『若菜集』島崎藤村 著 より、「おくめ」を読んでの勘違い

まずは、昨日のブログ記事に追記です。

昨日の記事では、宇多田ヒカルさんの『Prisoner Of Love』の歌詞で

>人知れず辛い道を選ぶ
>私を応援してくれる
>あなただけを友と呼ぶ。

人知れず辛い道を選ぶ人=あなた、そのあなたが私を応援してくれる、と私は解釈していたのですが。
だからこそ、その状況は速水さんに重なると思っていたのですが、これよくよく読み返してみると、私の勘違いですね(^^;

もし私の解釈通りなら、きっと

>人知れず辛い道を選「び」
>私を応援してくれる

となったでしょう。「ぶ」でなく「び」、ですね。

でも、実際の歌詞は、「ぶ」だった。

ということは、辛い道を選んだのは、私、と理解するのが自然なのでしょう。今さらですが、それに気付きました。
私がひそかに辛い道を選んだことを、あなただけがわかってくれた、そんな喜びが、にじみ出ている歌詞なのですね。最近ガラスの仮面のことを考えすぎているから、私はつい、変に歌詞をねじまげて解釈してしまったのかもしれません(^^;

後から自分の記事を読んで、その不自然さに気付きました。なので訂正です。

そしてこの解釈のねじれ、というので思い出したのですが。
そういえば昔、高校の国語の授業でも、私は恥ずかしい大勘違いをやらかしてしまったことがあるのです。
後から考えると、どうしてそんな風に解釈してしまったのか、自分でも「そりゃないだろ」と突っ込みたくなるような間違いでした。

島崎藤村の『若菜集』の中にある「おくめ」という詩です。ご存じの方も多いかもしれません。恋した女性の情熱を生き生きと表現した詩なんですけど、その詩を一節ずつ、意訳するのが宿題になりました。私に充てられたのはこの部分でした。

>しりたまはずやわがこひは
>雄々しき君の手に触れて
>嗚呼(ああ)口紅をその口に
>君にうつさでやむべきや

まあタイトルが「おくめ」であることからして、普通に考えればせつせつと恋を語るこの詩の主人公は、女性である、おくめ、なんでしょうけども。
私はなぜか、この詩のこの一節を読んだ瞬間、この描写は男性がおくめに抱いた恋情だと思っちゃったんです。

つまり、一人の男性が、おくめという女性に恋して捧げた詩、だと思いこんでしまったんですね。読んだ瞬間に浮かんできたのが、おくめではなく、おくめに恋する男性の姿でして。

私は、「雄雄しき君」を、男勝りのおくめだと、想定してしまったのでした。
当時の私の解釈はこうです。

>おくめ、君は知らないのだろうか。私の恋を
>強情な君の、その手に触れてみたい
>嗚呼、女らしい装いを嫌う君が、普段は決してつけない口紅を
>私の唇を通してつけずにはいられない(つまり接吻したい)

かなり、原作の意図からかけ離れちゃってますね・・・・。実際に書かれていない状況まで、勝手に補完しちゃってるしなあ(^^; 女らしさを厭う、男のような君って、いつの間にそんな設定ができたのかと。尊敬の補助動詞「たまふ」も無視しちゃって、ずいぶん上から目線の口調になっている点も、突っ込みどころですね。

ともかくこのとき、私の頭の中ではこんなシチュエーションが想像されていたのです。

主人公はおくめの幼馴染。密かにおくめに恋していますが、照れくさくてとても告白などできません。二人はお互い、憎からず思いながら成長していきます。おくめは女性らしくない、じゃじゃ馬で。普段からおしゃれなどには見向きもせず、ぱっと見は男(笑)な自然児ではありますが、年頃を迎えて。
なにかの瞬間に、はっと心が震えるような美しさを醸し出すことがあり。そのたびにひどく、男は心を動かされるのです。このまま黙って、君が誰か別のひとのものになるのを、見ているしかないのだろうか、と。

おくめのイメージは、『はいからさんが通る』の花村紅緒です。男のイメージは、中性的な蘭丸ではなく、もっとごつい感じかな。

それで男は、無理やりにでも、おくめに接吻したいと夢想しているのかなあ、なんて想像してしまったわけです。
なんて官能的なシチュエーションだろう・・・と、当時の私はドキドキしたものでした。
男が、まず自分の唇に口紅を塗って、キスするのかと思ったので。キスで口紅をうつすという。ちょっと退廃的で、官能的な場面なのかと勝手に妄想しておりました。今考えると、その発想がぶっ飛んでますね(^^;

