『渇いたkiss』 Mr.Children 感想

Mr.Children の『渇いたkiss』を聴いています。以下、その感想です。

この曲、気だるさが、夏の終わりという感じで、今の季節にはぴったりではないかと。夏の終わりと共に、急速に冷めていった感じがしますね。

言葉の使い方が好きです。とても。

私、この曲聴くたびに、登場する主人公の駄目っぷりに苦笑してしまうんですよ。未練がましくて、みっともなくて。でもそういう駄目っぷり、自分の中にも密かにあって、もしかしたら、そういう状況に置かれたら自分も、そうやってあがくのかなあと。

完璧な人間なんていないわけで。
弱いところも、情けないところも含めて。

フレーズから読みとれるのは、二人して別れの予感を感じながら、ずるずる現状維持してる、夏の終わりのイメージ。

私の勝手な解釈ですが。
これ、男性の側も、別にそれほど真剣な愛情なんてなさそうだなあって。うんざりしてる彼女に気付いてるこの人自身もまた、発展性のない関係に、どこかで飽き飽きしているような。

そして、読みとれるのは、嫉妬です。

多分、彼女には新しい彼ができたのでしょう。途端に、子供が古いおもちゃを握りしめて、絶対に他の友達になんて渡さないと、顔を真っ赤にしてふんばっているような、そんな彼の姿が目に浮かびました。

自分のものであって当たり前だったときには。なんの価値もないと思えたものが。
他の人のものになると思った瞬間に、宝物みたいに、とても価値あるものに思えてきたようで。

優しくすればいいのに。
離すまいと握りしめた力が強すぎて。執着されればされるほど、心が離れていく恋人の姿を想像しました。

嫉妬を源流とする怒りは、やがて頂点に達するわけですが、これはもう、ありえないだろうなあと思うだけに、主人公の一方通行の思いが哀しいです。賭けてもいいけど、たぶんこの女性は、別れた後、さっぱり忘れてしまうと思う・・・。
ケロイドどころか、擦り傷くらいかも。
少し痛いけど、すぐに直る。薬なんてつけなくても、自然に治ってしまうレベル。

だって、次の恋人がいるから(^^;

ケロイドになるくらいの葛藤があったら、きっと別れたりしないだろうなあ。敢えて別れを選び、新しい人との生活を選ぶなら。迷いなんて、元彼が思うほどには、ないんだと思う。

女性は、前の恋愛を引きずったまま次へって、あんまりないんじゃないんですかね。どこかで折り合いをつけて、ちゃんと気持ちの中で終わらせているからこそ、新しい関係を始められるような気がします。

恋人になってから別れたっていうのには、それなりの理由があるわけで。どこか、合わなかったわけですよね。
もちろん、合わせられる点は、合わせようとする。
でも、どうしても無理ところがあったからこそ、別れるわけで。

だから、別れることにそこまで未練は、引きずらないんじゃないかと。

むしろ、恋人になれなくて、途中で終わってしまった関係の方にこそ、夢をみるし、未練をもつ傾向、あるかなあ、なんて思います。
あのときもし、一緒になれてたら、とか。
あのときもし、告白できていたら、とか。

付き合わなければ、相手を深く知ることもなくて。
脳内補正で、思い出は美しいから。

心のある場所は、きっと心臓の近くなんだろうなと。感情は、脳で発生するのかもしれないけど、感情が揺れたときにはいつも、胸が震えるから。
そして、胸に手を当てると、少し、楽になれるような気がします。

『Hello, Again ~昔からある場所~』MY LITTLE LOVER 感想

『Hello, Again ~昔からある場所~』MY LITTLE LOVER について、感想を書きたいと思います。

この曲が発売されて、もう17年経つわけですが、今聴いても決して色褪せないんだよな~。
後にJUJUさんがカバーされてまして、それはそれで魅力的ですが、私はなんといってもオリジナルのakkoさんの声が好きです。

感傷的じゃないから。
淡々と歌い上げてて、無表情なのが伝わってくるけど、それだけにその向こう側にある、深い何かを想像してしまって、じ~んとくるのです。

印象的なフレーズ。

せつないメロディと相まって、泣きたくなるようなイメージを喚起する言葉が続きます。

なんというか、曲を聴いていて、未完の美学、みたいなものを感じるのです。終わらなかったから、途中だったからこその美しさ、みたいなものです。

記憶の中。セピア色の幸福な時代。そこには時間は流れず、穏やかな笑顔だけが永遠に存在し続けているわけです。

何かが加わることもない。何かがなくなることもない。いつも同じ。だからこそ、泣きたくなるような儚い時間。

記憶の中なら、二人を引き裂くものは何もない。どこまでも平和で。満ち足りていて。二人を苦しめるものは何もない。

私は、だからこそ曲のタイトルにもなっている、Hello, Again というフレーズは好きではありません。

もう一度。また会えたね、みたいなのは逆に嫌だな~と。
二度と会えないからこそ、その閉じこめられた時は、美しく存在するのではないかと。

イメージですけどね。もう会えない方が幸せってこともあるんだと思います。また会ってどうするのっていう(^^;
また会えるくらいの関係なら、記憶にすることなんてないわけで。

