一條和春さん的詩の世界

 暗記した詩というのがいくつかあって、それをときおり思い出しては、口ずさんで楽しんでいる。言葉の響きや、連想する情景に胸をうたれる。 

 もちろん、そうした詩に出会えるのはめったにないことで。

 私が心惹かれた詩は、これまでに三篇。そのうちの一つは、以前にも書いた西脇順三郎さんの『太陽』。

 『太陽』が、見知らぬ異国の初夏のイメージならば、秋から冬にかけて、金木犀の香りと共に思い出すのは一條和春さんの詩だ。

 今はもう、遠い昔。

 なにげなく古本屋さんに足を踏み入れ、なにげなく棚を眺め、なにげなく手に取った一冊の本。

 本当に、すべてが偶然だった。なんの予備知識もなく、その本を手に取り。そして、表紙が気に入って買い求めた。

 漫画だったけど、内容はほとんど覚えていない。ただ、その漫画の中に出てきた詩が、とても印象的だった。

 漫画の作者は一條和春さんなので、一條さんが書いた詩なんだろうと思う。

 漫画のストーリーとはまったく別のところで、私はその詩が好きになってしまった。その詩だけが、独立していたように思う。絵柄もストーリーも、関係のないところで。その詩だけが、異世界を構築していたような。

 それはこんな詩です。

>東京世田谷松蔭神社前における

>逢魔の見事な投身自殺

>小さな頤(おとがい)は

>冷たくレエルの上に映ゆ

>それは路地裏に幽(ゆら)ぐ青い燐光か

>金木犀の仄かに香る月光蘭灯(ランプ)か定かでなく

>ただ一つわかるのは

>彼女の魂はもうここにはいないのだと

 もしかしたら、漢字の使いかたなど、ちょっとうろ覚えなので多少、原文と違っているかもしれませんが(^^; 

 この詩は、読み終えたときに、目の前に寒々とした空気が漂ってくるような感覚がありますね。

 果たして逢魔に命があるものかどうか。レールではなく、レエルとした言葉遣いも、独特の雰囲気だと思いました。

 私のお気に入りの、高架橋があります。

 先日、そこを通りがかったときに、すぐこの詩を思い出しました。夜になれば人通りもまばらとなり、冷気があたりを包みこむような寂しい場所です。

 高いところだから、眼下の景色がよくみえます。あたりには視界をさえぎる物もなく、遠くに高層ビルが見えます。眼下にはどこまでも、線路が伸びていきます。

 レールは、何本も通っています。どのレールにどの列車が通るのか、切り替えが大変だろうなあと心配になるくらいです。

 しんと静まり返ったその向こうに、月が煌々と輝いていました。

 世田谷の松蔭神社には行った事がありません。でも、この詩の情景には、この高架橋のほうが似合うのではないかと思ってしまいました。しばらくその場でお月見です。人が通らない不気味さや怖さはあったのですが、その眺めはぞっとする美しさでした。

 人の気配のしない詩、ということでは、『太陽』と共通しているなあと思います。

 どこにも、誰の気配もしないから。その情景を眺めている、自分という視点があるだけです。『太陽』にはドルフィンを捉えて笑う少年が出てくるけど、この少年は人間じゃないだろうなあ(と、私は勝手にそう思っている)。

 どこまでも、この世界とは違う、また別世界の話ではないだろうかと、そんな気がするのです。

 逢魔、という言葉が暗喩するのは、異世界で。だから、この一條さんの詩も、きっと別世界のことを詠っているのかなと思うのです。

 私はこの、別世界の持つ、不思議な雰囲気が好きなのです。一歩足を踏み入れたら、二度と帰れないような怖さを含めて、その静けさに安らぎを覚えるというか、懐かしさを感じるというか。

 夜、その高架橋の下を通る貨物列車にも、妙な感慨を覚えるのです。あの貨物列車に乗っていったら、いったいどこに辿り着くのかなあ、なんて。夜通し走る列車に乗っているのは、運転手さん一人きりでしょうか。闇の中を、たった一人でどこまでも走るのは、どんな気持ちなのでしょう。

 そうそう、そもそも夜行列車という存在そのものが、なんだか胸をざわめかせるんですよね。一度は乗ってみたいと思っていて、数年前、カシオペヤ号に乗り北海道へ行きました。憧れて憧れて、期待に胸をふくらませて乗ったものの、すぐに頭が痛くなってしまって、実際にはあまり楽しめませんでした(^^;