こんな詩を授業でやるなんて、いいのかなあと赤面しつつ。でも、なんだかちょっと色っぽくもあり、綺麗な詩だなあと。意訳しながらワクワクしたし、授業で発表するのが楽しみでした。

そして翌日。
それぞれの生徒が、前日に宿題として充てられた担当部分を、順番に発表していきました。それを聞いているうちに、私は自分が、致命的な間違いを犯していることに気付いたのです。
私の担当部分は詩の中ほどのところだったので、他の人の意訳を聞けたのは幸いでした。

あ・・・・これって・・・・おくめさんの心情を歌った詩だったのね。おくめさんを恋した人が歌ったんじゃなくて・・・・
じゃあ、全然違うじゃん。
男が口紅塗ってキスするんじゃなくて、おくめさんがキスして、自然に口紅がついちゃうって話なのか。ああーなるほどー。それなら普通だよね。ていうか、私の発想ヤバかった。
よかった。今気付いて。

冷や汗をかきつつしどろもどろになりながら、私はその場で意訳をやり直し、事なきを得たのでした。
今でもそのときの、血の気が引く感じを覚えています。

言葉って難しい。直観的に、コレだ~と思ったことでも、後から読み返すと「なんで自分はあんなふうに解釈したんだろう」と不思議になることもあるし。

でも、一つの言葉から膨らんでいく想像が、人によってずいぶん違うというのは面白いことでもありますね。うわー、そういう解釈もあったのかーっていう、新鮮な驚きがあったり。

久しぶりに、「おくめ」を読み返した日曜日でした。

『ガラスの仮面』紫のバラ投げつけ事件

 『ガラスの仮面』の、紫のバラ投げつけ事件について語ります。ネタバレ含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

 今日は、以前に雑誌掲載された「紫のバラ投げつけ事件」について、語ろうと思います。この事件、ひどい~という反響もあったようですが、私には納得というか、理解できる行動でした。

 最初に流し読みしたときには、確かに私も「非道い」と思ったんですけどね(^^;

 ただ、よくよく読みこんで速水さんの気持ちになってみれば、わかるなあ、と感じたのです。
 きっと、速水さんは紫のバラに、それほどの価値を感じていないから。

 これ、紫のバラを贈っていたのが全くの別人なら、こういう行動はしていなかったでしょう。マヤがその人に寄せる思慕の念を尊重して、また、その人のこれまでの尽力に感謝をして(どれだけマヤの心を救ったかわかりませんからね)、あんな、紫のバラの歴史を踏みにじるような行為には及ばなかったと思うんです。
 マヤを奮起させるなら、もっと別の方法をとったでしょう。

 なぜ彼が、紫のバラをマヤに投げつけたか・・・・。それは、自分が紫のバラの人だったから。自分のやってきたことなど、なんの価値もないと、本気でそう思っているからではないでしょうか。
 だから、いくら貶めるような行為をしても、なんの問題もないわけです。貶められるのは、自分自身。

 そして、そんな紫のバラを贈り続けた幻の人物=愚かな自分自身を、まるで聖人のように崇め、一途に想い続けるマヤへの、愛の鞭ではなかったでしょうか。

 紫のバラなんて、どうしようもない。マヤが想いを寄せる幻は、偶像は、彼女が描いたような聖人君子じゃないわけです。それは、速水さん自身がよく、わかってる。
 マヤが紫のバラを敬愛し、恋愛のような感情を抱けば抱くほど、速水さんは苦しくなったんではないでしょうか。

 本当のことを知れば、君だってがっかりするだろう、と。
 今まで期待が大きかった分、一層怒り、失望するかもしれない。だからこのさい、君が後生大事に抱え込んだ、その空虚な憧れを踏みにじってあげるよ、と。
 もちろん、その場では痛みを覚えるだろうけれど、その痛みが、前進するパワーに変わること、速水さんは信じていたんだと思います。

 今さら憎まれることに、躊躇はなかったでしょうね、たぶん。

 マヤの中で、神聖な位置を占める紫のバラを敢えて汚すことで、速水さんは自分自身をも、斬り捨てていたのかなあと思います。

 紫のバラが、なんぼのもんじゃいと(^^;
 マヤがその人を神聖視すればするほど、苛立ち、大声でそれを否定したくなる衝動をこらえてきた、その鬱憤が、一気に爆発した瞬間であったのかもしれません。
 あの花束を投げつけて、ショックに震えるマヤを見たときに、どこかで溜飲が下がる思いをしていたのではないか、とさえ邪推するのです。

