Memoirs of a Geisha

映画『さゆり』の原作本である『Memoirs of a Geisha』はArthur Goldenによって書かれた。どんなもんかな?と読み始めたら、これがなかなか面白かった。

以下、感想を書いてますが、ネタバレ含んでますので未見の方はご注意ください。

最初、いい人だと思っていた田中氏が、千代ちゃんを置屋に売ったのにはびっくり。私、映画のCMで見た渡辺謙が、田中氏の役だと思っていたので。

ああこの田中氏のことを、千代ちゃんは好きになるのね・・・と思っていたし、最初はたしかにとても優しかったのに、いきなり姉ともども売り飛ばされて呆然。千代ちゃんもびっくりしたでしょうが、私にとっても驚愕の展開でした。

お姉さんは女郎屋へ千代ちゃんは置屋へ。それを考えたら、まだ千代ちゃんは幸せだったのかなあ。それにしても初桃。どこの世界にも、こういう理不尽な奴はいるものです。

私にも、似たような経験があるから(初対面で敵視される)読んでいてつらかったです。私の場合は、別に置屋に売られたわけではありませんでしたが。

なんにも悪いことをした覚えがないのに、最初から敵視されてイビラれる。私はまだ大人だったからよかったけど、まだ子供で、世界が狭い千代ちゃんにとってはただただ、恐怖と悲しみの連続だったでしょうねえ。

住み込んでいる場所でこういう意地悪をされて、しかも相手が権力者の場合、もうできることなんて、祈ることしかないんですよね。千代ちゃんがどんなに知恵を巡らせても、初桃に敵うわけがない。

初桃に同情はしません。初桃がどんなに悲惨な境遇で、だから根性が曲がってしまったとしても、いきなり置屋に連れられてきて怯えている少女に対して、あの態度はないだろうと思う。

むしろまともな人間なら、そこに自分の昔の姿を見て、優しくするんじゃないだろうか。

全体の半ばくらいまでは読んでいて苦しくなる描写が多く、何度も投げ出しそうになりました。あんまり悲惨だったから。初桃は猫がねずみをいたぶるように、いともたやすく千代ちゃんを罠にはめ、千代ちゃんはこれでもかとばかりに落ちていく。

会長との出会いでやっと希望がみえたかと思いきや、その後全然会長に再会できないし、再会した後も、会長は千代ちゃんにまったく関心がなさそう。

私は映画は見ていないのですが、映画のサイトは見ました。会長は渡辺謙ですが、イメージにぴったり。そりゃ、千代ちゃんにとっては救いの神。すべての希望がそこにあったとしても不思議でないような、魅力的な人物だと思います。

千代ちゃんの水揚げの相手は、蟹医師。描写が非常に気味悪く、ちょっと危ない人に描かれてました。映画だと誰がやったんだろう。私のイメージだと、役所広司なんだよなあ。延役ではなく、蟹医師の方が合ってたように思います。

役所さんの持つ、どことなく謎めいた、生々しい雰囲気が蟹医師を彷彿とさせるのです。

じゃあ延役は誰がよかったかというと、具体的な役者の名前は思い浮かばないのですが、ちょっと神経質でまじめな感じの人がいいな。さゆりが自分の気に入らない相手を旦那にした、ということだけであれだけ怒っちゃう潔癖で融通のきかない人ですから。

役所さんだと、そういうのをあっさり受容してしまうイメージがあるんですよね。

しかし延も愚かですね。さゆりとは長い付き合いだったのに、結局さゆりが会長に抱いた恋心にも気付かず、その上、さゆりには選択権のない旦那のことでさゆりを責めるし。

本の後半で、さゆりがおカボに裏切られた辺りからは、夢中になって読みました。おカボの気持ちはわかるけど、やってることは最低です。結局おカボはさゆりが羨ましくて、それがそのまま憎悪になった。

一番の盛り上がりは、会長がさゆりに告白するシーン。延はこないの?と気にするさゆりに、本当は最初からさゆりに気付いていたし、ずっと見守ってきたのだと思いを告げる。うわぁぁぁそうだったのかぁぁぁと、叫びたくなりました。最後の最後でどんでん返し。まさか、そうくるとは・・・・。