 軽い頭痛が続く中、憂鬱な気持ちで、窓の外を眺めていたのを覚えています。いったん乗ってしまえば、途中下車して気分転換というわけにもいかず、「なんだか空気が薄い気がする・・・・」なんて思いながら、眠りについたのでした。

 

 秋から冬にかけては、どことなく寂しい気持ちになる季節ですが。そのたびに、この詩を思い出します。

 

 寒いのは嫌ですが、でもその一方で、寒さを気高く感じたり。どんな生温さも受け付けない、その冷たさを綺麗だと感じたり。

 気温が下がるにつれ、月は輝きを増しますね。寒さの中で美しさを増すものもあるのだと、そう思いました。

『遠いうねり』栗本薫 著

『遠いうねり』栗本薫 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしています。未読の方はご注意ください。

グインサーガの127巻です。

一時期精神的に追いつめられてたイシュトバーンが、昔のように陽気で単純(シンプルというべきか?)な個性を取り戻していて、よかったなあと。以前は、疑心暗鬼で周りがみんな敵、という被害妄想まで出現していたから。

元妻、アムネリスに対する思いを語る場面では、うん、うん、と読みながらうなずいてしまいました。かなり冷静で常識的な見方ができているなあって。

そう。本当にイシュトの言うとおりで。恨むならイシュトや、見抜けなかった自分自身を恨めばいい。少なくとも、生まれた子供には何の罪もないのに。「悪魔の子」ドリアンと名付けて、自分だけはさっさと逃げてしまったわけで。これは本当にひどすぎるかと。

アムネリスには、いい印象がないです。

ドリアンやアムネリスについての気持ちを語るイシュトバーンは、ついでのように、自らの生い立ちに対する思いも正直に吐露していて。これは意外でした。そういうことを、全部受けとめて、ことさら気にもとめていないイシュトだと思っていたのに。

ちょっとホロリとさせる語りでしたが、でもイシュトバーンの激情っぷりを考えると、そばにいる人は大変だろうなあ・・・。いつ殴りかかられるか、それこそ殺されてしまうかわからない。実はけっこう繊細な神経の持ち主で、だから人の感情の、微妙な動きも敏感に察知するし。思い通りにいかなかったときの爆発の仕方は、なまじ権力を持ってしまったばかりに、常人以上の被害をもたらすわけで。

権力をもたなければ。一介の流れ者のままだったなら。まだ、純粋に、陽気な若者のままでいられたのかなあ、と考えてしまいました。リンダに軽口を叩き、夢を語り、一緒に旅をしていたときのイシュトバーンには怖さを感じなかったけれど、いろいろあった今。

穏やかに話していても、どこかゾクっとするんですよね。次の瞬間、何かのきっかけで豹変する描写があるんじゃないか、なんて想像してしまったり。

一方、ヨナ博士と、アルゴスの黒太子スカールの二人旅は、スカールのこの台詞にドキっとしました。

>大丈夫だ、お前のことは、俺の一命にかえてもちゃんとパロまで連れ帰ってやる。

スカール、かっこよすぎるんですけど(^^;

すっごくサラっと言ったんだろうなあとは思いますが、でも目の前で聞いたら感動するでしょう。やるっていったらやる人ですから。

私はスカールというと、読むときにクラーク・ゲーブルを思い浮かべているのです。『風と共に去りぬ』でレット・バトラーを演じていたときの。

レットもかなり頼りになる人でしたが、スカールも有言実行の人だろうなあと想像してます。一緒に旅をしていてスカールにこんな台詞をさらっと言われたら・・・・いかん、惚れてしまいますな。そして、どんなに安心感を感じるだろうと思うのです。

そして二人が招待された、イオの館。「この部屋だけは近づいてはいけないよ」って、いわゆる恐怖物の定番の設定が示され、緊張感が高まります。幽霊だの殺人鬼だのという恐怖よりも、こういう心理的に追いつめられるようなものが、ぞっとしますね。