 絶対に正体を明かせない、もう一人の自分。
 マヤがその人を好きになればなるほど、苦しくなったでしょう。だって名乗りをあげることなどできないし、マヤが恋しているのは自分ではない、幻のあしながおじさんなのだし。その人が、マヤの思うような純粋無垢な人物ではないこと、自分が一番よく知っているわけで。

 紫のバラは、しょせん自分が作り上げた架空の人物。ならば、その存在を利用し、マヤを傷つけることで、彼女を一段と奮起させようと決意したのは、自然の流れだったような気がします。
 マヤが思うほど、紫のバラというアイテムは、速水さんの中で重要ではないと思うから。

 自分が作り出した、彼女との細いつながり。
 嫌味を交えずに素直に、彼女への賞賛の言葉を口にできる、速水さんの仮面。
 自分で創りだしたものだからこそ、汚すのにもためらいはなかったと思います。そうしたところで、傷ついた名誉は自分自身のものなのですから。

 思えば、紫のバラは寂しい色ですね。
 最初に花を贈るとき、なぜこの色にしたんでしょう。直感で選んだのでしょうが、ファンとして贈るには少し、控えめすぎる色のような気がします。

 それだけ素直な気持ちで、そのとき、マヤに花を贈りたいと思ったのでしょうか。心を偽らずに、自分の率直な気持ちをそのまま贈りたいと願ったのかもしれません。

 このバラ投げつけエピソード、今後、コミックスになるかどうかはわかりませんが、どうなんでしょうね・・・。最新の『別冊花とゆめ』で、ようやく進展したようにみえる二人の距離を考えると、このエピソードがこのまま採用されるかどうかは微妙なところですが。

 でも私はこの先、マヤと速水さんは、一般的なハッピーエンドという結末は迎えないだろうと思っているので。二人を引き離すその大きな運命の力を悟ったとき、速水さんは荒療治で、マヤを突き放すんじゃないかと思っているのです。
 へたな優しさはむしろ、マヤを一層傷つけるだろうから。

 バラ投げでなくとも、それと同等のひどいやり方(マヤから見たときに)で、自分をもマヤをも、斬ってしまうような気がしてなりません。 

『ガラスの仮面』桜小路君が速水さんの立場だったら

『ガラスの仮面』指輪事件で、これがもし桜小路君だったらどうしただろうかと考えてみました。以下、ネタバレも含んで語っておりますので、漫画を未読の方はご注意ください。

速水さんがマヤ本人の訴えを信じなかった・・・という、ちょっと信じられないこの事件ですが。もしこれ、速水さんでなく桜小路君だったら、どう対応しただろうかと考えてみました。

例えばですが、紫織さんが偶々、桜小路君の舞台を見て彼を気に入り、強引に婚約へ持ち込んだとしたら、です。最初は相手にしなかったであろう桜小路君ですが、鷹宮のバックアップがあれば今後の演劇人生に必ずやプラスとなると踏んだ家族の猛プッシュ(もちろん、紫織さんの家族懐柔策もあり)と、どの道この先マヤちゃんとは結ばれないという悲観が、桜小路君をして、紫織さんとの婚約受け入れ→結婚に突き進むという行動に走らせたら。

桜小路君の弱みは、いまだマヤちゃんへの消えない思い。決して嫌いになったわけでなく、どれほどアタックしても答えてはもらえない、マヤちゃんの胸を占める紫のバラの人への敗北感・・・です。

婚約者となり有頂天の紫織さんが、もしも桜小路君の携帯待ち受けに、マヤの画像を発見したら。大切にしまわれた、イルカネックレスの秘密に気付いたら。桜小路君の心を自分だけのものにしようと、あのドレス&指輪事件をおこしたら、彼はどんな反応を示したでしょうか。

ちょっと考えただけで、すぐに答えが想像できました。
たぶん、こんな風になったんじゃないかと思います。ドレスの試着室から聞こえてきた、紫織さんの悲鳴。慌てて飛び込んだ桜小路君の目に映る、マヤを疑っても仕方のない情景。
以下、桜小路君が速水さんの立場だったら、を予想して書いてみた文章です。

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桜小路:どうしたの・・・マヤちゃん。こんなところで一体なにを?

紫織:(白いドレスがブルーベリージュースで染まり、無残な有様。両手で顔を覆い嗚咽をもらすばかり)

桜小路:(紫織ではなく、まっすぐにマヤをみつめている)
言ってよ。紫織さんになにを・・・したの・・・?

