように高くて、そこはもう比較対象ではなく。

後は、本当に好みだなあと思いました。順位はつくけど、順位というより個性かなと。それを、「いい」と感じるかどうか。

1位になったブルース・リゥさんの演奏を初めて聞いたのですが、1位であることに納得しました。

とても、際立っていました。個性的だと感じました。

私のイメージだと、音がすべて30センチくらい飛び上がっている感じです。そして、よく弾んだボールを想像しました。確固とした核があって、そこから生み出される音が、勢いよく跳ねていました。

「他と違う」ということが強烈で、ああ、これは確かに1位になるだろうなあ〜と思いました。

番組の中では本人のインタビューもありましたが、自信にあふれていて、「すごい自信があるんだなあ」と思いましたが、演奏を聞いて納得です。

観客の反応を見ながら調整していく、とか。いかに喜んでもらえるか、あるいは賞をとるためにどうするか、というような考えは全然ないのです。

あるのはひたすら、高みへとのぼりつめるための努力のみ。自分との戦いです。その高みは、聴衆の存在とまるで関係がなく、聴衆はそこへのぼりつめる彼を、ただ見守るだけ、というイメージでした。

彼にとっては、評価は後から付いてくるもので、そのことによって自分の価値が上がるものでも、下がるものでもなく。

ただ、自分が「良い」と感じる音を目指して、走っているだけなのだなあと。さすがの1位、際立った演奏だったと思います。

後、印象深かったのが3位のマルティン・ガルシア・ガルシアさん。

番組内でも、たしかナレーションで「明るい」みたいなことを言われていたような気がするのですが、本当に、陽射しを感じました。かっと照り付ける太陽じゃなくて、柔らかくて優しくて、明るい光です。

ショパンの曲はロマンチックだなあと思うのですが、そのロマンチックさの裏にある悲劇性が、彼の前では溶けていくような感じでした。

どんな闇にも、静かに忍び込む光であり、希望、というイメージがあり、とても心地いい演奏です。耳を傾けていると癒されました。

今回の大会では、「ファツィオリ」のピアノが大躍進したということで、これもすごいですね。

歴史あるピアノメーカーでなく、まだ新しいメーカーがここまでの力を示すのはすごいことです。クラシックの世界は保守的だと思うので、今までと違う選択をするのには、相当な力がないと無理で。

それだけ「ファツィオリ」に魅了されたピアニストがたくさんいた、ということなのかなと思います。

「ヤマハ」や「カワイ」にとっても、希望の光だと思いました。王者スタンウェイも、絶対ではないということなのです。来年が楽しみです。「ヤマハ」と「カワイ」に期待します。

その一方で、番組に出演していた、コンクールで審査員をつとめたピアニストの海老彰子さんが、「同じピアノで(同じ条件で)やるのもいいかも」みたいなことをおっしゃっていて、それもまた面白いなあと思いました。

ピアノによる「差」がなくなれば、それこそ、同条件での比較になりますね。たしかに、それも聴いてみたいです。

でも、奏者それぞれの個性にあったピアノ。選ぶところもまた面白くて、うーん、両方見てみたいなあ。贅沢だけど(^^)

日曜のひととき、美しいピアノ演奏を堪能することができ、とてもいい気分になりました。番組を見ているとき、外には静かな雨が降っていて。そのことも含め、よりピアノの音が冴えて聞こえました。

歌作りと人生経験

私は村下孝蔵さんの曲が好きだ。

最初はあの有名な『初恋』で村下さんのことを知り、その後、カラオケで先輩が『踊り子』を歌っていたのを聴いて、素敵な曲だなあと思って注目するようになったのだ。

『初恋』や『踊り子』以外にも、いい曲がたくさんある。『かざぐるま』や、『春雨』、『ゆうこ』などなど。

46歳という若さで亡くなってしまった村下さん。私が生前の村下さんに対して持っていた印象は、穏やかそうな普通のおじさん、というもの。バリバリの二枚目というわけではないし、芸術家特有の気難しさみたいなものもなく、いつもにこにこしていて温厚そうな人だなあと。あくまで、私が抱いた個人的な印象だが、激しい恋愛をするようにも、上昇志向があるようにも見えなかった。