キスするまでの描写がきれいでうっとり。夢のような話だけど、物語なんだからそういうシーンがないとね。

その後の部分は、付け足しのような感じでした。結局さゆりは会長の愛人となり、子供を生むのですね。なんだ、純愛かと思いきや愛人か、と冷めた気分にもなり。時代を考えたら仕方のないことかもしれないですが。

映画のサイトで写真を見ましたが、芸者の写真があまり日本的でなくて、違和感がありました。もし日本人の俳優が演じて、日本の風景を忠実に反映した映画になっていたら、雰囲気は全然違うものになっていたと思います。

この映画、前評判ほどにはヒットしなかったようですが、その理由は私が感じたような違和感にあるんじゃないのかな?と思いました。

『グイン・サーガ』栗本薫著

 久しぶりにグインサーガを読んだ。90巻から100巻あたりを。

 高校生のときに、20巻くらいまで読んだ記憶があるのだが、その後はずっと興味を失くしていた。

 あの登場人物たちがどうなっているだろうという興味で、ささっと読んでみたのだが、あの頃よりずっとおもしろく感じられて一気に読破。以下ネタバレも含みますので、未読の方はご注意ください。

 まずイシュトバーン。もうちょっと陽気なキャラだったように思うけど、いきなり病気です。精神の病。自分で自分を縛りつけ、信頼すべき人を疑い、どうにもこうにも不幸スパイラルという感じ。そばにいるだけで、災いが降りかかるキャラへと変貌していました。

 被害妄想の傾向あり。周囲が全部敵、という感じで、本人もつらいんだろうなあ。でも仕方ない。もはや誰の言うことも信じられないんだもの。グインでさえ。カメロンでさえ。お気の毒だけど、もっとかわいそうなのは周囲にいる部下かな。イシュトが上司では、命がいくつあっても足りない。

 イシュトの将来に暗雲がたちこめてるのを確認しました。

 そしてグイン。昔読んだときにはかなり地味なイメージだったのですが、今回読んでみて彼が主人公であるというのを、初めて納得した。すべてがグイン中心に動き始めたという感じ。壮大な物語の渦に、ぐいぐい引き込まれました。グインの故郷でなにがあったのか、いつかそれが語られる日がくるのかなあ。

 シルヴィアに惹かれるのは、わかる気がする。だって世の常だもの。「なぜあの人があんな人と・・・・」ということだわね。

 グインにしてみたら、シルヴィアの弱さがツボだったんだろうなあ。庇護すべきもの、ほってはおけないものとして潜在意識が認識したように思われる。加えて、グインとは正反対の我儘さが、自分にはないものとして新鮮に映ったのか。

 だけど不幸は目にみえている。かわいそうなグイン。シルヴィアは自業自得として、振り回されるグインの方が気の毒だ。シルヴィアは直らない。ずっとあのままだから。

 ナリスが亡くなった・・・というのはどこかで聞いていたので別に驚かなかったけれど、本編に登場しないのはやはり寂しい。

 私が高校生のとき、アルド・ナリスはアイドルだった。憧れて、崇めていた。思春期は理想主義に走る傾向があると思うが、ナリスの潔癖さが、とても美しく感じられたのだ。

 ナリスに憧れた日々のことを、懐かしく思い出してしまった。

 最後に、闇の司祭グラチウス。ときどき、漫才師ですか?と聞きたくなるようなおもしろいやりとりがあったりして、威厳台無し。すごく邪悪な人を想像していたのだが、今回読んだイメージだと、吉本のベテラン芸人さんぽい。グインに置いていかれるところなんて、子供みたいだし。

 グインサーガを久々に読んだせいか、今朝みた夢は、鮮やかだった。私はとある、山奥の秘湯に来ていた。口コミで評判になったようなところで、小さな温泉ながら遠征客で賑わっている。

 青い法被の係員が、入り口で温泉の湯をひしゃくで汲んでは、客に勧めている。湯は山のふもとと、山を少し上がったところの二箇所にあった。私は夢の中でその場所には何度も来ているらしく、どこで料金を払いどこで着替えるか全部知っていた。その温泉の脇には占い師がいて、順番を待つ人たちがパイプ椅子に座っている。

 「よく当たる」と評判の占い師。それを目当てに、休日には朝から客が駆けつけるという。私は思いたって、占ってもらおうとする。法被姿の係員に「占ってもらいたいのですが」と話しかけると、「では私が、まだ予約できるか聞いてみます」と言ってその場を去ろうとするのだが、次の瞬間私の方を向いて、「あなたは恨まれてますね」と一言。