やっぱり人間の、好奇心なんでしょうか。

隠されれば見たくなるし、いけないと言われれば、その理由を知りたくなる。

けれど禁忌を破れば、もう元の世界には戻れないというおぼろげな予感・・・。なぜイオはわざわざ、そんなことを注意したんだろう?という疑問もあります。

広いお屋敷なのだし、いちいちそんなこと言わなくても、入ってほしくない部屋には鍵をかけておけばいいだけなのに。

罠?だとしたらよけいに不気味です。

イオが完璧に「いい人」として行動しているだけに、その仮面の向こうには何があるのだろうと。

そしてこの本の最後の一行を読み終え、頭の中に流れてきた曲は、イーグルスでした。そう。『ホテル・カルフォルニア』です。

この曲、初めて聴いたときから、そのメロディがとても印象的でした。美しいのですが、とても哀しくて、寂しさを思わせるような。

それから歌詞を知って、妖しい魅力にとりつかれてしまいました。幾通りにも解釈できる意味深な言葉。果たして現実なのか、それとも夢なのか。

読後しばらく、この曲が頭の中をぐるぐるしてました。次巻が楽しみです。

ところで最近、グインサーガが過去に、舞台化されていたことを知りました。あの世界がミュージカルになっていたんだ! 興味津々ですが、気になるのはその配役です。

なんと、岡幸二郎さんがイシュトバーンで、駒田一さんがヴァレリウス!

駒田さんは納得ですが、岡さんのイシュトバーンは想像つきません。グインの世界だったら、岡さんは明らかにナリスなのでは??と思ってしまいました。配役したの、誰なんだろう。

うーん。岡さんの中に、イシュトバーンぽさは感じないなあ。怒っても、表に出さなそう。そういうところは、ナリスっぽいと思うのですが。ストレートの黒髪も似合いそう。

それにしても、あの世界をミュージカルにするというのは、すごいですね。見たかったです。

『偽眼のマドンナ』渡辺啓助 著

『偽眼のマドンナ』渡辺啓助 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので、未読の方はご注意ください。

短編なのですが、とても雰囲気のある小説です。

1900年代のある日、秋のセエヌ川をボートで下る2人の青年。陽気な医学生の林と、陰気な画家である「私」。

なんの気なしに、街端れの支流へ舵先を向けた「私」は、水際に降りる石段の上で、膝を抱いて座っている女に一目惚れします。

そこは、娼家の並ぶ裏通りでした。片目のマッテオと呼ばれる女性を、やっと探し当てた「私」ですが、「私」の熱情は拒絶されます。

そのときの二人のやりとりが、とても美しいのです。

おそらく、「私」がその瞬間、本当に恋に落ちたのは、確かなのでしょう。その後、心変わりするかどうかはともかく、「私」は画家として、魂の震える相手に出会った。

けれど、「私」の心からのプロポーズを冷たく拒むマッテオの、その気持ちも読者には痛いほど伝わってくるのです。

>「あたしには、泣いたっていい想い出が沢山あるんだよ」

この一言が、ずしりと響きました。

闇の中。窓の向こうに広がる薄明かりや、外から聞こえる酔客の声。この小説からは、その空気が伝わってくるのです。そして、異国の、通りすがりの男から突然求婚された彼女の、戸惑いとかすかな喜びと、それ以上に深く圧倒的な、悲しみと。

彼女にとっては、この小さな部屋がすべて。それ以下でも、それ以上でもない。

夕暮れ時、ゆっくりと流れる川岸に膝を抱えて、彼女は何を思っていたのでしょうか。その時間だけは、きっと彼女は自由だった。誰からも、なにからも縛られないで。

彼女の過去が、「私」を魅了したのだと思います。

それは、「偽眼」という表現をされていましたが。本当はそんな物質的なものではなかったのではないかと、そんな気がするのです。

絵が完成するまでの間、彼女は「私」と一緒に暮らし、そして黙って、林と一緒に街を去っていきます。

「私」は、彼女が林と出て行った理由を、林が裕福な好男子だからと決め付けていますが、私にはそうは思えません。モデルをしていれば、「私」がいかに真剣な気持ちだったか、彼女には伝わったと思うからです。マッテオを見つめる目の力や、絵筆を走らせる手の動きや、屋根裏を満たした熱い空気を、肌で感じたでしょう。

そのとき、「私」にとってマッテオは美の極致で、まさにマドンナだったわけです。

マッテオの過去になにがあったかはわかりませんが、マッテオはきっと知っていたのだと思います。どんなに激しい愛情も、いつか冷めるときがくる。人の心は変わってしまうと。