マヤ:(真っ青な顔で唇を震わせている。力の抜けた手からバッグが滑り落ち、中身がこぼれる。床に転がる大きな指輪を見て、試着室にいたスタッフたちがどよめく。)

桜小路:これは・・・僕が紫織さんに贈った婚約指輪。どうしてこんなところに? マヤちゃん、これはいったいどういうことなんだ・・?

マヤ:知らない! あたしだって・・・! いつのまにか あたしのバッグの中にはいっていたの! だからそれを返そうと思ってきょうここへ・・・!

桜小路:(なにも言わず、マヤをみつめている)

マヤ:(泣きそうになりながら、桜小路をまっすぐに見ている)

桜小路:君を・・・信じるよ。後は僕にまかせて。もう、行ったほうがいい。

マヤ:桜小路君、でも・・・。
(青ざめて、立ち尽くすマヤ)

桜小路:(マヤに近寄り、優しく肩を押す)
大丈夫だから。心配しなくていいから。
(安心させるように、笑顔をみせる)

マヤ:(ふらふらと、おぼつかない足取りで部屋を出ていく)

桜小路:(なにがあったのかはわからないけど・・・。ともかく、マヤちゃんは紫織さんに意地悪をするような子じゃない。きっとなにか、誤解があったんだろう。マヤちゃん真っ青だったな・・・。送っていってやりたいけど、こんな状態の紫織さんを置き去りにするわけにはいかない。)

紫織:(桜小路にすがりついて泣き出す)
やっぱり盗んだのはマヤさんだったんだわ。なくしたはずのあの指輪・・・。わたくしのドレスに、ジュースをかけたのもあの子・・・どうしましょう、こんなに汚れてしまって・・・。

桜小路:なにか誤解があったんですよ。マヤちゃんにはあらためて、事情を聞いておきますから。でも、信じてほしいんです。マヤちゃんはなにがあっても、紫織さんにひどいことをするような子じゃないんです。

紫織:ひどい・・・マヤさんをかばうのですか?

桜小路:僕が一番・・・よく知っているんです。マヤちゃんとは長いつきあいだから。そんな子じゃないんです、本当に。演劇以外のことじゃまるで不器用だけど・・・でも。

(そうさ、マヤちゃんのことなら、僕が一番よくわかってる。紫のバラの人には勝てないと悟って、紫織さんとの婚約に踏み切ったものの・・・。ああやっぱり君を見ると胸が痛いよ。どんな状況であれ、君に会えたことを喜んでいる。僕は・・・本当に君が好きだから。他の女性と婚約すれば、忘れられるとおもったのに・・・。紫織さんは、僕には申し訳ないほどの素晴らしい女性だ。なのにどうして・・・僕は・・・)

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>マヤ:知らない! あたしだって・・・! いつのまにか あたしのバッグの中にはいっていたの! だからそれを返そうと思ってきょうここへ・・・!

注) この部分については、コミックスの台詞を桜小路君用に、改変して使いました。コミックスだと速水さん相手なので、敬語使ってますね。

もし桜小路君があの場所にいて速水さんの立場だったら・・ということで、上記を想像してみました。全くの想像ですが・・・桜小路君はマヤのこと、きっと信じるだろうなと。

紫織さんにどうこう言われようと、周囲の状況がどんなに疑わしいものであろうと、マヤ本人の口から「違う」と聞けば、それを信じて受けとめるのが桜小路君だろうなあと思いました。

紫織さんが罠を仕掛けても、無駄でしょうね。
心の底から、マヤという人間を信頼していると思うから。そしてその信頼は、たとえマヤへの気持ちが所詮報われない一方的な思いであっても、変わらないと思うんですよね。振れ幅がないというか。
誰かがマヤの悪口を言ったとしても、桜小路君は動じないと思う。自分の目で見た、自分が好きになった人物を信じるから。

じゃあどうして速水さんは、マヤを疑ったのか。
うーん、それは、つきつめて考えていくと、彼は自分自身を、心の奥底では卑下している部分があるんじゃないのか?なんて思います。どんなに他人が評価してくれても、自分が自分のことを信じていないような。だからその気持ちが、不安感になるんじゃないかな。

あの子がおれを好きになるはずはない。
おれはあの子に憎まれて当然だ。

こういう自己否定の結論にたどり着くのは。自分自身が、自分を価値のない人間だと思いこんでいるからかもしれません。

子供の頃の誘拐事件。英介に見捨てられたときの絶望が、「自分は愛されない人間だ」という、強いマイナスイメージを、潜在意識に刷りこんだ。

唯一、自分を無条件に愛してくれたであろう母親に対しても。その死因が紅天女(燃え盛る屋敷に飛びこんで行ったときに負った怪我が遠因)であることに対しては、わだかまりがあったと思うのです。