絶対的な別離だからこそ、生きていけるんだと思ってます。もう別次元だと思うんです。

だから、そんな場所は必要ないし、存在しないような気がします。

『つよがり』Mr.Children 感想

Mr.Childrenの『つよがり』を聴いています。

この曲で一番好きなのは、サビです。

言葉が、胸に直球で突き刺さります。

もう、ドラマみたいに状況が浮かんできてしまいました。あくまで、私が勝手に想像した画なんですが。以下、私が想像したシチュエーションが延々続きますので、読みたい方だけどうぞ~(^^;

——————————————————————–

古傷のある女性を、好きになった男性がいて。
古傷といっても、まだ乾いてない。生乾きなのです。だから痛くて、とても笑い話になんてできないことを、その男性は会話の端々から知るわけです。

好きな人のことは、なんでも知りたい。
でも、当然、つっこんでは聞けない。そこまで仲良くもなっていないし、それはやはり、生傷だから。

だから、精一杯の慰めを、一生懸命考えてみたり。

それは、つらそうな彼女の心を、少しでも他のことに逸らすような冗談だったり。
あえてなにも聞かずに、ただ傍に寄り添っていることだったり。

そっと傷をかばおうとする、隠れた配慮に。女性は気付きます。
なぜなら、一番触れられたくない部分だから。たぶんそこは敏感になっていると思う。
少しでも方向がそこにむけば、彼女の心は今よりもっと、かたくなに閉じられて。決して笑みが返ってくることはない。
構えた彼女のかたくなな警戒心は。やがて解けていく。
わかるから。言葉にしなくても。彼は決して、そこには触れない。触れないことを、高言はしないけど。

それで、ほっとしたように少し気持ちを緩めて。
感謝を目に浮かべた彼女が言うのだ。

「優しいね」って。

それで、たぶん目が潤んでるんだよね。泣きだしそうなのを堪えて。唇を少し震わせながら。
無理に笑おうとするから、よけい不自然になる言葉。

彼女は本気で、「優しい」と思っていて。それがよくわかるだけに、彼の胸にこみ上げるのはたぶん。怒りに似た、苛立ち。

彼女の勘違いが、痛いほどわかるから。

優しさじゃないんだよね。好きになっちゃう気持ちなんて一方的なものでさ。相手がどう思ってようと。勝手に増幅して盛り上がって、最後には自分でも持て余して、爆発しそうなの、なんとかなだめすかしてるっていうのに。

優しくしてるのは、博愛精神なんかじゃありません。
あなたがただの友人なら、ここまで深くは考えません。
僕はあなたが好きだから。あなたが苦しむ姿を見たくないから。その傷に触れないだけ。

自分勝手なものですよ。自分の醜さも、汚さも、よくわかってます。
優しいなんて、今の自分から一番遠く離れた言葉なのに。そうやってなんにも知らない顔でつよがるなら。

そんなふうに今も抱えてる傷が痛いなら。
いっそもっと深い傷を、僕がつけましょうか。その傷を、跡形もないくらいにするほど。壊れてしまえば、もう苦しまなくてすみますよ。

って、あー。もう。
そこまで妄想して、この彼はハっと我に返るのです。

本当は、そんなこと考えるくらい残酷なのに。
優しいと誤解したままで、無理に笑ってる彼女と。
嫌われたくなくて、彼女の誤解を解かない、妄想の中でだけ、自由に振る舞っている自分と。

——————————————————————–

私が思うに、この彼、彼女を怒ることなんてできないくらいに、愛情深いのではないかな~と。

だから。
このとき一瞬湧き上がった凶暴な気持ちは。

彼女に向かうものというより、自分自身への苛立ちではないかと。

何やってんだ~自分、という。
もう出口、見えないし。

いっそ彼女に対して怒ることができたなら。もっと楽になれるのに。好きすぎて、そんなことできるはずもなくて。
どんな彼女も、愛しくて、愛しくて。

曲を聴いていたら、この苛立ってる男性の気持ちに、入りこんでしまいました。

わかるような気がする~(^^;
もう、この瞬間にも、もっとひどい傷、つけることできるのに~っていう残酷な感情。その気になりさえすれば、簡単に相手を壊してしまえる。絶対できないけど。相手は無邪気に信じてるけど。
でも、そういうの考えるくらい、自分は聖人じゃないのにっていう自嘲。