だから、マッテオは消えた。

一番いい、思い出のままで。

林じゃなくても、連れ出してくれるなら誰でもよかったのだと思います。きっとマッテオは、その先に希望がないことも知っていたはずです。でも、ともかくそこを去ることが、彼女の最後の希望だったのでしょう。

異国の絵描きの記憶の中で、いつまでもマドンナだったマッテオは輝くから。

その後、取り残された「私」は偽眼に執着し続けますが。

これ、結局は、眼じゃないだろうなあと思いながら読んでました。「眼」を追い求める自分を、まるで狂人のように自嘲するような文章でしたが。

マッテオそのものに、焦がれてたんですね。マッテオをわかりやすく具象化したものが、眼だっただけで。もう会えないと知ればよけいに、会いたくなる。マッテオを表すものがほしくなる。

せつない話だなあ、と思いながら読みました。二人の気持ちは、微妙にすれ違っていたような。

マッテオの美は、きっと「私」にとっての極致で。それは、他の人にはわからないかもしれないけれど、もうどうしようもない、強力な圧倒的な美で。

どうしてこの魅力にとりつかれてしまった気持ちを、彼女はわかってくれないんだろうかと・・・「私」のもどかしい気持ちが、伝わってくるのです。

そして、マッテオの気持ちもわかる。彼女はとても、惨めで、最低で、でも少しだけ、嬉しかったんだと思う。

彼女が「私」からプロポーズを受けたとき、彼女はひどい言葉をいくつも口にするのだけれど、そのどれもがとても痛くて、そして本当はひどく、優しいのだ。

その向こうに、彼女の過去がぼんやりと透けて見える。

この小説の最後、紳士の言葉をどう受けとめるか、読者の数だけ解釈はあるのでしょう。果たして、これは創作なのか、真実なのか。

私は、その紳士が「私」自身で、真実だったのだと、そう思っています。そう捉えるのは、少数派なのかもしれませんね。

『breaking dawn』Stephenie Meyer 著

Stephenie Meyer 著『breaking dawn』を読みました。以下、感想をかいていますが、ネタバレしていますので、未読の方はご注意ください。一部、原文をそのまま引用した箇所がありますが、訳は自分がつけているので、少し変なところがあるかもしれません。ご了承ください。

大好きなトワイライトシリーズの第四弾。ということで、期待に胸をふくらませながら読んだのだが、読了するのにこの巻だけものすごく時間がかかったのには、理由がある。それは、半ばまで読んだところで、興味をなくしてしまったからなのだ。あまりにも主人公のベラの態度がひどすぎて。

もう、そんなベラにベタ惚れなエドワードも、ひどい仕打ちをむしろ楽しんでいるんじゃないかとさえ思えるジェイコブも、どうにでも勝手にしてくださいという気持ちになり、しばらくこの本に手をつけないまま放置していたのである。続きを読むのが苦痛になってしまって。

このブログに以前、斉藤由貴さんの『かなしいことり』の話をのせたのは、ベラと、あの曲に登場する女性の共通点を、ふと思い浮かべたからだったりする。

どちらも身勝手な女性ではあり。(自分の気持ちに正直ではあるけれど)自分がされたら絶対泣くだろうなあという残酷な仕打ちを、わりと淡々とやってしまうところがすごいなあと。

『breaking dawn』は夜明けという意味で。めでたく?エドワードの手によって吸血鬼になったベラの、「はじめての吸血鬼日記」だなあと思いました。英語のタイトルのセンスは抜群。第四巻に至るまで、なるほどーと感心させられます。

この巻で、エドワードと結婚したベラはプライベートアイランドで新婚旅行を楽しむのですが、ここはうっとりでした。そうそう。やっぱり二人っきりがいいよねーという。南の島で二人きりという状況は、まさに天国。