母さんは、僕よりも紅天女が大事なの?と。
母さんになにかあれば、僕はあの屋敷で血のつながらない義父と二人きりになるのに。
それでもあの英介の、ご機嫌をとりたかったの?と。

そして、そんな母親を救えなかった、無力な自分への怒り。
自分さえしっかりしていたら、母親を支えることができたら、母はあの英介に媚びる必要もなく、二人の生活は英介のお情けにすがることもなかったのに・・・。

復讐心を生きる糧として成長した速水さんですが、自己否定の気持ちは、相当強かったのではないかと。

英介にも愛されなかった。母も、英介の紅天女に媚びて死んだ。自分を心から思ってくれる人など誰もいない。
いや、母は英介に媚びたのではなく、英介の機嫌を損ねなければ、速水家での真澄の立場が保障されると信じての行動だったかもしれないけれど・・・。そうだとしたら、母親をそんな行動に走らせたのは、自分がふがいないからで。そして、死んだ母に対し、やりきれない思いを抱いてしまう自分が、そんな自分こそが許せなくて。

心の奥底に、強い自己否定の気持ちがあるからこそ、指輪事件でマヤを疑ってしまったのが速水さんなのかもしれませんね。こんな自分など、憎まれて当然なのだと。

桜小路君は対照的です。暖かい家庭に育ち、きっとあふれるほどの愛情を受けて育った。演劇の世界でも、それほどの挫折を味わうことなく順調にやってきたはず。自分を否定する要素などなにもない。

だからこそ、自分の愛した人を、マヤちゃんを素直に信じられるのかもしれません。自分という人間を、信じているから。

速水さんはきっと、自分自身を信じていないのでしょう。そう思いました。

『ガラスの仮面』の指輪事件

『ガラスの仮面』の、指輪事件について語ります。ネタバレ含んでおりますので、漫画を未読の方はご注意ください。

指輪事件。
私が何を一番、アリエナイと思ったかというと、マヤが速水さんの目の前で否定したのにも関わらず、速水さんがマヤを疑った、というところです。

これだけは有り得ない。速水さんが魂のかたわれであるなら、この展開だけはありえませんでした。
じゃあどういう展開だったらよかったのかなあと考えたのですが。

紫織さんがマヤのいないところで、あることないこと速水さんに吹き込む、的な設定だったら、速水さんのキャラも崩壊しなかったと思うんです。速水さんがあの、ウェディングドレスの試着室に現れず、マヤのバッグから指輪が飛び出すのを自ら目撃しなければ。たとえば、下記のような感じで。

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(鷹宮邸。紫織が体調を崩したとの連絡を受け、真澄が見舞いに訪れる。真澄は紫織とマヤにトラブルがあったとは聞いているが、現場にはおらず、詳細を知らない。)

紫織:指輪を盗ったのは、やはりマヤさんでした。マヤさんがバッグを落として・・・そこから指輪が出てきたんです。その瞬間、マヤさんがグラスも落としてわたくしのウェディングドレスは滅茶苦茶に・・・。あの子は、真澄さまの何なんですの?わたくしにはわかりません。

速水:申し訳ないことをしました。僕がその場にいればよかったのですが、まさかそんなことがあったとは・・・
(白目になり、考えこむ)

(あの子がそんなことをするとは信じられん。だが、もしそんなことがあったとしたらその理由は一つだ。
マヤ、おれがそれほど憎かったのか。おれではなく紫織さんを標的にするほど、おれが憎いか?
許されようなどと、思ってはいない。だが君の心に憎しみ以外のものを感じたのは、おれの勘違いだったのだろうか)

紫織:(真澄さま、あの子を信じるおつもり?そうはさせないわ)
わたくし、マヤさんが怖い・・・。あの子の目には憎しみがありました。真澄さまとあの子の間には、なにがあったんですの?