去年、村下さんの前妻のゆうこさんと、長女の露菜さんが共同で運営しているブログの存在を知った。ゆうこさんが綴る、村下さんとの出会いから結婚までの経緯は、まるで小説のようにドラマチックで運命的で、そのお話を読んでからあらためて曲を聴くと、しみじみと感慨深い。

結ばれるべくして結ばれたお二人、だったのだと思う。離婚してしまったのは悲しいことだけれど、その結婚があったからこそ、村下孝蔵さんが数々の名曲を作り出したのは確かなことで。前妻のゆうこさんが綴る、「太郎と花子の日本昔話」を、私は夢中になって読んでいた。

ところが、連載は途中で急にとまってしまった。露菜さんが今年に入って書いたブログによると、おばさん(村下さんのお姉さん?)が、ゆうこさんの書く物語を売名行為だとして怒っているらしい。書き続けるなら、自分が持っている露菜さんの幼い頃の写真一式を渡さないということを言ってきたようで、ゆうこさんはそれを気に病んで筆をとめてしまったとのこと。

露菜さんは、写真アルバムを諦める、という方向で考えているようだが、私はアルバムはきっちり返してもらうべきだと思った。

売名うんぬんは、人によって考え方は違うだろうけど、私は、子供が親の名前を使うのはとても自然なことだと思う。使うも使わないのも、その人の自由だ。

その人の子供である、というのは嘘でもなんでもない、単なる事実だから。それを表明したところで、結局は自分の実力が勝負となる。先入観を持たれたくないという理由で、有名人の子供であることを隠す人もいるだろうけど、逆にその名前を、人に知ってもらうきっかけにしたって、誰かに非難される筋合いではない。

そんなことより、新生児の頃の写真が全くないというのは、あまりに気の毒な話。写真を撮ったのは実の両親なのだし、いくら親戚とはいえ、当事者以外が持っていて本人に渡さないというのはどうかと思う。

妥協点としては、写真をブログに載せないということで、なんとか返してもらえないかなあと、そんなことを思った。写真はブログに載せない。その代り全部、娘さんが受け取る。(だって自分の赤ちゃんの頃の写真だからね)

ただ、「太郎と花子の日本昔話」は、ぜひ続けてほしい。誰かを悪く言うお話ではないし、「書くな」と言われる筋合いはないと思う。村下さんのイメージを傷つける、という人もいるみたいだが、私はむしろ、村下さんの過去を知ったことでもっともっと曲が、好きになった。

ありえないような奇跡の連続の末、結ばれたお二人なのだと思うと、その歌にもまた深みが増すような気がする。ゆうこさんとの出逢いがなければ、生まれなかった曲の数々。

若くて、野心があって、葛藤があって、優しさがあって、もがいてもがいて、その上につかんだ名声。シンガーソングライター村下孝蔵ではなく、夢を追う若者の姿。初めての結婚。村下さんがゆうこさんに語る言葉のひとつひとつが、とても心に残った。その姿と曲が、重なりあう。

「太郎と花子の日本昔話」、もっと続きを読みたいなあ。

『かざぐるま』という曲に関する話も、興味深かった。昔、村下さんが奥さんに語ったという、かざぐるまのイメージ。そうか、そういう印象を抱く言葉を、曲にしたのかと。

歌作りの影に、人生経験あり、ということをつくづく思う。激しく感情を動かされたからこそ、できあがった曲の数々。それらはみんな、村下さんの人生そのもの。だからこそ、人の心に響くんだろう。きっとこれからもたくさんの人が、それぞれの場所で、村下さんの曲を聴き続けるのだろう。

『翼を広げて』 DEEN 感想

DEENのヴォーカルは池森秀一さん。声がとてもいいのです。

『このまま君だけを奪い去りたい』も好きな曲なのですが、この『翼を広げて』という曲も大好き。夏の終わりにぴったりなメロディと歌詞です。

冒頭の一節だけで、想像がぶわーっと広がります。夏の間に急速に仲良くなって、あっという間に別れがきたのかなと。なんとなく、長い付き合いという感じがしない。

でも短いから浅いわけじゃなくて。普通に過ごす時間の何倍も、一緒にいて笑って泣いて、いろんなことがあったあとに。彼女のために別れを決意するっていう。そのせつなさが、胸をしめつける歌なのです。