夜の海の描写。月を見上げてる、真夜中のエドワードの後ろ姿とか、絵画的でしたね。

ただ、物語はここで終わったほうが美しかったのかも・・と思わなくもないのです。

結婚はしたけれど、まだ吸血鬼にはなっていないベラ。そこで終わらせていたほうが、せつなくてよかったなー、なんて思ってしまいました。

吸血鬼と人間の圧倒的な力の差から、心ならずもベラの体を傷つけてしまったエドワードの苦悩とか、そのへんのシーンは照れながらも楽しく読んでいたのです。が・・・。

子供ができた、という展開から、???の連続でした。

そもそも、無計画すぎるというか、エドワードもベラも、なにを考えているんだろう?という。

それに、話が生臭くなりすぎというか、おとぎ話的な感じで読んでいたところに、いきなり現実的な話になってきて、え?え?という。

子供って、やっぱり愛だの恋だのとかいう、うわっついた話とはまた別の、責任がかかってくる話ですもんね。自分たちさえよければ、という次元とはまた別だし。

それで、そこからのベラの行動がなんとも、私には理解しがたいもので。

完全に、「こりゃもう無理。これ以上読めない」と本を放り出したのは、ジェイコブの目の前で、ベラとエドワードがお腹の赤ちゃんのことで盛り上がるシーンです。

死に瀕したベラのため、、プライドも嫉妬もかなぐり捨てて「ベラの傍にいてやってほしい。ベラの望みをなんでも叶えてやってほしい」とジェイコブに頼みこんだエドワード。

ベラへの想いが強すぎるため、仲間と絶縁してまでベラと一緒にいることを選んだジェイコブ。

そのジェイコブの目の前で、「赤ちゃんが今、こんなこと思ってるよ♪」「赤ちゃんの名前はこうしようね♪」と盛り上がる二人。これはキツイ。キツすぎます。ジェイコブにとって、あんまりすぎる状況です。どうしろっていうんだろう。

>In that moment, I knew that I was alone. All alone.

(そのとき、自分は一人ぼっちだった。独りきりだった。)

ジェイコブの慟哭が聞こえてくるようです。強烈な疎外感。じゃあなぜ俺を呼んだのさ?っていう叫び。

これを読んだとき、もう私はいたたまれなくなってしまって。

だって、ベラはエドワードが好き。エドワードもベラが好き。二人は結婚しました。仲良しです。子供が生まれます。幸せです。

そこにジェイコブが入る隙間なんて、ひとっつもないわけですよ。彼だって、そんなことはよくわかってる。なのに、ベラはジェイコブに「そばにいてほしい」って言う。親友だって言う。

ベラが死ぬかもしれないと知り、動揺するジェイコブの心の隙間につけこむような、卑怯な願いだと思いました。死ぬかもしれない人の願いだから、なんでも許されるのか?

そしてジェイコブの目の前でいちゃつく、幸せな新婚カップル・・・。

ジェイコブはたまらず駆け出しますが(無理もない)、その彼に、咄嗟に車のキーを投げるエドワードはまだ優しいのかも。

エドワードのことは・・・。エドワードも、被害者なのかなあって思うから憎めない。ベラのことが好きすぎるんでしょう。内心はジェイコブに同情してると思います。ベラがジェイコムに望んでいるのは、あまりにも非常識で残酷なことだから。

ベラの傍にジェイコムを呼び寄せることは、エドワードだって嫌なはず。同志的な目で、きっとジェイコムを見てるんだろうなあ。同じ女性に囚われてしまって、もう身動きとれなくなった者同士で。

ああ、もうこの3人。勝手にしてくれ。と、ここまで読んで、私は本を閉じてしまいました。しばらくは、続きを読む気になれなかった。あんまりな展開だったから。

とはいえ。せっかく3巻までは読んだのだし、途中でやめるというのはすっきりしないので。結局どんな結末を迎えたのかだけは確かめたいと思い、気持ちが落ち着いた頃にまた、続きを読み始めたのですが。

もう、『twilight』『new moon』『eclipse』で感じたあの、ドキドキ感は全く感じなくなっていました。

ベラはやっぱり、ベラでした。

その後も、さすがベラ・・・と思うエピソードがたくさん。

たとえば、ジェイコブから、自分の子供が運命の相手だと聞かされたときの反応とか。

ジェイコブに対して怒るベラ。うーん、でも、自分だって、エドワードとは運命の相手だったわけよね。周りがどんなに反対しても、どうしようもなく惹かれ合ったし、理屈じゃない結びつきの強さ、抗えなさっていうのは、身をもって知ってるはずなのにどういうこと?という。

それに、ジェイコブには返しきれない恩があるのでは? その恩人に対する対応じゃなかったと思う。

それから、ジェイコブと娘を、万一のときには逃がそうとこっそり手配するところとか。

あれ? 逃げ切れないからこそ、ヴォルトゥーリ一族と対決するんじゃなかったっけ? ジェイコブと2人なら逃げ切れるって、どこからその発想が出てくるんだろう。あまりに単純すぎないか?という。