速水:・・・・・・
(一瞬でも、夢をみたおれが馬鹿だったのだ。あの子がおれを、憎んでいないはずがない)

(いつかのマヤの言葉が蘇る)

「さぞ満足でしょう・・・これでいつか 鷹通のすべてを手に入れるチャンスをつかんだってわけですね・・・!」
「あなたみたいなひとに『紅天女』は渡さない・・・!ぜったいに・・・!」

(そうだ・・・あの子が変わったんじゃない。馬鹿な夢をみたのはおれの方で・・・ずっと憎まれていたのに。人に嫌がらせをするなんて、したこともないようなあの子が・・・罪を犯してまで紫織さんを・・・。おれが鷹通と縁組すれば、力を得た大都が紅天女を奪い取るとでも思いつめたのだろうか。馬鹿な。今マヤが下手なことをすれば、試演に出るチャンスさえ失うというのに。自分の立ち位置すら見失って、それほどまでに、おれを恨んでいるのか)

速水:紫織さん。すべて僕の責任です。

紫織:真澄さま、この先もあの子は・・・・

速水:(フッと自虐の笑みを浮かべる)
いいえ。あなたが心配するようなことはなにもありません。それより、結婚の時期を早めませんか。僕は早く、あなたと一緒になりたいのです。

(マヤに馬鹿な真似をさせるわけにはいかない。おれへの憎しみが、あの子の未来を傷つけるようなことなど、あってはならない。マヤ、おれのために自分を貶めるなんて・・・。一刻も早く紫織さんと結婚しよう。そうなればあの子も、それ以上の行動には出ない。)

紫織:(顔を赤らめる)
紫織は・・・真澄さまがいてくだされば怖くありません。
(やったわ。あの子が指輪を盗み、わたくしのドレスを汚す嫌がらせをしたと信じて、愛想を尽かしたのね。思った以上にうまくいったわ。結婚を早めるとまで言って下さった。これで真澄さまはもう、わたくしだけのもの・・・フフフ)

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上記のような感じだったら、指輪事件も、物語を盛り上げる重要なエピソードになったと思うのですが。
要は、速水さんの罪悪感があまりにも深すぎて、そのフィルターを通して物事を考えるものだから、あっさり紫織さんの姦計に陥っちゃうんですよね。「おれは憎まれてる」という固定観念から、自由になれない・・・。

☆で囲まれた文章は、私が勝手に想像した二次創作ですが、

>「さぞ満足でしょう・・・これでいつか 鷹通のすべてを手に入れるチャンスをつかんだってわけですね・・・!」
>「あなたみたいなひとに『紅天女』は渡さない・・・!ぜったいに・・・!」

この辺の台詞は、実際にマヤが速水さんに言い放ってます。コミックスの45巻です。

マヤ、結構キツいこと言ってるなあ(^^;

あの指輪事件。マヤがいない席で紫織さんからあれこれ訴えられたら、きっと速水さんも紫織さんの言うことを信じてしまうだろうなあって思ったんですよね。
なにしろ、「憎まれてる」と思いこんでますから。
マヤがそんなにもひどいことをした→全部おれのせい、みたいな。

マヤが目の前で否定したのに、それを信じない速水さんは非道(というか絶対に魂のかたわれではない)ですが、マヤ本人から否定の言葉を聞いていない状態で、その悪行を信じてしまうというのは、なんとも切ないエピソードになると思うのです。

噛み合わない歯車。
一瞬心が通じたように見えても。
二人の間にある、深い谷間。

おれなんかを好きになってくれるわけがない。
あたしなんかを好きになってくれるわけがない。

延々続くループ。それを象徴するエピソードに、なり得たのではないでしょうか、指輪事件。

でも・・・重ねて言いますが、マヤ本人が目の前で否定しているのに、それを信じない速水さんは・・・どうかと思います。

『オペラ座の怪人』ラストシーンの解釈

アンドリュー・ロイド・ウェバー『オペラ座の怪人』のラストシーン。原詩と訳詞の違いについて、今日初めて気付いたことがあるので、語りたいと思います。ネタバレも含んでおりますので、舞台や映画など未見の方はご注意ください。

『オペラ座の怪人』は、ファントムのこんな言葉で、幕が下ります。

>You alone can make my song take flight
>it’s over now, the music of the night

(直訳:君だけが、私の歌をはばたかせることができる。今終わった、音楽の夜)

※この直訳は私が勝手に書いたものです。参考まで。

私は以前のブログでも書いたように、この原詩より、下記の劇団四季訳詞の方が好きです。

>我が愛は終わりぬ
>夜の調べとともに

この日本語訳だと、You alone can make my song take flight(直訳: 君だけが私の歌をはばたかせることができる)の部分は全く訳されていないのですが、私はそれを全然気にしていませんでした。この部分に、全く必要性を感じていなかったのです。
だからこれまで、日本語訳でそれが抜けても全然オッケーという気分だったのですが、今週、オペラ座ファンのSさんからメールをいただき、あらためて考えました。