 なぜ恨まれているのか、そもそもお前が占い師かよ?というつっこみはこの際おいておき、私が詳しいことを聞くと、その人は答えた。

「昔一緒に旅をした人です。とても不安がっている。それが恨みとなっているのです」

それは誰? と思ったところでいきなり目が覚めた。

『愛と資本主義』中村うさぎ著

中村うさぎ『愛と資本主義』を読む。

一応小説という形をとってはいるけれど、これは自伝?だよねという感じ。病んでいて苦しいんだろうなあと思った。

多重人格の子が、ホストに救いを求めるという話なんだけど、手に入れたところで絶対満足感なんてないのに。きれいである、ということに執着する点は、そのまんま主人公のコンプレックスで、それを解消したくてホストに貢ぐんだろう。

こんなにきれいなあの人が、私を認めてくれたんだから、私にはその価値がある。そう思いたいんだろうけど・・・・どうかなあ。

きれいなことには価値がある。たしかにそう。外見の美しさだって大切だ。私はつい最近になってそのことに気付いたし、「中身さえよければいいの」という考えが狭小だとやっと理解したばかりだが。

だからといって、「とにかくきれいであればいい」とは全然思わない。

どんなに輝くばかりの美しさを持っていたって、中身がクズだったら軽蔑するよ。たぶん5分話したら飽きるし。きれいであろうと努力することは大事だけど、それを絶対的価値観とするのには無理がある。

小説の中のホストはとても美しい容姿と描写されていたけれど、全く惹かれなかったのはそこに中身がなかったからだ。浅いなあと思った。

さっきテレビで再放送していた「電車男」を見ていたときにも思った。そりゃたしかにエルメスはきれいだ。きらきら輝いている。だけど、電車男がそこまで自分を卑下することもないんじゃない? オタクだからなに? 人それぞれ、趣味があって当たり前だし、誰かに迷惑をかけるようなことでなければ自由だと思う。もっと堂々としていていいんじゃないかというのが、正直な感想。

自信と謙虚さのバランスって大事。同時に、美しさに憧れるのとそこに執着するのと、どこにラインを引くかっていうのも大事だと思う。

美に執着する姿は、見苦しい。化粧に命をかける人。同僚Aは、いつでもどこでもバッチリ化粧を決めている。どんなに忙しいときも、仕事の手は抜いても化粧に手抜きはない。

後輩をネチネチいびった後に、トイレで念入りにマスカラを塗る姿を見たときはぞっとした。妖気さえ、漂っている気がしたよ。

人間、少し話せばだいたいのことがわかる。気遣いができるか。空気が読めるか。政治経済芸能。どの程度の基礎知識をもっているか。

少し仲良くなりかけたけど、やっぱりダメだなあ。この子とは浅い付き合いだなあと思った友達がいる。

あまりにも、あまりにも政治経済に疎い。これは致命的だった。

大人なら、ある程度の知識があって当たり前だと思うけど、知っていて当然の基礎知識がない。興味もない。今日のことしか考えない。明日は必ずやってきて、それが幸福で、未来永劫続くと信じて疑わない。

今の日本は幸せな国だと思う。だけど、それは過去に努力した人たちがいたからだ。その人たちの思いが今の国をつくったと思うし、次世代に伝えるのは今の私たちの役目だと思う。

あんまり小難しく考えることもないとは思うけど、でも「自分さえ楽しければいい」という人を見ると、浅いなあと感じるのよね。やっぱり自分は社会の一員である、という自覚がないと。個人の生活の土台には、社会があり、国があると思うのだ。話していて、いい大人が自分のことしか考えていないのがわかると、かなりガックリくる。

宮部みゆき著 『ICO~霧の城~』

宮部さんは好きな作家。今回の作品の元ネタになったゲームの雰囲気も大好き。ということで、かなり期待しつつ読みました。以下、ネタバレしてますので、未読の方はご注意ください。

私、ICOは、ゲームは最後までやらなかったのです。単調な感じで飽きてしまって・・・。影から彼女を守りつつ、淡々と逃げていくだけというのがどうしても性に合わなかったというか。