君が飛び立つなら、邪魔はしない。そういう歌なのかな。

エールは送るけれど。でも静かに見送っている。最後の一節もいいですね。

一言に、万感の思いをこめて。二人で過ごした日々の全部。でも過去形。たぶんその思いを、彼女が知ることはないんだろうなあ。

でもそれでいいのです。彼女が気付かなくても。飛び立つ後ろ姿をそっと見送る優しさ。目には見えないけど、その祈りはきっと、未来の彼女を守ってくれるはず。

池森さんの声は独特で。心地よい湿っぽさがある。ただ明るく乾いた声ではなくて。その歌声を聞いていると、懐かしい記憶が蘇ってきたり。誰の心にもある、あの日の空気。

出会いは別れの始まりです。生きていればたくさんの人と出会うけれど、別れは必ず訪れる。そのときの胸の痛みを、思い出させる曲だなあと、思ったりします。

『交響曲第五番第四楽章』マーラー 感想

 今日、マーラーの交響曲第五番、第四楽章を聴いた。CMに使われていたその曲が耳に入ってきた途端、私の脳裏に、熱い夏の一日がよみがえった。

 メキシコをテーマにした屋台が、ずらっと建ち並んだ一画。暑くて、乾燥していて、赤茶けた大地のイメージ。サボテン。どこまでも続く砂漠。

 20年以上前のアメリカだ。全く前後を覚えていない。なぜそこに立ち寄ったのかも不明。観光バスに乗って、途中休憩で立ち寄ったどこかの、観光お土産売場?

 私が覚えているのは、その日の空気の暑さ。温室の中にいるような、もわっとした熱気がどこにいってもつきまとった。白い簡易テントの波。

 通路をゆっくりと歩いていくと、異国の人が、異国の言葉でしきりに、商品を勧めた。手にはさまざまな土産物を持ち、私には理解できない言葉でなにか話しかけてくる。革でつくった製品が多かったように思う。

 私は展示された商品を眺めて歩いたが、特別買いたいものもなかったので、足をとめることはなかった。そしてそのとき、心の奥底から、強烈に湧き上がってきた気持ちがあった。

 「もう二度と、この場所に来ることはない」

 それは、言葉というよりも、イメージだった。せつない感情が、体中にあふれた。

 今日、マーラーの交響曲第五番、第四楽章は、一瞬で私をその日のその瞬間に引き戻した。

 「この場所に、二度と帰ることはない」

 それは、とても寂しい感情だった。なぜ不意にそんなことを思ったのか、まったく謎である。自分の知らないところで、コントロール不能な原始的な思いが、ふっとこみあげたのである。

 当時の私は、不思議に思ったものだ。

 なんでこんなこと思うんだろう。そりゃあ、また来る可能性は低いかもしれないけど、ゼロではないのに。それに、二度と来ない可能性なんて、他の場所だって同じことなのに。どうしてこういう、なんてことないテントの土産物を眺めて、こんな気持ちになっちゃうんだろう。

 それはとても強い感情の波で。私はその波に揺られながらその日の空気を全身で感じていた。

 時を超えて。音楽によってぐいっと、その日の気持ちを、また体感してしまった。

 なんだろうなあ。あの場所はいったい、どこだったのか。二度と戻れないというのは本当だろうか。生きて、同じ時代にいるのだから、物理的な距離など、その気になればいくらでも壊せるのに。

 あの、強制的な感情の波はなんだったのだろうか。こちらの意志とは無関係に、のみこまれてしまった。あんな風に、あれほどの強い思いが、勝手に奥底から湧き上がってくるなんて。

 暑い空気。赤茶けた土。サボテン。荒野。白いテント。浅黒い肌の売り子。不思議な言葉。革細工。

 マーラーの曲に呼び起こされた記憶に、しみじみと浸った。
 音楽の力は、時に、時間までもねじまげることができるらしい。あの日、あのとき、あの場所に。

 たしかに今のところ、私はあの場所を再訪してはいない。けれど、記憶の中にはしっかりしまいこまれている、その映像と暑さ、あの日の気持ち。

 音楽の力は、凄いな。