Sさんは、この一文は「決して省略してはいけない重要な言葉」だとおっしゃいました。

それで、もう一度この英語を何度も反芻するうちに、はっと閃いたことがありまして。

これ、たぶんラストシーンのファントムの心情をどう捉えるかによって、言葉が変わってくるんじゃないのかなあと。

あの最後の場面で。

わずかに残った希望の糸。
ファントムはそれでも、クリスティーヌに敢えて告白しますよね。

Christine, I love you と。

指輪を返して去っていくクリスティーヌ。
私がもしファントムの立場であったなら・・・・。

私の中で、クリスティーヌは消えます、ハイ。その瞬間。

たぶん、自分の中の世界が壊れる、と思うんですよ。彼女とのいろいろも、すべて色を失うというか、過去になるというか。
あ、もちろんクリスティーヌを責めてるとか失望するとかじゃなくてね。あー、全部終わった。というかそも自分がクリスティーヌに抱いた感情そのものが、間違いだったんじゃないかなあっていう。

なんて愚かなことをしてしまったんだろう。
身の程も知らずに。
最初から最後まで全部、間違いだった。
クリスティーヌに愛されようなどと。共に暮らそうなどと、夢見たことは間違っていた。

壁から剥がれ落ちたタイル。
1枚、2枚程度なら、拾い上げて修復するでしょう。

でもそれが、ボロボロと際限なく落ちてきて、もはや残ってるタイルなんて無きに等しい状況になれば。

もう修復とかいうレベルじゃなくなって。
その壁はもう、諦めるしかなくて。
そしたらむしろ、それを壊したくなりませんか?

大切なお気に入りの壁。ボロボロと崩れるタイルを、必死で拾い上げ、なんとか元に戻そうと努力を続けたその後で、「もう絶対に無理」なほどに、その壁が崩壊したなら。

むしろ、そこに僅かに残ったタイルを自分の手で剥がす、という暴挙に出てしまいそうなんです。自虐といってもいいような、乱暴な感情。

タイルが落ちるたび、痛くて痛くてたまらなかったのに。もう一線を越えたら、開き直ってむしろ、自分の手で壊したくなるという皮肉。

中途半端なくらいなら、むしろこの手で全部なくして、そのなんにもなくなった空間で深呼吸したい、みたいな思い。

私はオペラ座のラストを、そんなふうに捉えてました。

安全地帯の初期の曲に、『デリカシー』というのがあります。その一節が、この場面にはふさわしいかもです。

>こわれすぎて いい気持ちにも
>なれそうだから

この曲、初めて聴いたときから妙に印象に残っていて。

絶望の向こうにある、妙な明るさ、みたいなもの。
ある一点を越えたら、もうどうでもよくなって。
それは、事態が好転したとかそういうことでは全くないんですけど、自分の中で、今まで悩んでたことがもうどうでもよくなって、むしろ今までの痛みがある種の快感に代わる瞬間というか。

この『デリカシー』という曲の歌詞、全体を見るとまた、印象が違うんですけどね。私はこの、上記の一節だけが妙に頭に残ってまして。

苦悩の果ての、転換点というのでしょうか。
つきつめてつきつめて、ガラっと変わる瞬間を表すのに、言い得て妙な一節だなあと思ってました。壊れ過ぎて、逆にいい気持ちになるって、皮肉すぎる(^^;

2004年にアメリカで製作された映画版の『オペラ座の怪人』。この映画版のラストが、まさにこれだと思うんですよね。鏡を、どんどん自分で割っていくじゃないですか。
あれ、ファントムの世界が崩壊する、心が粉々になるのをそのまま絵で表していて、すごいなあと思いました。私が想像するファントムの内面って、まさにあんな感じだったから。

想像するに、あのときファントムの中で、クリスティーヌの存在はかなり、薄くて。
もう全部、過去のものなんです。
あそこにあるのは、残っているのはただ、ファントムの内面世界。その世界を自ら、バリバリと凶暴に破壊していく。跳ねたガラスの破片が、恐らくいろんなところに飛び散って、血も流れるんでしょうけど。その痛さなんてもう感じないくらいに、根本的なところからもう、崩れて、なくなっていく、絶望感が、至福に変わる。

それでちょっと、もう狂っちゃってるんですよね。痛みを幸福と認識してしまうくらいに。あのとき流れる壮大な音楽は、もう天空のメロディで。むしろ幸せ~、これ以上ないくらいの幸福感。

アハハ~アハハ~と、頭の上に蝶々が舞ってる。
何もかもどうでもよくなってる。
ただ壊すのが、楽しくて楽しくて。全部なくなってしまえばどんなに素敵だろうと、破壊衝動に突き動かされて。