ただ、あの雰囲気は大好きでした。あの独特の空気。もう、謎だらけだったですからね。ICOはなぜ角が生えているのか、ヨルダは何者なのか、霧の城は誰のものなのか等々。

彼女の消え入りそうな儚い姿。そして、テレビのCMでも流れたキャッチコピー。「この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから」に、心を惹かれました。

魂のつながりを感じるくらい、わかりあえる関係って存在すると思うんですよ。この話をすると「十代の少女じゃあるまいし」と友達に笑われるのですが、いいとか悪いとかではなく、心が合う合わないっていうのはあると思うし、人間はみんなそういう相手を探して生きているんじゃないかと。

本当にめったに出会えない。だからこそ、会えたら貴重なんです。他の誰にも代えられない。同じ空を見て、同じことを感じる瞬間がある人物。

別に、なにもかもが同じということではなく、根っこの部分で、共通なものを持っている人です。めったにいないけど、そういう人は確実にいるし、いたら、とても大切にしたいと思う。

ICOとヨルダもきっとそういう、特別な関係なのかなあと。あの霧に包まれたお城の中で、手をつないで逃げていく。その先になにがあるかもわからず、後ろを振り返ることもなく、言葉は通じず、だけど確かにお互いの心は触れ合っている。

一人じゃない。魂の半身はここにいる。だから、恐くなんてない。

そういう雰囲気がとても好きでした。ノベライズということで謎が解けるのを期待して読んだのですが・・・・うーん。正直、謎が解けたとも思わなかったし、納得もしなかったなあ。あのゲームにインスパイアされた人はそれぞれに独自の世界観を持っていて、小説版ICOは、宮部さんの心の中のICOなんだなあという気がします。あのゲームを、宮部さんはこう捉えていたんだなと。

前半部分がよかったです。ICOの親友トトが、石化した街へ迷い込み、空に浮かんだ女の顔のようなものに襲われるシーン。迫力がありました。生活感はそのままに、すべてが一瞬で石化し、静寂に包まれてしまった街。目の前に、その光景が広がってくるような迫力でした。

小説の中で、一番好きなシーンです。

逆に後半部分は、疑問に感じてしまう部分が多くて、ちょっと残念でした。ヨルダの父親の描き方や、ヨルダ自身の物語。あの、ゲーム画面でみた真っ白な、何ものにも染まらない少女の姿と、小説のヨルダがつながらなかったです。

100人の人が書けば、きっと100通りの物語が生まれる。それがICOの世界だと思いました。

中村うさぎ著 『イノセンス』

中村うさぎさんのエッセイはよく読む。完璧な買い物依存症で、金銭感覚が壊れてしまっている女性だ。そんなうさぎさんが一体どんな小説を書くのか? 興味本位で『イノセンス』という単行本を手にした。

表紙の絵が、印象的だった。どこをみているのかはっきりしない、まさに『イノセンス』な少女。ふわふわした巻き毛。

読みやすい本だったので、一気に最後まで読んだ。以下、ネタバレしてますので未読の方はご注意ください。

一人の少女について、いろんな人がインタビュー形式で語るという小説だった。同一人物でも、人によって見方はずいぶん違うんだなと思った。他人から見た像と、少女自身が日記で語る自画像のギャップが大きい。

最後、キリスト教の贖罪の話になったときにはびっくり。こういう深い話になるとは思わなかったのだ。ただ、今回の小説の中で一番の罪人ははっきりしている。それは、主人公の義父だ。

要するに、この人が発端になった悲劇の話ではないか。この人が、罪を償うべき相手を間違えたからいけないのだ。里子をもらい、育てられなかった実子の代わりに愛情を注いだというが、自分の子供をこそ、幸せにすべきだったと思う。教え子に対しても、ひどすぎる対応。

うさぎさんの心にも、「イノセンス」に憧れる気持ちがあるのかなあと思った。それが、買い物に走らせたり、美容整形に走らせたり、ホストに走らせたりしているんだろうか。

読み終えた後、荒井由実の「翳りゆく部屋」を繰り返し聞いたら、気分が沈んだ。これは名曲だけど、後味が悪すぎる。どんどん、果てしなく落ち込む感じ。メロディそのものは、そんなに悲しいものじゃないのに、圧倒的な絶望感。好きなんだけど、聞いていると悲しい気分になるので、気分転換に散歩に出かけた。