この4巻で、一番心に響いたシーンはどこかというと、ベラがエドワードに秘密裏に行動した後、家に帰ってくる場面の描写ですね。

長らくピアノに触れていなかったエドワードが、どんな思いでピアノを弾きながらベラの帰りを待ったのだろう、と。いろんな思いがあったでしょうが、ともかくエドワードは優しい。その優しさは、もはや夫というよりも幼子を守る親に近いのかも。大切に大切に。決して傷つかないように。

ベラのためなら、見えていることも見えないふり。知っていることも知らないふり。それが彼女の望みなら。

そしてエドワードはピアノを弾くのです。そうすることで自分を表現したかったのかなあって。

こんなに愛してる。いつまでも待ってるって。

私がエドワードなら、ベラを問い詰めちゃったかもしれない。少なくとも、真実を知りたがっただろうし、それを隠したベラには不信感を抱いたと思う。

でもエドワードは違うんだな。ピアノを弾いて静かに帰りを待つ、という。その音が、ベラの耳に届くことを信じてるから。

巻末の終わり方が、意味深だなあと思いました。

今までベラの心の声だけは、どうしても読み取れなかったエドワードに、初めて心の声を聞かせるベラですが。彼は途中でベラにじゃれかかって、最後まで聞こうとしませんでした。

これねえ。エドワードは、わかっちゃったんだと思うなあ。

結局、自分の方がよほど、ベラを好きだってことに。だから、それ以上聞く必要がなかったんだと思う。もう、そんなもの聞いてもどうしようもないもんね。それほど深い思考を、ベラが持ってるとは思えないし。

ああ、やっぱりね。これがベラの心だったんだなあっていう。妙な感慨はあったと思います。どうしてもどうしても聞きたかった、愛しい人の心の声は、実際に聞いてみたら、ああ、なあんだ、こんなものかっていう。

聞こえないからこそ、神秘化された部分は大きかったと思うので。不安にもなったし、彼女が不可解な存在にも思えただろうけど。

知ることができないからこそよけいに、狂おしく思えた部分も、あったんだろうなあ。

というわけで、twilightシリーズをすべて読み終わりました。

前の3巻と比べてこの最終巻は、パワーが違うというか、物語の軸が、別方向に向かっているように感じてしまいました。

『eclipse』Stephenie Meyer著 その2

昨日の続きです。『eclipse』Stephenie Meyer著 の感想ですが、ネタバレ含みますので未読の方はご注意ください。

なお、英語は原文のまま載せていますが、併記した日本語訳は自分でやっているので、多少変なところもあると思います。ご了承ください。

一番ぐっときたシーンは、ジェイコブを傷つけたといって自分自身を責めるベラを見かねたエドワード。戦闘前の、本来ならそれどころではないタイミングで、無理を承知でエドワードがジェイコブを迎えにいき、ベラに会わせる場面です。

もうね、そこまでしなくていいのに・・・って。十分すぎるほどエドワードは、やってあげてるのにって。この上まだ、ベラのために自分を犠牲にするの?って思いました。

ベラを置き去りにした負い目や、ジェイコブが傍にいるのを知りながら、彼に自分たちの甘い会話を聞かせた負い目があるとしても、です。

もう命がけですもん。

本当なら、ベラがめそめそ泣いてる場合じゃないというか、駄々こねてる場合じゃないんです。全部終わってから、ゆっくりジェイコブには償えばいいわけで。

というか、そもそもベラがエドワードを選んだ時点で、十分ジェイコブは傷ついてるんだから。もう放っておいてあげるのが優しさなんじゃないかと。

エドワードはその点、わかっていたような気がします。いつまでも夢をみさせておくほうが、残酷なんだってこと。だから、傍にジェイコブがいることを知りながら、わざと会話を続けた。そして、ジェイコブに引導を渡したんですよね。

自分たちは結婚すると。そして、ベラはエドワードの仲間になると。それが、ベラの意志なんだってこと。

少々荒療治かもしれませんが、いつかはわかることで。淡い期待をもたせるよりいっそ・・・と思ったのかもしれません。いくら偽りの仲良しごっこを続けたところで、終わりの日は見えているわけだから。ベラの甘さが余計なトラブルを招く元凶でしかないことが、エドワードにはお見通しだったはずです。