とても素敵な曲なので。何度も聴いてます。

東方の三賢者

星に導かれ、砂漠を越えて歩む確かな足取り。

前回書いたブログで、ふっと昔見た挿絵のことを思い出しました。クリスマスキャロルの歌詞集。
We Three Kings of Orient Are の挿絵が、確かこんな感じだったかと。

その本にいくつも載っていた曲の中で、私の好きなベスト3曲に入るのです、これ。

今も、ひっそり実家の押し入れの中に眠っているはず。

昔、高校の時の英語の先生が、ある日、授業の後で段ボール箱をたくさん持ってきて、それを廊下の端に並べました。

「これ、要らなくなったから。好きなの持ってっていいぞ」

ほとんどは、英語初心者向けの薄い短編小説だったり、参考書だったりしたのですが。中に、外国で子供向けに売られているような、絵本とカセットのセットがあったのです。

これ、アメリカの書店とかで、普通に売ってるっぽいな。面白そうだなあ。

Carol という字が、ちらりと視界に入りましたが、実際のところそんな英語は全然気にしていませんでした。挿絵が気に入ったのと、テープの中身が気になって、持ち帰ったのです。他にも、面白そうな小説を何冊か。

カセットの中身、歌だとは思っていなかったため、テープレコーダーで再生したときには少し、驚きました。歌ではなく、物語が語られているとばかり、思っていたから。

 

歌いだしから厳かな雰囲気で、少し悲しげにも聞こえるメロディ。これは確かに夜だ~と思いました。挿絵にあるような、静かな夜。粛々と進む東方の三賢者。
コーラス部分で、一気に明るくなる。

 

何度も繰り返される部分は、自然と覚えてしまいました。口ずさむと、挿絵の世界に自分も入りこむことができました。
星の光が優しく、救世主の誕生を告げている、その空気。

教会で聴けばまた格別の響きをもつ、素敵な曲ですね。

『CANDY』 Mr.Children 感想

Mr. Children の『CANDY』を聴いている。

これ、最初に聴いたときには全然ピンとこなかったのだが、久しぶりに聴いてみたら、心に響くなあ。いきなりサビから始まっているように思います。
イメージするのは、「君」のホログラム。立体なんだけど、あんまり精巧じゃなくて。明らかにフィクションなわけで。
それも無理はない。
全部、脳内映像だから。自分の希望だけで作りあげた、つぎはぎだらけの嘘の映像。

諦めなきゃという理性の回路に、その稚拙なホログラムは侵入してくるんだろうなあ。容易く。

そして何度も、同じ表情で気のある素振りをしてみせる、みたいな。

そりゃ何食わぬ顔でしょうよ。自分の都合だけで作りあげた幻なんだから。でもその幻に、ほんのわずかな希望に、みっともないほどすがりついてしまうのが、恋の病の症状でもあって。

でもさ。たぶん気付いてるね。自分でも。そのホログラムは本物じゃない。もう実物とは別の部分で、自分の理想を形にしちゃってる。それで、その無垢な魂は要求通りの言葉をくれる。

だけど、どんなに理想通りでも。言葉が希望通りであればあるだけ、虚しさみたいなものは、ひたひたと押し寄せるでしょう。しょせん、ホログラムだもん。

どんなに瓜二つの人間だって、その人、本人じゃなきゃ意味がない。その人そのものじゃなきゃ、要らない。

突き詰めれば、結局のところ、それが答えなんですよね。みっともないほど、全面降伏。ただひたすらに、思わずにはいられない。
理由もない。ただ、愛しいだけ。会いたいだけ。

そして、ホログラムの登場です。ループです、きっと。

幻に、慰められて。何度も語りかけるんだな。幻になら、言えるから。だけど所詮それは、幻なわけで。

予定調和の世界に、どれほど幸せな結末を夢見たとしても。その脚本書いたの、自分だからね。虚しいだろうなあ。

『みすて・ないでデイジー』で、デイジーちゃんそっくりのロボットを作った歩野くんのことを思い出しました。あの漫画、一見コメディーだしハチャメチャなんだけど、実は深いです。

ホログラムに慰められながら、人は、少しずつ忘れていくのでしょう。