クリスティーヌという、平凡な少女(決して歌は天才的ではなかったと思う)に抱いた、ごくごく当たり前の、普通の恋愛感情が。あのラストでは、個人的な生生しさからむしろ、神々しいような、圧倒的な広い深い、歓喜の波に変わるような気がして。

正しいのか正しくないのか、とか、これは現実なのだろうかとか、夢なのだろうかとか。
もはやそういう次元をすっ飛ばして、その先にある境地。

許容範囲を越えたことによる、人間の本能的な防御反応なのかもしれません。このままでは耐えられない、と判断したからこそ、その楽園のような境地に達するという・・・・。

鏡をガンガン、気持ちがいいほど叩き割っていくファントムの姿。
やっと楽になれたのかもしれないって。

と。こういう解釈の仕方をすると、あの

>You alone can make my song
take flight

という部分は、あんまり重要じゃなくなってくるんですよね。
もう、ファントムにとってクリスティーヌのことは過去になってしまっているから。うーん過去というのも、微妙に違う・・・忘れたわけじゃないけど、もはやそこにポイントが置かれていない、気がするのです。

クリスティーヌというのが、唯一無二の存在ではなくなっていて。クリスティーヌは、ひとつの象徴だったというか。ファントムにとって、救いを求めた、救いを得られると思った、淡い期待を抱いた、そんな相手として。
そこにはクリスティーヌの個性はもうなくて、偶像みたいなものがぼんやりと残っているような。

駄目だったなあ。結局なにも残らなかった。夢をみただけ。ハハハ、全部壊してしまえ~。ああ、この世界はなんて、脆いんだろう。みたいな。

この時。ファントム目線で見ると、そこにあるのはファントムの内面世界だけで。クリスティーヌはもはや、「こんな自分でも愛してくれると思った偶像の幻影」でしかなくなっているような。
もう、クリスティーヌとファントムを結ぶ絆、切れちゃってると思うんです。これはファントムが切ったんではなくて、あの指輪を返された瞬間に、自然消滅しているような。

私はそんな解釈をしたので、上記の英語が劇団四季訳で省略されていても、全然気にならなかったのです。

でも、そもそもラストの大事なシーンにこの

>You alone can make my song take flight

という言葉が入っていたということは。これは元々、この時点での、ファントムからクリスティーヌへの変わらぬ熱情を表しているのではないかと、今になって初めて気付いたのです。

そうか~と。それでやっと理解できたのです。過去形の could ではなく、現在形 can を使っている理由。

今も変わらず、強い思いを抱いているからなのですね。ファントムはクリスティーヌに対して。
そりゃもう、クリスティーヌには決定的にお断りされているわけですから、これ以上なにを望むとかはないんですけども。
ただ一方的に。見返りを求めず。
胸から勝手にあふれだす思いを、ファントムはクリスティーヌに捧げてるんだなあ。

わかってるけど。自分を選んではくれないことは重々承知の上で。それでも思いだけは、クリスティーヌの元に飛んで行ってしまっているわけです。決定的な破局を、思い知った後でさえも。だから現在形で訴えているんだ。今も変わらず、(おそらくこの先もずっと)、君だけが私の音楽の天使。君でなければ、私の音楽は翼をもたないと。

あのラストの時点で。

1.ファントムはもう、崩壊している。もうこの世界の何物をも、彼にとっては意味を持たない。

2.ファントムの気持ちは、クリスティーヌの選択に関わらず常に彼女の元にあり、そしてこれからもあり続ける。彼が彼である限り、ファントムはクリスティーヌを愛し続ける。

この2つの考え方があって、それによって

>You alone can make my song take flight

という言葉の重要性が変わってくるんですね・・・きっと。
私は1の解釈だったんで、2のような考え方は新鮮でした。

これ、英語詩は2の解釈で書かれてると思います。1の解釈だったら、きっと could になってたはず。
それでもって、劇団四季の訳者の方は、1の解釈をされたのではないでしょうか。

だからこそ、敢えて

>You alone can make my song take flight

上記の訳を抜かして、日本語訳を作り上げたのではないかと、そんなふうに想像してしまいました。

日本語と英語の字数の違いとか、そういうものもあるかもしれませんが、ここ、最大の見せ場ですもんね。2の解釈であれば、原詩の一文をまるまる抜かす、ということはなかったと思います。なんとかして、その一部の訳だけでも、日本語に変換していたはずです。

私は最初から1のように考えてファントムに感情移入してたんですが、一般的にはどちらの捉え方が主流なんだろう?
1派か2派か。
国によっても、それは違ってくるんでしょうか。

『オペラ座の怪人』、深いですね。想像がいろいろふくらんでいきます。