Wicked Little Town

「ヘドウィグ アンド アングリーインチ」 という映画がある。去年だったか、もっと前だったか記憶は曖昧なのだけれど、レンタルビデオ屋で借りて見た。その映画の中で歌われていた「Wicked little town」という曲が好きだ。

以下、この映画に関するネタバレを含む文章になりますので、未見の方はご注意を。

私はロックとか、激しい音楽が苦手(嫌い)なのだが(じゃあ何故ヘドウィグの映画を見たかというと、ある人から薦められたので)、この Wicked little town だけは、すごく心に残った。もう一つ、The origin of love という曲もよかったが、今になって思い返すと、Wicked little townの方がずっと、いいなあと思うのである。

主人公のヘドウィグは、けっこう嫌な奴。身近にいたら、絶対近づかない。わがままだし、自分のことばかり優先するし、逃げた恋人を追いかけて、無駄な執着が醜いと思った。

同情するほど、弱い人じゃないのだ。ちゃんと自分をしっかり持ってる。

だけど、最後にアンサーソング?として歌われるこの歌を、しんみり聴いているヘドウィグの姿には、強さというよりも純粋さが見えて、とても、きれいだと思った。それまでのけばけばしい姿よりずっと、きれいだと思った。

年下の恋人だったトミー・ノーシスが、まっすぐヘドウィグに歌で伝える。もう恋愛は終わったんだと。優しい声で、優しいメロディで、哀しい事実を歌い上げる。

この曲は、メロディだけでなく、歌詞もいいのだ。

終わったという事実を認められずに、ヘドウィグはもがいて、あがいて、欠片を拾い集めては元に戻そうとする。だけど欠片はもう、元には戻らない。どうしようもできないほど、ボロボロとすべてが崩れ始める。拾っても拾っても、後から後から落ちてくる。そんな状況が、鮮やかに浮かんでくる。

ヘドウィグは、トミーを運命の恋人だと信じてるから、執着していたんだよね。だけど、それは勝手なヘドウィグの思いであって、トミーは違う。そして、歌は二人の別れを決定的にするもので、ヘドウィグの心の一部が、完全に壊れる。

ヘドウィグには立ち直る力がある。だけど、その壊れた心の一部は、決して元に戻らない。それはもう、どうしようもないんだなあと思った。誰かに治せるわけでもないし、ヘドウィグ自身にだって無理なんだもの。

私自身は、mystical design も cosmic lover も信じているわけですが。皆、そういう相手を探しているんじゃないの? と思っていたら、ランチをとっていた同僚に笑い飛ばされてしまった。現実はもっと、ドライなものよ、と既婚の彼女は言う。

でも、そういう相手じゃなかったら、一緒に暮らすのはつらくないのかなあ。ドライに割り切って、暮らすのは私には無理だな。

ヘドウィグも、乙女チックな夢を描いていたんだろうか。なんだか、しょんぼりしているヘドウィグが自分自身に重なって見えた。家でこの曲を久しぶりに繰り返し聞いた、土曜日なのでした。

まあ、トミーもずるいんだよね。別れるにしろ、人の曲を奪って逃げちゃいかんでしょう。そこらへんの罪悪感はなかったのかなあ。そんな奴なんだもの、ヘドウィグも執着することないのにね。私がヘドウィグだったら、その瞬間に冷めてしまいそう。だって、ミュージシャンとして最悪の行為でしょう? 軽蔑してしまう。

執着するほどの価値はなかったというのが、実際のところ。傍から見ればよくわかるのに、一番わかっていないのが本人だったり。よくある話です。

ベートーベン 交響曲第7番 第2楽章

ベートーベンが好きである。巨匠二人のうちどちらが好きかと問われれば、モーツァルトよりも断然ベートーベン派。なかでも、この交響曲第7番の第2楽章は、聞いていると不思議な思いにとらわれる。

なんとなく、頭の中で映像が浮かぶのだ。音楽から喚起されるイメージは、中世のお城のような室内。階段の上から、舞踏会に集まった人々を見下ろしているような感じ。大きく広がったドレスの裾。そういう女性の一人を、上から眺めている映像が浮かぶ。全体的に、青のイメージ。陰謀や中傷や、さまざまな思惑が渦巻く中に、その音楽が鳴り響いている、という感じなのだ。

この曲を初めて聴いたのは小学生のときで、ずっと気になっていた。でも、これがベートーベンの交響曲だとは知らなかった。わりと最近そのことを知って、「やっぱりベートーベンのセンスは好きだなあ」とつくづく思った。

葬送行進曲風、と評した人がいて、そう言われてみると、そういうふうにも聞こえる。ともかく、この曲を聞くと、なんともいえない不思議な気持ちになってしまうのはたしか。私はクラシックな洋館を見て歩いたり、アンティークドールが好きだったり、江戸川乱歩の描く世界が好きだったりするけれど、その根底にあるものは同じ感情だ。言葉にするのは難しい。

ひとつの音楽から、いろんなものを想起する。そこが、音楽の持つ魔法の力だと思う。今日はこの曲を聴きながら、昔行ったことのある二子玉川のサントリー館の2階、バーの雰囲気を思い出した。イギリスの市長さん(うろ覚えだけど)が昔住んでいた家を解体し、わざわざ日本に船で運んで、また組み立てなおした洋館。1階はレストランで、2階がバーだった。

アンティークな家具が使われていた。飾りとして、古い洋書の本も飾られていた。暖炉があって、バーテンさんがときどき薪をくべていた。ほとんどの席が埋まっていたけれど、みんな静かにグラスを傾けている感じで、空気がゆったり流れていた。私はお酒は好きじゃないけど、あの雰囲気には酔った。なんて素敵なんだろうと。こんな空間もあるんだなあと、感動した。

今はもう営業していないようだけれど。あの建物は今もあるんだろうか。古い建物を見たとき私の胸にわく感情は、あのベートーベンの曲を聴いたときにわきおこる感情と同じだ。そこに暮らした多くの人の人生を思う。不思議な感慨にとらわれる。

月のワルツ

最近聞いて、いいなあと思ったのがこの曲。「月のワルツ」である。NHKみんなのうたで流れていた。みんなのうたって、こういう曲も流すのね~。不思議なイメージの曲、幻想的な歌詞、そしてアニメーションは、不思議の国のアリスを彷彿とさせる。

こういうイメージは好きだ。最初に耳に入ってきた瞬間から、「いいかも」と思わせた曲。

だいたい、私はなにごとも、ゆっくりと時間をかけて好きになることが多いのだが、一目見て、あるいは少し聞いただけで、「もっと知りたい」と思わせられたものも、ときにはある。ちなみに「オペラ座の怪人」の曲のよさ、というのは、一目ぼれ(この場合は一聞きぼれ?)ではなかった。歌詞を含め、何度も聞くうちにじわじわと虜になった感じである。

出会った瞬間に「これだ」と感じた曲を挙げてみる。

久保田早紀「異邦人」これは、異国情緒にあふれた、知る人ぞ知る名曲。目を閉じると、砂漠やバザールの光景が浮かんでくる。ちなみに、私は「星空の少年」と「ナルシス」なども好きである。冬の澄んだ星空を見上げるときは、「星空の少年」が頭の中にふっと流れたりする。「ナルシス」に関しては、そこに広がる雰囲気に酔ってしまう。私は洋館好きだが、この曲の醸し出す雰囲気はセピア色の異空間という感じで、古い洋館の中の柱時計の音が、実際に聞こえるような錯覚に襲われる。