それでも、ベラの涙には勝てない、エドワードの誠実さに心を打たれました。惚れちゃったほうが負けなのね・・と。ベラが傷つくのを見るくらいなら、自分が傷ついたほうがましなんですね。けなげすぎる。なにが悲しくて恋敵を恋人の元に連れて来なくちゃいけないのか。そして、二人が、彼らだけで会話する場を設けてあげなくちゃいけないのか。

エドワードがこんな罰ゲームみたいなことをやらされるような、どんな悪いことをしたんだ??って思いました。

おまけにその後、ジェイコブとベラは、キスして愛を確認しあうという・・・。

エドワードの立場なし・・・。

さすがにエドワードに罪悪感を感じて、自己嫌悪を感じるベラですが。エドワードの態度は意外なものでした。

>You love him.

>He murmured gently.

>ジェイコブを愛してるんだね。

>彼は静かにつぶやいた。

怒らないんです。エドワード。

この巻で、エドワードの好感度は急上昇しました。

吸血鬼なのにモラルがある、というか、古風なところがいいです。

ベラに贈った指輪が、両親の結婚のときのものだったというのが素敵です。買ったものより、心がこもっている気がしました。本当に大切な人にしか、渡さないだろうから。

ずっと独りだったエドワードが、初めて心を許した相手。

それと、感動したのがプロポーズ。

片膝ついてのプロポーズって、憧れです。こういうのっていいなあ。きっと、結婚すればいろんなことがあるだろうけど。その始まりはやっぱり、きっちり決めてもらいたいものなのです。それは、お願いであってほしいなあと。「結婚してください」ってね。「結婚しよう」じゃなく。

だって、Yes と答えた瞬間に、その女性は人生最高の味方になってくれるわけですよ。どんなときにも傍らにいて、もう一人の自分に等しい存在になって。同じ道を歩いていく。

親より兄妹より友人より子供より。ずっと長い時間を一緒に過ごす相手だから。心のすべてを明け渡す相手だからこそ、その始まりは、こうであってほしいなあと。

タイトルの eclipse(月蝕)ですが。

文中でジェイコブがずばり、こう言ってましたね。

>The clouds I can handle.

>But I can’t fight with an eclipse

>雲はどうにかできても

>月蝕にはお手上げだよ

月蝕。それはエドワードの不在を象徴するもの。

月の欠けた夜空の下では、ベラはもう生きていけない。きっと、ジェイコブは自嘲するように呟いたのでしょう。

この本の表紙の、ちぎれかけた赤いリボンの絵が印象的でした。センスがいいです。いろんなものを暗喩している気がする。

ベラとエドワードの絆。ベラとジェイコブの絆。そして、人間と吸血鬼。

綺麗なベルベットは、もしかしたらエドワードの心そのものなのかもしれない。二つにちぎれそうになって、かろうじてつながっている、そのギリギリのライン。

そうそう、タイトルが象徴するものといえば、私は以前、第2巻の『new moon』について、ベラにとってのエドワードが月だったのか?と書きましたけれど。『new moon』の中で、エドワード自身がこんなことを語っていました。

>Before you, Bella, my life was like a moonless night.

>ベラ、君に出会う前、僕の空には月がなかった。

続けて彼は、ベラを流星に例えます。そして、その光と美しさに目を焼かれて、自分にはもう、星のささやかな光が見えなくなったと告げるのです。

流星が地平線に沈んで後、今までと同じように星は光るけれど、流星の光を見てしまった自分には、もう星の光は見えないと。

そして、すべてが意味を失ってしまったと。

美しい表現ですね。

つまりnew moon は、ベラのいない夜空、エドワードの心象世界を表す言葉だったようです。

最後に、『eclipse』の中で一番好きなセリフを挙げておきます。

>You are my first priority.

>君が一番大切なんだ。

これ、日本語にするとあんまりピンときませんが、first priority という言葉の重さがいいんですよね。この一言の後ろに、エドワードの決意が感じられるから。きっとなにがあっても、どこにいても、ベラのためなら全てを犠牲にしてでも、駆けつけてくれる。最優先事項・・・って日本語直訳にしちゃうと、なんだかアレですが。

究極の殺し文句だと思いました。

最終巻となる第4巻『breaking dawn』を読み終えたら、また感想を書きます。